今、欲しいもの


伏黒恵、二十歳の誕生日。

「恵、今年の誕生日何が欲しい?」
 毎年十二月にする質問といえば決まってこれだ。出会った当初は苺のショートケーキが食べたいだなんて可愛いことを言われたこともあったがそれも今や昔の話。最近のプレゼントは家電が壊れたから変えて欲しいとか授業で必要だから買ってくれとかそういう事務的なものばかり。去年はなんだっけ?四月に新居に移るから家電を買ってくれと言われた気がする。エアコンを導入した年もあった。だからきっと今年もそういうものが来るんだろうなと勝手に考えていたのに。
「五条さん」
「え?」
「だから、五条さん。アンタが欲しい」
「あー、一応聞くけどそれってどういう意味?」
 予想外の答えにらしくもなく狼狽えたのは認める。他の意味かもしれないと最後の砦に質問したところ、彼からの返答は至極あっさりしたものだった。
「アンタが好きで抱きたいって意味です」
「へえ、そう……」
「言っとくけど本気だからな。あと答えは今じゃなくていいけど断るなら当日は勘弁して欲しいです」
「あ、ハイ」
 いつも通りのらりくらりと躱そうとしたのに先に釘を刺されてしまった。仕方ないので真面目に考えてみるものの恵からの告白が意外すぎて脳の処理が追いつかない。二人の間に微妙な間が流れて気まずくなったのか、恵は「俺はこれから任務なんで」とそそくさと立ち去ってしまった。

 さて、誕生日に欲しいものに自分と言われたのはさすがの悟としても初めての経験だった。しかも長年世話をしてきた弟のような存在に言われるとは。恵のことはずっと後見人として、先生として、今は仕事の先輩として自分なりにかなり真面目に接してきた方だと思う。だから恵の視線が時折まぶしいぐらい熱烈にこちらに向いていたこともわかっていたし、実際彼に好きだと言われたこともあった。ずっとのらりくらりと躱してきたわけだがここが腹の決め時かもしれない。悟だって恵に思われていることに関して何も思わないわけではない。たぶん好きだと思う。抱かれてもかまわないと思うぐらいには。だがたぶん恵の望むものは一回だけセックスしたいとか、なあなあで付き合ってくれとかそういうことではないのだろう。
 彼も今年で二十歳になる。そうすれば立派な成人だ。だからきっとそれなりに覚悟をして告白してきたのだということはなんとなくわかった。恵は待っていたのだ。悟が未成年では相手にしてくれないであろうことを見越して。
「こっちもまじめに考えなきゃだめだよなあ」
 悟は誰もいない高専で一人、大きなため息をついた。


○○○


 恵は悩んでいた。恵が悟に告白してから幾日か経ち、気付けば十二月二十一日。本日が告白の回答期限である。まだ、悟から断りの連絡はない。だが、代わりに当日の予定を聞かれることもなかった。数日前から悟から連絡があるたびに気が気ではなかった恵は振られたくない一心ですべての要件を手短に済ませ、任務で顔を合わせる時もできるだけ仕事の話だけに徹した。本当は早く二十二日の予定を聞いてほしかったがそれ以上に振られるのが怖かった。だから今日までずっと悶々とした気持ちのまま過ごしていた。だがそれも今日までだ。明日の回答はイエスだけ。いくら遅刻癖のある悟でもさすがにそういうことはしないはずだ。だからもう今日だけは連絡をしてくるなと思っていたのに。
「恵さ、今日の夜空いてる?」
 考えうる一番最悪の形での悟からの連絡。よりによって今日かよ。恵は舌打ちしたい気持ちをこらえて「一応」とだけ答える。それを聞いた悟は嬉しそうに「じゃあ夜家行くから」と告げて、そのまま電話も切れてしまった。もうだめだ。自暴自棄気味に任務にあたるも、思考は何もかも上の空で危うく大けがしそうにもなった。だが周りの助けもあり任務自体は予想よりも早くけりが着いた。
 帰り支度をしながら夜のことを思うと胸が苦しい。明日は誕生日ということで貴重な休みをもらっていた。だがこれから起こることを考えると仕事を入れてもらった方が百倍マシだったかもしれない。陰鬱な気持ちで部屋に戻ると見慣れない靴が一足。悟だ。家にあがると彼はキッチンで夕飯の支度をしていた。
「五条さん、来てたんですね」
「おかえり。今日早かったね」
 合鍵を渡したのはこの家に引っ越してすぐだったが、実際に使われたのは初めてかもしれない。いつもいる時にしか来ないのでそれは少しうれしかった。
 まだかかるからちょっと待ってね。とかいがいしく声をかけてくる姿に心を許しそうになるがまだ油断できない。なんてったって今日はまだ六時間もある。緊張をにじませて悟の動きを目で追った。
「ごめんね、明日ちょっと夜準備できるかわからなくて」
「いえ、うれしいです。ありがとうございます」
「本当?目が笑ってないけど」
 悟は冗談交じりに肩をすくませて笑っていた。その様子は今まで通りのやりとりと全く変わらなくて、やはり告白は無かったことにされてしまうのだろうかと心が曇る。だがテーブルに並べられたあたたかな料理の数々から悟の愛情が伝わってきてそれならそれでもいいのかもしれないなんて少しだけ心が慰んだ。

