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数時間の長旅が終わり、生徒たちが深紅のホグワーツ特急から一斉に降りている。
おびただしい人数の生徒でホームがごった返し、その中で右往左往している一年生と思わしき生徒が不安げな表情をしていた。


例年であれば、ハグリッドの「イッチ年生!」という愛嬌のある声が響く筈なのだが、今年はそうではなかった。
「一年生はこちらに! 一年生、こちらに並んで!」というよく通る女性の声が聞こえてくる。



「あれ…あの人、去年飼育学の代理教師をした…」
「グラブリー=プランクだな。ということは、あの巨人は遂に辞めたか?」
「そういう話は聞いてないけど」

ドラコのニヤリという笑みにそう返すと、カノンはひとりの小さな生徒を目に留める。
彼も新入生だろうか、おろおろとその場に踏み止まっている男子生徒に声を掛けた。


「君は新入生? だったらあの女の先生について行くんだよ」

優しく下級生に声をかけるカノンは、やはりリドルの言った通り面倒見の良い先輩になりそうだ。


「あ、あの、ありがとう…」
「どういたしまして」

不安そうな顔をした新入生は控えめに笑い、言われた通りにグラブリー=プランクの元へと歩いて行った。

『やっぱり君、監督生に向いてるね』
「教授が私を指名したんだから、やる事はやるよ」

ツンとそっぽを向きながらも、カノンは小さく答えた。
各寮監督生達は、新入生が全員グラブリー=プランクについて行くのを見届けてから馬車へと向かった。






校舎へと向かう、馬なしの馬車乗り場へとたどり着いたカノンとドラコ。
すると今年からは、何か奇妙な生物が馬車を引いていることに気づいた。


「あれ? 馬車が馬無しじゃなくなってる…」
『セストラルだね。ホグワーツの馬車はずっとこいつらが引いているんだ』


極々小さな声で呟いたカノンに答えたのは、リドルだった。

セストラルと呼ばれた生き物は、ぱっと見た感じは黒いペガサスのような形だが、良く見てみるとなにやら怪しい見た目をしている。げっそりと痩せこけ、黒い翼はドラコンやコウモリのような造りだ。


「セストラル?」
『一応は天馬に分類される、非常に希少な生き物だ。普段その姿は見えないが、死を見た事がある人間のみ視認できるようになる』

淡々と教科書を読むように説明するリドルの言葉を聞きながら、カノンはセドリックの事を思い出した。
だが、彼女が感傷に浸る前に、数メートル先からドラコの鋭い声が聞こえてくる。


「おい、列を避けろ! 僕は監督生だぞ」
「ドラコ…」

相変わらずカノン以外には傍若無人に振る舞うドラコに、カノンは頭を抱えた。
彼の腕を引っ張り、先に並んでいた生徒に馬車を譲ってから厳しく言う。


「あのさ、私と一緒に居る時は、そういう子供っぽい振る舞いは控えてくれる?」
「こ、子供っぽい? 僕がか?」
「そう、子供っぽい。職権乱用が過ぎるよ」


先程の甘えっぷりがウソのように、クールにずばりと言い放ったカノン。
ドラコは心なしかしょんぼりしながら、彼女に続いて馬車へと乗り込んだ。





***






通常どおり、今年も組み分けの儀式が終わった。
だがいつもと違い、トラブルが2つ起きたのだ。


一つ目は、組み分け帽子の歌。

今年は寮の特性を歌うだけではなく「危機が迫っている、団結せよ」という歌詞があったのだ。生憎、スリザリンの生徒たちに他寮と団結する気はないようで、フンと生意気な嘲笑がそこら中から発せられただけに終わったが。
ホグワーツ創始者である4人の偉大なる魔法使いの魔力が込められた組み分け帽子。その帽子が「団結せよ」と歌うのだ、何か嫌なことが起きる前触れなのかもしれない。




