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第2の課題を目前にした、この日。
スリザリン寮の談話室に居たカノンは、とある手紙を受け取っていた。

彼女の手にある手紙には簡潔に一言。『消灯時間前に我輩の自室まで来るように』と書いてあった。
手紙の差出人は、彼女の寮監であるセブルス・スネイプだ。


消灯時間前にハリーに会いに行こうと思案していたカノンだったが、どちらの優先順位が高いかと言えば勿論スネイプの方だ。彼女は「帰りに寄ればいいか」とつぶやいてから、暖かい談話室を抜けてスネイプが待つ場所へと向かった。





暗く寒々しい廊下を抜け、着いた先の扉をノックする。
コツコツ、という小さな音と共に「こんばんは、教授」と声を掛けると、中から「ああ、入りたまえ」と声が返ってきた。


「失礼します、何かご用ですか?」
「ああ。そこに座りなさい、茶でも入れよう」

カノンが扉の間から顔を出すと、スネイプは彼女を部屋の中へと招き入れた。
そして杖を振ってティーセットを出し、紅茶の準備をし始める。

「遅くに呼びつけてすまん、寒かっただろう」
「いえ、教授のお呼びとあれば、例え火の中、水の中です」
「私は、教え子をそんな場所に呼び出すほど鬼畜ではない」
「例え話ですよ」

数分も立たないうちに、スネイプの手元にはほかほかと湯気を立てるティーカップがふたつ。
彼はその内のひとつに角砂糖を一つとミルクを少々入れ、カノンへと差し出した。


「特製のハーブティだ。砂糖はひとつ、眠る前だからミルクも入れた。飲んで体を温めたまえ」
「はい、頂きます」

カップを受け取ったカノンは、素直にそれに口をつける。
身体に沁み渡るような温かさと、ほのかに広がる甘さにほっと息をついた。
香り高い紅茶の匂いに混じって独特の、薬草に似た香りが漂っている。
きっとスネイプ御用達のブレンドティーなのだろう。


「呼び出した用件だが・・・明日行われる"第2の課題"に関する事だ」
「課題・・・? 何故私なんですか?」

カノンは内心、ハリーやセドリックを助けすぎたかと冷や汗をかいたが、どうもそうではないらしい。
明日の課題。それは代表選手が湖の深くまで潜り、時間制限内にあるものを取り戻すというもの。
スネイプがそこまで説明し、一度息を整えた。

カノンは既にその内容を知っていたが、素知らぬフリをして頷く。


「その湖から取り戻すモノだが・・・代表選手にとって一番大切な人物だ」
「大切な、人物」
「ああ。代表選手と共に水面へと出るまでは、その人物たちには湖の底で眠ってもらう」
「・・・・・・・・・ま、まさか!」

そこまで言われて気付いたのだろう。カノンは至極驚いた顔で、自分の持っていたカップを見る。

「君はセドリック・ディゴリーの取り戻すべき人に選ばれた。今から課題終了までの間、眠ってもらう事になる」
「そ、そんな! ここまで来て課題が見れないなんて! この香り・・・夏水仙の花粉と、干し呼吸根?」

カノンは残り少なくなったカップの中身の匂いを嗅ぎ、材料を言い当てる。
するとスネイプは感心したような表情でそれを肯定した。

「良く分かったな。これは睡眠薬だ。水中でも呼吸ができる、という効力付きだが」
「ええっと、夏水仙の花粉でできた睡眠薬には、根生姜と、ウルフスベーンの・・・葉・・・・・・」


カノンはそこまで言って、立ち上がろうとした。
だが急に重たくなった瞼に逆らう事は出来ず、無念にもその体はソファに崩れ落ちてしまった。


「ほう・・・大変素晴らしい知識と判断力だ。授業中ならば加点していただろうに」

スネイプはそう呟き、カノンの顔にかかった髪の毛を優しく払う。
そして魔法で体を浮かばせ、そのまま医務室へと向かった。





***





場所は変わり、スリザリンの女子寮。


そこには本を読みながらカノンの帰りを待つ、リドルの姿があった。

だが、いくら待てども彼女は帰ってこない。
真夜中を過ぎた頃だろうか、流石に訝しげに思い始めたリドルが顔を上げる。
現在の時刻を確認して、ひとつ深いため息を吐いた。


『まったく・・・あの子はどこまで行ったんだ。幾らなんでも帰りが遅すぎる』

まるで夜遊びをする娘が心配でならない、そんな母親のようなセリフだ。
カノンの行方を不思議に思ったリドルは、アンクレットの力を頼りに彼女の居場所を突き止めた。

彼が一度目を閉じ、再び開くとそこは真っ暗な医務室だった。
窓から差し込む月明かり以外の灯りは無く、そこには静かな息遣いが響いている。


こんな所に居るなんて、何か怪我でもしたのだろうか。
そう思ったリドルは足早にカノンの眠っているベッドへと向かう。

だがそこに居たのは、安らかにスヤスヤと眠っている・・・何の変哲も無いカノンだった。
傷もなければ手当の痕も無い。体調が悪そうということもない。

しかし、もうひとつ奇妙なことがあった。
彼女の眠るベッドの横3つが使用されている状態になっている。
そしてそのどれもが、彼女と同じように至って健康そうにも関わらず、驚くほどに深い眠りについているのだ。



