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マルフォイ家滞在2日目の朝。


カノンは薄青色のブラウスに、珍しくショートパンツを履きその上から厚手のカーディガンを着ていた。
動きやすい服に身を包んだカノンは、清々しい屋外で眩しそうに目を細めている。

日差しも暖かくなり始めたこの日、彼女とドラコはマルフォイ邸の庭に出ていた。
美しく整えられたイングリッシュ・ガーデンを楽しそうに眺めるカノン。
ドラコもそんな彼女を見て、嬉しそうな顔をしている。


「そうだ、カノン。箒に乗ってみないか?」
「箒?」
「ああ。何だかんだ言って授業じゃ碌にやってないだろ? 確か去年、ポッターの箒に乗ったので最後だったよな・・・この機会に自分で乗ってみたら、案外楽しいかもしれないぞ」

ドラコはわくわくとした態度を隠さずに、どこからか箒を取り出す。
黒を基調にしたその箒は、ハリーの持っていたものとは違うが、こちらも美しい流線型を描いている。
元々高級な箒なのだろう。手入れもしっかりとされており、彼がクィディッチ・チームのシーカーだということを思い出させた。


「これも綺麗な箒だね」
「ああ・・・ニンバス2001さ。一昨年父上に頂いたものだが、中々使いやすいんだ」
「私には余る道具だと思うけど」

珍しく消極的なカノンに、ドラコは目を数回瞬かせた。
そして彼女の少ない弱点を見つけたことに気をよくしたのか、いつもより尊大な態度で笑い始めた。

「あはは、君、随分苦手なんだな」
「苦手・・・うん、まぁ、自分で乗るのは苦手」
「じゃあ、僕と一緒に乗ろう。それなら安心だろう?」
「いいの?」
「勿論さ。こっちに来て」

慣れた様子で箒にまたがるドラコに、おずおずと近づくカノン。
普段見ないカノンの姿に、ドラコの頬はさっきから上がりっぱなしだ。

カノンはドラコの後ろに跨り、恐々と背中にしがみ付く。
そしてドラコの「浮くから、気を付けて」という一言を合図に箒はゆっくりと上昇し始めた。




スーっと音も無く飛び立つ箒は、流石にきちんとコントロールされている。

地上から5メートル程だろうか。クィディッチの選手であるドラコにしては随分と低い飛行だ。
だが久しぶりに宙に浮くという体験をしたカノンからすれば、十分な高さだったようだ。
両の手はしっかりとドラコの体に固定されている。

「ド・・・ド、ドラコ・・・」
「気持ち良いだろう? もう少し上昇しても平気か?」
「むっ、むりっ! 久しぶりに乗ったけど、やっぱ私、これ、無理!」
「え? 去年も乗ったんじゃないのか?」
「きょ、去年も怖くて、本当に地面すれすれを飛んでもらってたの。つま先が擦れるくらい」

ガッチリと体にしがみ付くカノンに、ドラコは思わず笑いを洩らす。

「何だ、君も可愛いところがあるんだな」
「私は完璧超人じゃないってば・・・お、おお落ちるー!」
「君を落とすワケないだろう、僕が操作してるんだから。君が僕から手を離さなければいいだけさ」

ドラコはそう言いながらも、地上から2メートルくらいの所をスイスイ飛んだ。
カノンは高さのない飛行ならば平気なようで、それなりに楽しんでいるようだった。

「んー、風は気持ちいいね」
「ああ。高い所はもっと気分が良いぞ。慣れたら行けるかな・・・」
「それは無理」

真顔で言い返すカノンに苦笑した後、ドラコは高い木が並んでいる場所まで飛び、スイスイと木の周りを器用に飛び回って見せた。
箒がカーブするたびにカノンは叫び声まじりの笑い声を上げ、ドラコもとても楽しそうだ。

