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事後の素っ裸の五条の写真を撮る話
7月の本に載る予定です。


「五条先生、これは何ですか」
 ここは五条の寝室、彼の身体に合わせた大きなベッドの上で、見慣れたはずのベッドサイドに見慣れない何かが乗っていた。珍しい、と伏黒は思わず目をとめる。
 目についたのは黒くていびつな形をした小さなバッグだった。ーー先生の部屋にものがあるなんて珍しい。そう思った伏黒は先ほどまで抱いていた身体を離し、それに手を伸ばした。
 いつもの五条の部屋は簡素で人間味のない部屋だった。伏黒は招かれてからというもの、ここでは一つの行為しかしたことがなかった。そして部屋には行為に付随するもの以外は何も置いてない。伏黒の認識はずっとそれだけだ。だから不思議に思ったのだ。
 視線を戻せば、五条は裸で寝ころんだままこちらに手を伸ばした。 
「カメラだよ」
 五条はそれを伏黒の手からするりと奪いとると、ファスナーのついた口を雑に開けた。手を突っ込むと黒いボディが姿を現す。中から出てきたのは確かにカメラのようだった。だが、それは普段見るカメラよりも一回り小さい気がした。
「昔のカメラ。呪われてるって言われて引き取ったけどデマだったみたい」
 いわくつき≠ネどと呼ばれて引き取ってきたカメラ。そんな怪しげなものを寝室にまで持ち込むなんて、やはり彼はどうかしている。伏黒はため息をついて彼を見た。だが五条はさして気にすることもなく、一度取り上げたそれを再度こちらによこした。しぶしぶ受け取ると、大きさのわりにずっしりと重く、金属の冷たさが手に伝わってくる。感触を確かめながら慎重に全体を見回すと軍艦部分にはモニターがなく、代わりに小さな紙切れが挟まっていた。
 なるほど、伏黒が目にしたことのあるカメラとはだいぶ違う構造のようだ。本当に写真など撮れるのだろうか。伏黒がいぶかしみながらしばらくそれを見つめていると、五条は目を細めてカメラを指さした。
「気になるならいいよ。撮っても。フィルム入ってるから撮れるよ」
「ふいるむ?」
 聞きなれない言葉だった。確かにこのカメラには電源ボタンもないし、モニターもないから普通には撮れないのだろう。しかし伏黒にはどうやって撮ってよいのか皆目見当がつかなかった。どうすれば撮れるのかと五条に聞けば彼はすこし目を見開いて「そっか、知らないんだ」とつぶやいた。
「写ルンですって知らない? インスタントカメラの」
「それは知ってます。釘崎が一回持ってきて三人で撮りました」
 エモい写真が撮れるとかで。そう言うと五条は「一周回って新しいってやつか?」と驚いていた。
「まあ、似たようなもんだよ。入ってるフィルムの分だけ写真が撮れる」
 五条は目を細めながら、そう説明した。思い出せば前に見たあのカメラも二十七枚しか撮れなかったはずだ。だがあれはもっとシンプルな作りをしていた気がする。手元のカメラには電源ボタンはないものの、レンズ周りにたくさんの目盛りがついており、少し難しそうだった。
「慣れればすぐ撮れるって」
 伏黒が戸惑った顔をすると五条は笑ってみせた。五条はカメラをまた伏黒からカメラを取り上げ、目盛りを適当に合わせたかと思うと、すぐこちらに戻した。これで撮れるからと、渡されたカメラとともに手が触れ合う。彼は耳元に顔を寄せて息を吹きかけるように唇を震わせた。
「ねえ、撮ってよ。恵」



「わかりました」

 言われるままベッドから降りて形だけカメラを構えると、五条はゆるりとこちらに視線を向けた。すらりと伸びた手足をだらりと伸ばして、ベッドのふちに腰をかける。ただ素っ裸で座っているだけなのに、それだけで妙に様になっているのだから不思議な男だ。
「ファインダー、その小さなガラスの窓を覗いて」
 伏黒は言われた通り小さなガラス窓をを覗いた。覗きこめば視線の先にゆがんだ五条の姿が映し出される。
「ピントを合わせてみて」
 五条は手の動きでレンズを回すよう指示を出す。伏黒は見よう見まねでファインダーを覗きながらそろりそろりとピントリングを回した。ピントが合っていくたびにファインダーに結像した彼の輪郭がピッタリと中心に揃う。ピントが合うとはきっとこれを指すのだろう。その初めての感覚には不思議な感動がともなった。伏黒は一度深呼吸をしてから、ゆっくりとシャッターを切った。カシャンと音がして写真が撮れたのだと分かった。
「上出来」
 五条は少しだけポーズを変えて笑った。もう一度撮ろうとシャッターボタンを押してみたが何の反応もない。いぶかしんでいると五条は盛大に噴き出した。
「巻かないとさ」
 五条の指示は伏黒にはわからなかった。教えろと視線を投げれば、笑う彼の手が伸びて巻き上げレバーをぐいと引いた。カメラからガシャンという音が響く。
「ごめんごめん、これで撮れるよ」
 シャッター押したら毎回やって。ツボに入ったのかまだ笑う五条はそう指示だけしてベッドに戻った。
 五条はファインダーの中に戻ると今度はシーツを乱雑に巻きつけてベッドに横たわった。こちらに視線を向けなおした彼は先ほどのふざけた表情をすっかり引っ込めて真剣にこちらを見つめた。
 伏黒はその瞳をとらえるべく、姿勢を変えず何回かシャッターを切った。カシャン、ガシャン。シャッター音とフィルムの巻き上げ音が静かな寝室に順序良く響く。それを数回続けたもののだんだんこの距離が嫌になって、伏黒はベッドに乗り上げた。ギリギリピントの合う近さまで寄って、カメラを構える。四角く切り取られた視界はすぐに五条でいっぱいになった。実際にピントが合っているかなど、今の伏黒には皆目見当もつかなかったが、それでも視界いっぱいに広がる五条の姿を捉えるのは確かな満足感があった。だからきっとこれでいいのだと伏黒はぼんやり思った。
 伏黒がカメラを向けている間、五条はずっと笑みをたやさなかった。均等に整った表情が絶え間なくファインダー越しに提供される。その人間味のない笑みは機械的な美しさを伴っていたが、伏黒はそれがたまらなく気に入らなかった。だからその余裕そうな表情を崩したくて、今度は馬乗りになってカメラを構えた。くすんだファインダー越しに見える彼は、それでも挑発的な笑みを浮かべている。
「いやーん、恵ちゃんったら大胆」
 顔がマジでうける。なんて普段通りの口調で揶揄いながらも、五条はファインダーを飛び越えてこちらをしっかりと見据えていた。伏黒の目をとらえて離さない表情が四角い視界の端から端までを支配している。その鋭いまなざしに中てられて伏黒は馬乗りのまま夢中でシャッターを切っていた。

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