「ご馳走様でした。おいしかったです」
「そりゃよかった。あ、ケーキもあるよ」
 もちろん苺のショートケーキ。そう言って悟は冷蔵庫から大きなケーキを取り出した。二人で食べきれないでしょ、とあきれたが、「大丈夫だよ、僕一人でも余裕だし」などとのたまうので「ハイハイ」と流した。初めての誕生日から何年も経っていたが毎年この日だけは必ず苺のショートケーキだった。今年も同じようにお祝ができるのはうれしくもあり、まだ自分は子供のままなのかと少し寂しく感じた。

 そのあとお互いにお風呂に入ってから二人はリビングで近況を報告しあった。別にそれなりの頻度で会っているのだから不要だと言ったが、悟は山ほど質問してきて恵のアレコレを聞き出していった。最近強かった呪いの話とか、後輩とはうまくやっているかとか、今日けがをしそうになった話までさせられた。理由は絶対にからかわれるので言わないけれども。そして時刻はすでに二十三時も残り半分。タイムリミットが刻一刻と差し迫ってきていた。
「あの、五条さん……」
「ん、なに?」
「もうすぐ日付変わりますけど約束覚えてますよね」
「忘れてないよ、恵はせっかちだな」
 あと三十分待って。悟は照れくさそうにそう笑った。すこしはにかんだような笑い方だったがからかうようなものではなく、慈愛に満ちた表情だった。大切なものを見るような視線が恵の心に刺さって抜けない。ああ、やっぱり俺はアンタがすきだ。絶対振られたくない。自分の気持ちを再確認した恵はこの三十分が何倍にも感じられた。
 日付が変わるのを今か今かと祈るように待っていると突然恵のスマートフォンがピコン、となった。何かメールでも来たのだろうかと。確認しようと手を伸ばすがそれは悟に阻まれた。
「待って」
「いや、でも何かの連絡かも」
「今年は僕が先だから」
 悟の一言にハッとして時計を確認すると午前零時をちょうど回ったところだった。つまりもう二十二日になっており、お断りの申し出のタイムリミットは過ぎたということになる。バッと顔を上げると悟が笑った。
「なんだよ。その期待した目はさ」
「だって、それってそういうことですよね」
「そうだね……プレゼント、ちゃんと用意してるから」
 そう言って悟は恵の左手をそっと取った。手にはいつのまに持ったのかきらりと光る小さな輪っかが握られている。指輪だ。そう認識するときにはそれはするりと恵の左手の薬指にはめられていた。左手を蛍光灯にかざすと薬指に水色の小さな石のついた指輪が燦々と輝いていた。
「えっと、その、五条さんこれって」
「僕も結構いろいろ考えたんだよ。恵の熱い視線とか気づいてないわけじゃなかったし」
「だったらなんで今まで……」
「それはごめん。でもちゃんと考えて恵の気持ちに向き合おうと思ったらいろいろ考えちゃってさ」
 だからこれは僕なりのけじめ。恵のこと大事にしたいし、ちゃんと大事にしてよね。悟は照れた笑い顔のままそう言った。
「……はい、ありがとうございます」
「で、恵の返事は?」
「一生幸せにします」
「生意気言って」
 でもうれしい。そう言って悟は恵の手にもう一つ指輪を渡した。こちらは深い青の石がついた指輪。恵のものより少し大きいそれを受け取って悟を見ると彼はそっと左手を差し出した。
「なら、恵がそれをつけてよ」
 差し出された手は真っ赤でたぶん緊張しているのだろう、握ると汗で少し湿っていた。それがうれしいなんて自分は変わっているのだろうか。だが緊張しているのは自分も同じで、震える手でなんとか彼の薬指にそれをはめた。
「絶対に幸せにします」
「ありがとう、恵」
 感謝したいのはこっちなのに、その表情があまりにもきれいだったから言うよりも先に唇を寄せていた。チュッという軽いリップ音を皮切りにそれは舌を絡める甘いキスに変わる。時折鼻にかかるような甘い声が悟から漏れてそれだけで気持ちが昂るのを感じた。我慢できなくて恵は無我夢中で彼の唇をむさぼった。
「恵、がっつきすぎ」
 唇を離してすぐに文句を言われたが、こちらは散々待たされているのだから少しは我慢してほしい。非難めいた視線を送れば、なにさと笑われた。
「もう我慢できません。ベッド行きましょう」
「恵もっとムードとか大事にしないと女の子に嫌われちゃうよ」
「俺には五条さんだけだから問題ありません」
 真剣に答えたはずなのに悟のツボに入ったのか大笑いされてしまった。しばらく笑ったあと「いいよ」という彼の目じりには涙がたまっていた。笑いすぎのせいだろうとは思ったが、それがうれし涙だったらいいのにと恵はらしくもなく祈った。