1時間ほど飛び回っただろうか、ナルシッサが2人を呼びに来た。昼食の誘いだろう。
その頃には、カノンは上空5メートルの地点でも風景を見る余裕ができていた。


「箒に乗ってこんなに楽しかったのは初めてかも・・・ありがとうね、ドラコ」
「あ、ああ!また誘うから、今度はもう少し高い所で飛んでみよう」
「出来たらね」

顔を見合わせて笑い合った2人。
その2人を見るナルシッサの表情もまた、穏やかで優しい笑顔だった。




***





空中散歩を楽しんだ日の夜。


カノンの居る客間に、今夜も来客があった。
昨日と同じように姿を現したルシウスとナルシッサ。
カノンは2人をにこやかに迎え入れ、3人分の紅茶を淹れた。

温かく香り高い紅茶を飲み、穏やかな表情になったルシウスとナルシッサ。
そしておもむろにルシウスが口を開いた。



「昨日はマルディーニ家を知る者についてお話しましたな」
「はい」
「貴方は、疑問に思ったことはありませんか? スリザリン家という魔法界でも随一の高名な家系の事なのに、知っている人間が異常なまでに少ないと」
「それは・・・思ったことがあります。以前スネイプ教授から"秘密は守られている"と簡潔な説明を貰ったままで・・・」
「その通り。マルディーニ家がスリザリン家であるという事は、限られたほんの数人に口頭で伝えられます。その後とある"カード"を手渡す事によって、口封じの呪いは完成されるのです」
「口封じの呪い?」

聞き覚えのない単語に首を傾げ、ルシウスの顔をじっと見るカノン。
ルシウスは懐から一枚のカードを取り出して見せた。
厚手の紙に、黒色の蝋でスリザリン家の家紋が記されているそれには、銀色の流れる字で【蛇の紋を知る者の忠誠よ、永劫なれ】と書かれている。

見ただけでは、随分と豪華な名刺だとしか思わないだろう。
しかし、そのカードからは明らかな強い魔術の気配が感じ取れる。

「これは先代、アレクセイ様から頂いたカードです。代々、マルディーニ家がスリザリン家の隠れ蓑という事を聞かされた人間は、このカードを当主から受け取ります。そしてこのカードを受け取った者は、どんな手段であれ秘密を漏らす事は出来なくなる」

ルシウスはカノンの顔を見ながら、静かに続けた。

「今私がマルディーニ家について話していられるのは、貴方が現当主だからです。もしもこれを他人に話そうものなら・・・」
「呪いが、発動する?」
「ええ。言葉にしようとすれば舌が裂け、文字を書こうとすれば手が爛れ、文字を追おうとすれば目が焼ける。あらゆる情報伝達方法に精通している呪いです。もちろん、このカードを受け取る前にそれは警告されますが、カードの受け取りを拒否した者は聞いたことがありませんな」
「何で・・・」
「理由は2つあります。スリザリン家に忠誠を誓う者ならば、元よりこんな呪いは恐ろしくありません。最初から他言しなければ良いのですから。もうひとつの理由は・・・このカードが、魔法界では絶大な説得力を持ち得るためです」
「説得力? この、カードが?」
「只の紙だと思うでしょう。しかし、これを受け取ることを許されたという事に意味があるのです」

ルシウスは一口紅茶を飲んで、口を潤した。


「スリザリン家の秘密を知る者は、絶大な権力と発信力のあるマルディーニ家から信頼の証としてこのカードを受け取る。つまり、後ろ盾になるのです。私もこのカードのお蔭で、何度も難を逃れた事がある・・・」

ルシウスは感慨深くカードを見つめ、再び大切そうに懐へ仕舞い込んだ。

「今や純血家の殆どが、闇の帝王の考え方に賛同しているというのが世間一般的な思想です。確かにそれはあながち間違ってはいない。しかし、もっと根本的な前提があるのです」

これまでにない程真剣なルシウスの声に、カノンも自然と背筋を伸ばしていた。

「我々が最も忠誠を誓い、慕っているのは闇の帝王ではない。・・・貴方達なのです」



口が良く回るルシウスの、シンプルな言葉。
それはかえって真実味を帯びており、カノンはそれが揺るがぬ本心という事を感じ取った。
ナルシッサも口こそ挟まないが、夫と同じ意見なのだろう。真っ直ぐにカノンの目を見ている。

