遊覧


「恵、明日デートしよう」
「嫌です」
 五条からの突飛な提案に伏黒は読んでいた雑誌から顔も上げずに素早く拒否の声を上げる。絶対にろくなものではないと伏黒の今までの経験が告げていた。だがそれで引き下がる五条だったならきっと今までだって苦労はなかっただろう。五条が「顔ぐらい見ろよ」と言いながら頬をつねってくるので、伏黒は手を払いのけてうっとおしそうに雑誌から顔を上げた。
「触らないでくださいよ、まったく」
「えーなんで。つれないなあ」
 場所は恵の好きでいいからさ。五条は全く意に介していない様子で伏黒の顔を覗き込んだ。サングラスの奥の目がきらきらと輝いている。いつ見てもまぶしいその目から逃れたくて雑誌に視線を戻したが内容は全く入ってこなかった。
「……人のいないところならいいですよ」
「本当!ならさ、僕行ってみたいところがあるんだよね」
 結局折れて返事をするとワントーン上がった声が返ってくる。その心底うれしいという様子を隠しもしない声音に、悪い気はしないのは惚れた弱みなのだろうか。伏黒は内容の入ってこない雑誌を機械的にめくりながら五条の次の言葉を待った。
「じゃあ明日迎えに来るから。寮の前で待ってて。時間は九時ね」
 また明日。五条はそれだけ伝えるとあっという間に出て行ってしまった。扉の閉まるバタンという音で五条がいなくなったことを確認して伏黒はようやく顔を上げる。五条は結局どこに行くかは言わなかった。
 またどうせ任務とか任務とか任務とかなんだろ。騙されてがっかりするのが落ちだと言い聞かせても浮かれる自分の気持ちを抑えることは今の伏黒にはどうしてもできなかった。

〇〇〇

「おまたせ〜。待った?」
「遅いですよ、五条先生」
 五条は待ち合わせより十五分ほど遅れてやってきた。どうせすぐ来ないだろうとは思っていたのでとりあえずの苦情だけ伝えておく。
「で、どこに行くんですか」
 どうせ任務でしょ。というのは一応飲み込んでおく。言ったらそうでなかった場合も任務にされそうだった。五条は普段通りの口調で「じゃあ、いこっか」とだけ言って伏黒の手を握った。
「ちょっと、どこにいくんですか……ってうわ」
 手を握られた瞬間に足が宙に浮く。空を飛ぶこと自体は初めてではなかったが何も知らせないまま勝手に飛ばないでほしい。不満げに顔を見るとサングラス越しに目が合った。
「ごめんごめん、でもショートカットした方が早いから」
 五条に手を引かれ空中に繰り出す。向かう方向には高専裏の山が見えた。人に見られたらどうするつもりなのかと思ったが人目につきそうな場所ではないようだった。
「そろそろつくよ」
 見下ろすと山の緑の合間に少しだけ茶色い地面が見える。目を凝らすと策で囲ってあるようにも見えた。だんだんと茶色が近づいてきて、それが展望台であることがわかった。そしてそう認識するころには足が地面についていた。
「展望台、ですか。先生、こんな所よく知ってましたね」
「いんや〜。たまたま散歩してたら見つけたの」
 高専一望、と笑う五条の表情はいつもより寂しげだった。
「よく来たんですか」
 誰かと。本当は聞きたかったがそれ以上何も聞けなかった。だが五条は予想に反してかぶりをふった。
「誰かと来たのは恵とが初めてだよ」
「ッ!……そう、ですか」
 見透かされている。なんとなくそう感じた。だから何も言えないまま景色に目を向ける。確かに視界は開けていた。見下ろせば高専の敷地がよく見えた。
「恵はなんで人のいないところがよかったの」
 景色に見入っていると突然話を振られた。そういえばこの誘いに了承したときそう伝えた気がする。理由なんて大したものではなかったが答えたらからかわれそうでいやだった。
「別になんでもいいでしょ」
「えー、気になる気になる」
 五条はサングラスを外してこちらに詰め寄る。サングラス越しでもまぶしいのに、何にも覆われていない今は一段とまぶしかった。だからつい、言うつもりのないことを口にしてしまうのだ。
「……アンタが町歩いてて注目されてんのはなんかムカつく、から」
「……それって、はは、なにそれ」
 恵君、それ嫉妬? 五条のからかう声が山に響く。だから言いたくなかったのに。伏黒は不貞腐れた顔でもう一度眼下の景色に向き直った。
「……嫉妬だって言ったらアンタ責任とってくれるんですか」
 声になるかならないかの呟きはあっさりと風に流された。五条はまだ笑いを堪えているのか、くっくっという小さなうめきだけが聞こえてきた。
 だが段々とそれも鬱陶しくなってもう一度向き直る。すると意外にも五条の顔はいつものふざけたからかい顔ではなかった。むしろなんだか嬉しさと優しさに満ちた微笑みに近い表情に見えた。
「恵って本当可愛いよね」
「うるさい」
 口調は普段通り。ムカつく事しか言わないのにそれでも五条の視線はとても優しい。これって少しは期待してもいいって事ですか、五条先生。
「五じょーー」
「もう、行こうか、恵」
 名前を呼ぼうとすれば遮られる。それ以上言ってはだめだと言外に伝わった。だが「また飛ぶよ」と言って握られた手は行きがけよりもとても熱かった。だから伏黒はそれ以上何も言えずに空に浮かぶまま五条に身を任せた。

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