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楽しい時間や、穏やかな時間が過ぎるのはあっという間だ。
そして、辛い事を目前に控えているときもまた然り。

ついに今日は、ハリーの懲戒尋問の当日だった。



緊張した面持ちで厨房に現れたハリー。まだ早朝だというのに、緑の目はぱっちりと開いている。

そしてハリーとほぼ同じ時間に起きてきたカノン。彼女もこれから魔法省に出向く手筈になっていた。
学校のテストとは違う、難関と呼ばれる試験を前に、カノンはいつもより緊張しているように見える。

だが、彼女は既に自分にできうる限りの努力をしていたので、幾分落ち着いているようだ。
心ここに在らずといった感じで降りてきたハリーへと声をかけ、彼に暖かい紅茶を淹れた

「食事があまり喉を通らないなら、せめて紅茶を飲んで体を温めた方がいいよ。頭の動きが良くなるから」

ハリーはトーストをかじりながら、白いティーカップを受け取った。
緊張のあまり声も出ないのだろう。先程から何を言われても、こっくりと黙って頷くばかりだ。


今日はマグルの地下鉄を使って移動する予定だというのを聞いていたので、カノンはしっかりとマグルの格好をしていた。

白いブラウスに七分袖の薄いジャケット。ボトムスはピッタリとしたスキニージーンズと薄水色のパンプス。
いつも下ろしている髪も、試験の邪魔にならないようにと高いところできっちり結ってある。
制服よりもカジュアルかつフォーマルな服装は、彼女のスマートさを引き立たせていた。

「魔法省までは私も一緒に行くことになったんだ。試験の方が尋問よりも先に開始されるから、ハリーは1時間くらい早く出かけることになっちゃうんだけど」

ハリーはその言葉に、再び何度か頷いた。
するとハリーのふたつ隣に座っていたアーサーが、カノンへと質問した。

「そういえば魔法省についた後はどうするんだい? セブルスと合流するらしいが」
「ええ、スネイプ教授とは魔法試験局の資格管理部前で待ち合わせています。部署までの道順は既に手紙で教えてもらっているので、省内に入ったら別行動で大丈夫です」
「そうか。こちらの尋問が終了し次第、管理部まで迎えに行くから待っていてくれるかな?」
「はい、ありがとうございます」
「ではそろそろ出ようか。ここで座っているよりも早めに出た方が良いだろう…」

朝食を食べ終えたハリーを見て、アーサーが声を掛ける。
彼の一声でカノンとハリーが立ち上がった。

厨房にいたモリーやシリウスたちが、2人に応援の声をかけた。
ハリーは曖昧に口元だけ笑ったが、カノンはしっかりとそれに応えて出て行った。






カノンとハリー、アーサーはマグルの地下鉄を使って魔法省の来客用入り口まで行くことになっていた。

慣れない地下鉄に一喜一憂するアーサー、対してスムーズに移動をするカノンとハリー。
2人は油断すると変な行動に走ってしまうアーサーを見張るのに、少々神経を使っているようだ。
先程まで無心だったハリーも、少しだけだが余裕を持ちつつあった。


「いや、まったく素晴らしいね」
「アーサーおじさま、そこの乗り口から目的の地下鉄に乗れますよ」
「ああ、そうか! こっちか! そうだハリー、カノン。後で本部に帰ったら…車電と地下鉄の違いとやらを教えてくれるかな?」
「はい、もちろんです。…車電?」
「電車のことだと思う。あ、カノン、向こうの駅員がこっち見てる…」
「明らかに怪しまれてるね」

訝しげにこちらをチラチラと見てくる駅員に、カノンは笑顔で話しかけた。

「すみません、この駅に行くには向こうの乗り口から地下鉄に乗ればいいんですよね?」
「あぁ、そうだよ」

彼女の持つ地図を見て、何度か頷いて順路を指さす駅員。
カノンはにっこりと笑いかけ、世間話をするように言い訳をした。

「ありがとうございます。実は田舎から叔父さんと一緒にロンドンに来たんだけど、こんな都会初めてで…」
「そうですか、慣れないと大変だね。またわからなかったら近くの駅員に声をかけてくださいよ」
「ご親切にどうも!」

はきはきと明るいカノンの応対に、駅員の疑心はなくなったようだ。
最後は笑顔で軽く手を振って、3人を見送ってくれた。
地下鉄に乗り込み座席に座ると、アーサーは落ち着かない様子でしきりに次の駅名を確認した。

「乗り過ごさないようにしないと…あと3つだ…ここを過ぎたら、あと2つだがね」

そわそわとした時間もつかの間、カノン達は無事に目的の駅までたどり着いた。



駅を出てからは、心配そうに何度も地図を確認するアーサーに変わり、カノンが道案内役を買って出た。
きょろきょろと不安げに辺りを見回すハリーや、慣れない道に戸惑っているアーサー。
そんな彼らに、カノンは次の順路を説明しながら歩いている。