「闇の帝王は、スリザリンの血を欲しておりました。古くから伝わる大魔法使いの血筋ですから・・・しかし、どんなに多くの魔法使いを拷問しようが、その所在は一切闇に包まれたままだった」


ルシウスはにこりと緩く笑って「これが、スリザリン家の"口封じの呪い"です」と話を締めくくった。
カノンは話を頭の中で整理しながら、自分の存在は多くの先人達に守られて来たのだと確認した。

ルシウスやナルシッサも、何故こんな小娘にここまでしてくれるのだろうと疑問に思っていた。
だがそれは、カノンの予想を遥かに超えた忠誠があっての事だと思うと、どうもむず痒かった。


「さて・・・もう真夜中に近い。今日はドラコと箒に乗って疲れたでしょうから、そろそろ休みましょう」
「あ、はい。お話ありがとうございました。その、お2人さえよければ・・・明日の夜も、是非お話を聞かせてください」
「ええ、勿論ですわ。明日は最後の夜ですから、もっと沢山お話しましょうね」
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」


2人はカノンに挨拶を返し、静かに扉を閉めた。
机の上の空になったカップは、いつの間にか消え失せていた。
きっとこの屋敷にいる優秀なしもべ妖精が、知らぬ間に片付けてくれたのだろう。
カノンはふかふかのベッドにもぐりこんだが、頭が冴えてしまい中々寝付けなかった。


カノンはまったく眠気の来ない状態で瞼を閉じていた。すると、頭に暖かな手が添えられているのに気付いた。
その手は優しく、ゆっくりと慈しむようにカノンの髪を撫でる。
じんわりと暖かさが伝わってくると、キリッと冴えていた頭が次第に解きほぐされるのを感じた。

カノンはぼんやりと目を開ける。
すると彼女の眼前には、随分と穏やかな表情をしたリドルが居た。


「リドル? どうしたの・・・いきなり外に出て。それに、なに、頭なんか撫でて」
「君に頼みたいことが出来たんだ。頭を撫でたのは何となくだよ」
「・・・頼みたいこと?」
「僕を、この家の人間に紹介してほしい」

まどろみかけていたカノンの頭は、再びスッキリと目を覚ました。
そして怪訝な顔でリドルを見たカノンはその理由を言うよう、彼に促した。


「この先、いつ君と僕が分断されるか分からない。ヴォルデモートが復活すれば、僕は君とは別の場所に隠れなければならないかもしれない。そういう時の為に、ここを憑代にしたいんだ」
「でも・・・私から離れるような事になったら、魔力の供給はどうするの?」
「それは心配ないよ。あくまで本体はそのアンクレットだ。魔力を送り込むのも、遠くから会話することも可能だよ。この家は居心地が良い。隠れ家にするには良い場所だ」


リドルは部屋の中をスタスタと歩き、優雅な動きでソファに腰かける。
ランプが放つオレンジ色の光に照らされるリドル。赤い瞳がいっそう輝きを放ち、怪しく煌めいた。

「・・・それに、ルシウス・マルフォイは僕の事を知っている。闇の帝王失脚から一昨年までの間に、今の僕と似た姿で会ったことがある筈だからね」
「おじさまが?」
「そうさ。僕と似たようなモノに触れた事のある人間・・・そうそう居ないよ」
「わかった、明日の夜に紹介するよけど、2人への説明がリドルがきっちりしてね。脅したり、怖がらせたりしたら駄目だから」
「ああ、解っているさ。僕が言いたかったのはそれだけだよ。おやすみ、カノン」


リドルは再び立ち上がり、椅子を引いて彼女の横に腰かける。そして先程したようにカノンの頭を撫で始めた。

リドルの行動が読めず疑問符を浮かべていたカノンだったが、温かい手に撫でられ、次第に瞼が下がってきた。
そしてその微睡みに抵抗することなく、すとんと眠りに落ちた。





「相変わらず無防備なお嬢さんだ・・・ここはもう、ダンブルドアの監視下でも無いのにね」


リドルはそれだけ言い残して、自らも実体化を解いて姿を消す。
静かな部屋には、カノンの穏やかな寝息だけが響いていた。






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