そしてもう一つのトラブルが、新任教師のドローレス・アンブリッジだ。


最初に生徒たちの目を引いたのは、その風貌だった。

くるくると細かく巻かれた短い髪に、黒くて小さなリボンを沢山止めている。そのヘアスタイルを見た誰かがヒソヒソと「枯草に絡めとられた蝿みたい」と嘲った。余程少女趣味なのか、彼女はピンク色のヘアバンドと同じ色のカーディガンを羽織っていた。

アンブリッジは、夕食後にあるダンブルドアの挨拶を、あろうことか耳障りな咳払いで止めた挙句、そのまま立ち上がってスピーチを始めたのだ。
ホグワーツの生徒たちは、ルールも礼儀も知らないアンブリッジに、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。当のダンブルドアは気分を害した素振りなど微塵も見せず、にこにこと笑って彼女のスピーチを待っている。

アンブリッジは、もう一度あの耳障りな咳払いをした後に話し始めた。



「歓迎のお言葉恐れ入ります、校長先生」

大広間にいる生徒たちは、こぞって目を見開いた。
ずんぐりした体を持ち、顔も、こう言っては悪いがガマガエルのような彼女から、キンキンと幼い少女のような声が発せられたのだから。カノンの正面に座っていたパンジーも、大きく目を開いてアンブリッジを凝視した。

「皆さん、初めまして! わたくし、この学校に戻ってこれて大変うれしく思いますわ。ここにいる皆さんと、お友達になれるのはとても喜ばしい事ですわね」

幼稚園の先生が園児たちに語りかけるような、何とも馬鹿にした口調で喋り出した彼女。
今のところ生徒の中には、彼女とお友達になりたいという顔をしている人は居ないようだ。


「さて…」

前置きはこれでお終いなのだろう。アンブリッジは突然口調を機械的なものに変えて、再び話し始めた。


「魔法省は、常日頃から若い魔法使いたちの教育は、非常に大切なものであると考えてきました…」

本題に入るや否や、いきなり魔法省の話題か。カノンがそう思いながら眉間に皺を寄せていると、教職員席のスネイプと同じ表情になっていることに気が付いた。

銀色のゴブレットに映った自分の顔と、スネイプの表情を見比べて、急いで眉間に寄っていた皺を親指でもみほぐした。
いくら敬愛する恩師とはいえ、表情が似ているのがうれしい! と言える相手ではないようだ。


「…長い歴史を誇るホグワーツにでは、常に新たな試みが試され続けてきました。それは教育をする場所においては大切なことであり、進歩をするには必要不可欠な事です。ですが、時に進歩とは伝統ある確立された形式を、揺るがすものになる可能性もあるのです。状況を見極め、正すべき部分は正し、残すべき部分は残す…」

話が回りくどく小難しいものになってくると、生徒たちの関心は次第に逸れて行った。
監督生であるドラコも、カノンの隣でクラッブやゴイルと何やら雑談をしている。


『随分と面倒な言い方をする女だね』
「要するに、魔法省にとって都合のいい所は残して、都合の悪い部分は取り除けって事が言いたいんでしょう?」
『ダンブルドアのやり方じゃあ駄目だから、魔法省が学校を運営するとも言いたげだ』
「その通りだと思う。先生方の顔を見てみなよ、目が死んでる人と不機嫌な人しかいない。ホグワーツで働く先生方が、ダンブルドア先生を馬鹿にするようなスピーチを聞いて、いい気分になる訳ないのにね」

カノンが言った通り、教職員席に座る教員たちの表情は大抵同じだった。

マクゴナガルやスプラウトは、口をキュッと結んで厳しい顔をしている。
スネイプもその内の一人だ。あまり表情には出していないが、いつもより眉間の皺の本数が多い気がする。
アンブリッジがスピーチを終えると、ダンブルドアだけが笑顔で拍手を送った。