「次の曲がり角を右だよ」
「カノンは魔法省に来たことがあるの?」
「ううん、無いよ。なんで?」

不思議そうに首を傾げるカノンだったが、ハリーの方が更に不可解だという顔をしていた。

「無いの? さっきから迷わないで歩いてるから、てっきり来たことあるのかと…」
「ああ、地図さえあれば大丈夫だよ。私、地形把握は得意だから」

得意げに笑うカノンに、ハリーは謎の心強さを感じた。
更に、第六感も鋭いカノンならば、地図無しでもたどり着けそうだとさえ思ってしまった。

「えっと、ここらへんが到着地点だけど…おじさま、どこが入り口なんですか?」
「ああ! あれだよ!」

アーサーが元気良く指差した先には、古い電話ボックスがあった。
ボロボロで使い物にはならなそうなそれを見て、ハリーとカノンは顔を見合わせる。

「さぁ入って、少しきついかもしれないな…」

まずカノン、それからハリー、最後にアーサーがボックスの中に入った。
本来一人で使用する筈のボックスは、身動きが取れないほどギュウギュウ詰めになっている。



「これでは動けないな…カノン、受話器とやらを取ってくれるかな? それから、番号を、62442と入れてくれ」
「はい」

すし詰め状態のボックスをマグルに見られたら、きっと不審者を見る目で見られてしまうだろう。
カノンはそう考えながらも、アーサーの指示通りに受話器を渡し、ダイヤルを回した。

すると突然、電話ボックス全体に女性の声が響き渡った。

「魔法省へようこそ。お名前とご用件をお伝えください」

留守番電話サービスのような謳い文句に、カノンとハリーは再び目を見合わせた。

「えーと…」

アーサーが受話器をどう使うのか迷っているのを見かねて、カノンが受話器を正しい方向に持ち直させる。

「マグル製品不正使用取締局のアーサー・ウィーズリーです。懲戒尋問に出廷するハリー・ポッターの付き添いで来ました。それから、ええと、何だったかな?」
「受話器をこちらに頂けますか? カノン・マルディーニです、魔法薬調合資格取得の為、試験を受けに来ました」

カノンがそう言い終わると、数秒の静寂のあと「ありがとうございます」と再び女性の声が響いた。
次の瞬間には公衆電話の釣銭取り出し口から、ガチャガチャと何かが落ちる音が響く。

「外来の方はバッジを胸にお付けください」

女性の声に従い、3人は狭い室内で苦労しながらバッジを胸のあたりに付けた。

「入省後、外来の方は杖登録を致します。守衛室でのセキュリティチェックにご協力ください」


その声を合図に、電話ボックスに動きがみられた。
ズズズ…と低い音を鳴らしながら。ボックスが地面の中へと沈みだしたのだ。

しばらくそのままの状態でいると、電話ボックスは広い室内に出る。

そこは煌びやかなホールだった。
磨き抜かれた黒いタイルが、天井からの灯りを眩いほどに反射している。辺りは一面魔法使いだらけで、そこかしこからバシッ!という姿現しの音が聞こえる。

「魔法省に到着致しました。本日のご来省、まことにありがとうございます」

女性の声を最後に、カノン達3人は電話ボックスから出た。
ボックスの中から出ると、辺りの音や声が更に鮮明に聞こえてくる。
だがカノンやハリーがぼーっとそこらを見回すより早く、アーサーが2人に声を掛けた。

「さあ! まずは守衛室へ行かなくてはね。逸れないようについてきなさい」

先程とは違い、アーサーが慣れた様子でスタスタと歩いていく。ここからは彼の職場なのだから、当然といえばそうなのだが。
カノンもハリーも、アーサーを見失わないように足を速めて歩いた。





守衛室と書かれた部屋には、比較的すぐにたどり着いた。
カウンターの向こうには不愛想な中年男性が座り、暇そうに日刊預言者新聞を読み耽っている。
3人の足音に気づいたのだろう、男性はこちらに目線をよこした。

「杖登録だね、こちらに」

無愛想な外見の男性は、喋り方も想像通りだった。抑揚の少ない話し方は礼儀のかけらも感じられない。
カノンはアーサーに薦められ、まず自分から守衛に用件を伝えた。

「カノン・マルディーニです。魔法薬調合資格の試験を受けに来ました。」
「杖を」

守衛はカノンの前に手を突出し、それだけ言った。

カノンがその手に自身の杖を乗せると、男性はそれを金色の秤のような物に乗せた。
数秒間、秤の皿がふわふわと動いたと思うと、秤の下の方から、ジジジ…と細長い紙が出てきたのだ。

守衛の男性はそれを読み上げる。

「29センチ、杖芯はバジリスクの牙、使用期間は3年。間違いはないな?」
「ええ、大丈夫です」

勉強に入るのが遅かったせいで、他の同級生よりも短い使用期間。
だがカノンは、自分が魔法の練習を始めてからもうそんなになるのか、と感慨深さを感じた。

「こっちの紙は預かる、杖を返す」

男性はカノンの赤い瞳を見ながら、杖を突き返す。
次にハリーも同じように杖の材質や使用期間を調べた。

カノンの時と同じく無愛想に杖を返した男性は、ハリーの胸元のバッジを見てハッとしたように目を開いた。


「待て、お前は…」

男性の視線がスッとハリーの額に移動しかけた瞬間、アーサーはハリーの肩を掴んでにっこりと愛想笑いを浮かべた。

「ありがとうエリック、急ぎの用事だからもう行くよ」

アーサーがきっぱりとそう言って、男性の視界からハリーを外した。そしてカノンを引き連れて、守衛室を足早に出た。

「さて、ここから別行動だったかな?」
「はい、また後で。ハリー、頑張って。しっかりね。私も精一杯頑張ってくるから」
「うん…カノンも頑張って」

やっとのことで返したハリーの言葉を聞いて、カノンは自信ありげににっこりと笑った。
そして一度頷くと、背筋を伸ばしてスタスタと人ごみの中へと消えて行った。


次に会う時は、双方とも笑顔で会えるようにと願いながら。






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