○○○


「そういえばなんでこの指輪、青い宝石がついているんですか」
 朝、二人で寝るには小さすぎるベッドの上で恵はそう、疑問を口にする。昨日は緊張と興奮でそれどころではなかったがこうやって一夜明けると少し不思議だった。
 恵の印象ではこういった指輪は何もないシンプルなものか、もしくは透明なダイヤモンドがついていると思っていた。だが左手の薬指に収まる小さなそれには悟の目に似たネオンブルーの宝石が埋め込まれていた。
「あ〜恵の名前言ったらさ、絶対カラーストーンがいいですよって勧められちゃって」
 なんて言ったかな。なんとかトルマリンって言われた気がする。なんて悟は少しバツが悪そうに言った。もっとシンプルな方がよかったかなと聞かれたがそんなことはないと首を横に振った。
「いや、五条さんの目みたいできれいだと思います」
「あっそ」
 そっけない返しだったが耳まで赤いので文句は言わなかった。悟の手にするりと指を絡めると、控えめに握り返してくれたので照れ隠しなのは間違いない。絡めた指に収まっている指輪をなでる。こちらは自分のそれとは違う宝石が埋め込まれていた。
「こっちは石違いますよね」
「ああ、こっちはタンザナイト?って言ってたかな。二人とも十二月生まれだって言ったらこっちって」
 で、恵の目の色に似てたから採用したの。彼はやはり照れ隠しなのか少し早口に告げた。
「嬉しいです……」
「……うん、よかった」
 悟は目を細めて微笑む。そこには確かな安堵が感じられた。最強でも緊張するんだな。それが自分のことなのがたまらなく嬉しかった。
「でもまじで大変だったんだよ。時間ぎりぎりだったし。恵の石はそれしかないっていうから超特急でサイズ直してもらってさ。一応イニシャルは入れてもらったけどデザインもうちょっと凝りたかったな」
 悟は手を上にかざしてそうぼやいた。その言い方がなんだか子供のようで、可愛いと思ってしまうのは惚れた弱みなのだろうか。
「今度は俺がプレゼントします。指輪」
 彼の手を取ってそっと薬指に口付けする。からかわれるかと思ったが彼はなにも言わなかった。見上げると真っ赤になって口をあけていたからそのまま唇にもキスをした。

今、欲しいもの


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