『こんなところで寝ているという事は、とりあえずダンブルドアの監視下なんだろうな。しかし・・・何なんだこの状況は』

その場で首を傾げたリドルだったが、カノンの身に危機が迫っている訳ではないという事が分かり安心したのだろう。
ひとつため息を吐いてから、アンクレットの中へと戻った。

だが次の瞬間、彼の思考にはひとつの可能性が浮上した。

『待てよ、彼女は確かポッターの所に行く前にスネイプの自室に行っていたような・・・もしもポッターの元へ行く前に、この深い眠りについたのなら、ポッターはもしかして鰓昆布の事を知らないまま、競技に向かう事になるのか?』

そこまで考えたリドルは、再びアンクレットの中から飛び出した。
と言っても、カノン以外にその姿は見えないのだが・・・

『ポッターが不戦敗なんてことになったら、非常時を任せられた僕がどうなることか!!』

そう叫んだリドルは即座に医務室から走りだし、グリフィンドールの寮へと向かった。


階段を2段飛ばし、廊下を全速力で駆け抜け、最高の速度で太った婦人の前へとたどり着いたリドル。
実体化していないとはいえ、体力は消費するのだろう。ぜえぜえと情けない程に息を上げていた。

そのまま壁をすり抜けようとすると、不思議なことに彼の腕は石壁に阻まれてしまう。
リドルはこの結果を、薄々は予想していたのだろう。ヒクリと口元を引き攣らせた。


『くそっ・・・思った通りだ。通り抜けられないということは、実体化して合言葉を言わなくてはならない。しかし僕は合言葉なんぞ知らないし、何より太った婦人に僕の姿を見られたら非常マズイ・・・!』

本格的に焦ってきたリドルは、太った婦人の死角に隠れて頭を抱える。
身体を実体化しなければ、そもそもこの入り口を通り抜けることはできない。
実体化しても、姿を見られたらアウト。
だが姿を丸ごと変えるような魔法を使えるほどの魔力はもう無い。

正に八方ふさがり。
そんな窮地に、一人の救世主が現れる。

テニスボール大のビー玉のような瞳に、小さな灰茶色の体。
リドルの真横をひょこひょこ歩く、しもべ妖精のドビーだった。


『しもべ妖精・・・そういえばこのホグワーツには大勢の妖精が居るという・・・ん? こいつらを利用すれば、上手く事が運ぶんじゃ』

そう閃いたリドルは、ここぞとばかりに体を実体化させてドビーに話しかけた。


「やあ、こんばんは」
「こ・・・こ、こんばんは? こんばんはと、今そう、ドビーに言ったのですか?」
「ああ。夜の挨拶だろう、こんばんは」

リドルは夏休みの間、マルディーニ邸のトゥーラに対するように目の前のしもべ妖精に接した。
まるで対等のように。丁寧にあいさつをしてしまったのだ。
だが目の前にいるのは少し前まで不憫な生活を送ってきた、根っからのしもべ妖精であるドビー。
見知らぬ人間から優しく話しかけられ、その上挨拶をされることにまだ慣れていないのだろう。

その大きく透き通った瞳に、うるうると感涙を浮かべ始めた。

「おお・・・やはりドビーはホグワーツに来て幸せでございます! ドビーに、挨拶をしてくださる!!」
「おい、声が高いぞ・・・」
「ドビーは幸せでございます!!! 素敵な生徒様と出会えたドビーは幸せでございます!!!」

声高に騒ぎ出したドビーを押さえつけ、リドルは素早く石像の陰に身を隠す。

「いいかい、君・・・ドビーと言ったな。僕は今から、とある事をしなくちゃいけない。それには、君の協力が必要不可欠だ。手伝ってくれるね」
「お手伝い! ええ、勿論でございます、ドビーはなんでもお手伝いいたします!!」
「有難いけど、まずその声を落としてくれ! こっそり、やらなくちゃならないんだ」

口を閉じて大きく首を縦に振るドビーを見て、リドルは一息ついた。
そしてニコリと、愛想の良さそうな笑顔を浮かべながら話を始めた。


「君はグリフィンドール寮の掃除をしているんだね?」
「ええ、そうでございます。最近はドビーしかおりません」
「ドビーだけ・・・どういうことだい?」
「その、あちらこちらに、隠されているのです。"服"が。それを嫌がった妖精たちはこの部屋に寄り付かなくなったのです」

ピンチの時に現れたしもべ妖精は、ここ最近のグリフィンドール寮に一番詳しいであろうドビーだった。
これは思ってもいない収穫だ。そう思ったリドルは口角をニヤリと上げ、ドビーに問いかけた。


「そうか、じゃあ質問をするけれど。この寮にはハリー・ポッターという男子生徒がいる。それは知っているね?」
「勿論でございます! ハリー・ポッター、生き残った男の子! ドビーの命の恩人でございます!!」
「分かったから口を閉じてくれ、頼むから。僕は今、そのハリー・ポッターを助けたくてここまで来たんだ」
「それでは、ハリー・ポッターは、今何かに苦しんでいる?」