それに倣って生徒や教員たちも二度三度拍手をしたが、まばらな拍手はすぐに収まってしまった。





「随分と退屈な挨拶だったな」

再開されたダンブルドアの話を聞きながら、ザビニが小さな声でカノンに囁いた。

「言い方が酷く回りくどかったけど…あの女、コーネリウス・ファッジの差し金なんだね」

カノンはそれに応えながらも、苦々しい表情をする。ザビニは彼女の言葉を聞いたあと、ハッとした顔でカノンを見た。


「じゃあ、今年からは魔法省が直接ホグワーツに介入する気か?」
「うん。自分たちの都合の良い教育をするつもりだと思う」
「都合の良い? たとえば?」

カノンの横で話を聞いていたドラコが、不審げな顔でそう聞く。

「学校っていう場所は、人に意識を植え付けるのに持って来いの場所なんだよ」
「意識?」
「そう。魔法省は在学中の魔法使いにこういう意識を植え付けたがってる『魔法省の発表は全て正しい、アルバス・ダンブルドアは狂った虚言癖の持ち主だ』って」
「夏の間、新聞に書かれ続けた事だな」

ザビニがさりげなく言うと、ドラコは頷きながら同意した。

「事実、その通りじゃないか?」
「さぁ、私は同意しかねるけど」
「じゃあ、君はあれを信じているのか? 闇の帝王が復活したとかいうのを」

少し小ばかにした態度でザビニが言うと、カノンは深くため息をついた。

「信じる信じないはこの際問題じゃない。大切なのは、いざという時の為に備えるか否かだよ。…もしかしたら魔法省は、私達に実践術を教えたくないのかも」

思いついたかのようなカノンの言葉に、ザビニもドラコも揃って眉をひそめた。
流石に、呪文の使えない魔法使いにはなりたくないと、2人とも思ったのだろう。


「何故そう言えるんだ?」
「さっきのスピーチで言ってたでしょ?"正すべき部分は正し、残すべき部分は残す"って。それを魔法省の人間であるあの女が言うんだから、学校は魔法省の都合の良い方向へと向かうはず」

真剣な顔で話すカノンに、ドラコとザビニが少しだけ詰め寄った。


「あ、2人とも、今年のDADAの教科書読んだ?」

だが、いきなりずれた話題に、ドラコもザビニも唖然としてしまう。


「それ、今話すべき問題か?」
「むしろ、これが証拠だよ。今年の教科書は"防衛術の理論"っていうタイトルの本で・・・これには実際に呪文を使うということが、一切書かれていないの。私、購入した教科書はとりあえず隅まで読むんだけど、一言も実技についての記載はなかった。本来だったら基本的な呪文をマスターした魔法使いが、更に理論を理解するための本なんだから」
「それ、本当か?」
「もしも根拠が薄いと思うんだったら、あの先生の初授業を受けるまで待つと良い。私が宣言してあげる。今学期、DADAの授業じゃ一回も杖は振らないってね」

ニヤリと意地悪く微笑んだカノンは、夕食の時間が終わり、ガタガタと席を立ち始める生徒を見てから軽快に言った。

「さて、私とドラコは新入生を案内しなくちゃ。また後でね、パンジー、ザビニ」




カノンはドラコを引っ張りながら、きょろきょろと監督生を探す新入生たちに声を掛けた。

「一年生、こっちに集まって! ドラコは先に寮に行って、合言葉を皆に教えておいてくれる?」
「ああ、わかった」

ドラコはカノンの頼み通り、席を立ってスタスタと先頭を歩き始めた。
2年生以上の生徒たちが大体大広間から出て行ったのを見計らい、カノンは呼びかけに従って自分の前に集まった一年生たちに声をかけた。

「これからあなた達をスリザリンの寮へ案内するから。眠いだろうけど、道順は大事だからしっかり覚えておいてね」

社交的に笑いかけるカノンに、一年生たちはおずおずと頷き返す。
先ほどまで不安げだった彼らの顔にも、ちらほらと微かに笑顔が浮かんでいた。

やはり良家の子女や令息が数多く在籍する寮なだけあり、一年生であっても行儀のよい生徒が多い。
こういうところはスリザリンの良い部分だな、とカノンはぼんやり思った。
他寮とのいさかいはこれから増えていくだろうが、こういった面ではあまり面倒ごとにはならなそうだ。


カノンはお育ちのよい一年生たちを先導し、ゆったりとした足取りで歩き始めた。






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