思いがけず察しの良いドビーに気をよくしたのか、リドルは饒舌に続ける。

「ああ。それで一つ確かめてきて欲しいんだが・・・彼の持ち物の中に"鰓昆布"というモノがあるかどうか。これを確認してきてくれないか? どういうものだか形はわかるかい」
「ええ、ええ! ドビーはすぐに行ってまいります!!」
「それと・・・その鰓昆布の近くに、この手紙を置いてきてほしい」

リドルがポケットから出した、薄い手紙。
手紙と言うよりは、鰓昆布の効果について示したメモのようなものだった。
ドビーはその紙を恭しく受け取ったあと、飛ぶように談話室へと入っていった。

だが3分もしないうちに戻ってきたドビーの手には、行きと同じように手紙が握られたままだった。
リドルは冷や汗を流して、ドビーにもう一度命令を言い付ける。


「ど、どうした?その手紙は鰓昆布の傍に置いて・・・」
「それが、ハリー・ポッターの荷物の中には"鰓昆布"がございませんでした・・・お言いつけを果たせなかった・・・ド、ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!!」

リドルは今の状況が、自分の予想していた中で最悪の事態だという事を悟った。
石壁に己の頭を打ち付けて"おしおき"をするドビーを無理やり押さえつけ、再び石像の陰に隠れた。



「何てことだ・・・ポッターは薬を作るどころか材料集めだってまともにできていない!」
「これでは、ハリー・ポッターをお救いすることはできないのですか?」

リドルは、ドビーのつぶらな目を見ながら頭を悩ませた。
実を言えば、一つだけある。これから鰓昆布を入手できる最短かつ、確実な手段が。
そう、スネイプの薬品材料庫に忍び込むことだ。


だがそんな事をすればそうなることか。

スネイプ自体は何も怖い事は無い。恐ろしいのは、それを知ったカノンの反応だ。
彼女の敬愛する教授殿の薬品庫で、盗みを働いたなどと彼女に知られてしまったら・・・
そこまで考えて、リドルは目の前のしもべ妖精の存在を思い出した。


(そうだ。このしもべにやらせれば良いじゃないか。
 薬品庫に盗難防止呪いがかかっていても、しもべ妖精の魔力ならば突破できる。
 万一突破できずとも、このしもべの身を犠牲にすれば良いだけのことだ)

ハーマイオニーが聞いたら、怒りのあまり肉弾戦に出るかもしれない。
下卑た考えが即座に浮かび、その上何の躊躇いも持たない所は流石の一言に尽きるだろう。

「いや、一つ方法がある。魔法薬学の教授ならば、鰓昆布くらい幾らか持っている筈だ。それを上手く頂戴できれば、ポッターは助かるだろうな」
「スネイプ様の薬品庫!! そこに行けば良いのですね! ドビーはやります! ハリー・ポッターをお守りするのです!!」

声高に叫んだドビーは、パチンとその場で指を鳴らして自分の姿を眩ませてから薬品庫へと向かっていった。




「・・・・・・大丈夫か、あれ単体で・・・」

残されたリドルは、酷く心配そうな様子で待っていた。
だが彼の心配は良い意味で裏切られたのだった。





10分ほど経ったころだろうか。実体化を解いていたリドルの元へと、ドビーが息を切らせて走って来たのだ。
リドルはさりげなく実体化し、物陰から姿を現してドビーの報告を聞いた。


「ドビーめは持ってまいりました! 鰓昆布を、ハリー・ポッターの為に!」
「よし! 良くやったぞ。後はそれをポッターに渡すだけだ」

ドビーから受け取った鰓昆布をまじまじ確認して、それが自分の言い付けたもので間違いないと判断したリドル。

「できればポッターに直接渡すんだ。さっきの手紙は持っているな? そこに書いてある内容をあいつに説明し、この鰓昆布を渡す」

リドルが己の手から、再びドビーへと鰓昆布を渡そうとしたその矢先のことだった。

暗闇の中で光り輝く一対の目が見えた。
光る金色の瞳。それはリドルの姿をとらえた瞬間に、怒りの篭ったものへと変貌した。



「フシャアアアアァァァッ!」
「げっ! お前は、いつぞやの猫・・・しまった、管理人が来る!」

暗がりから現れたミセス・ノリス。
きっと彼女の金色の目には、夜間外出という校則違反を犯す生徒の姿が映っているのだろう。


焦ったリドルは、ドビーに鰓昆布を押し付けると一目散に暗闇の中へと溶けてゆく。
だが、実体化を解いたにも関わらずミセス・ノリスはまっすぐリドルを追いかけ始める。

そう。この間もそうだった。猫には見えてしまうのだ。彼の姿が。



後に取り残されたのは、唖然としたドビーただ一人。

そして談話室の机に突っ伏して眠るハリーは、己の一番の悩みが存ぜぬところで解決していたことを、まだ知らなかった。








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