決別


画家パロディ
画家未満大学生恵×天才画家悟が出会ってからなんやかんやしてハッピーエンドになってほしい小説の冒頭
本は12月のイベントで出したいです。





 それは嵐のような衝撃だった。

 姉の津美紀に連れられて向かったとある美術大学の卒業展でのことだ。
 俺、伏黒恵は芸術とは無縁のいたって普通の中学生だった。その日だって別に行きたくて行ったわけではない。津美紀がどうしてもというので仕方なくついていっただけだ。
 だが俺はそこである作品に出会った。
「決別」
 絵にはそう、タイトルがつけられていた。作品はニメートルを超える高さと五メートルはあろうかという幅の大作で、その場の全てを圧倒していた。作者は五条悟。勿論名前など知らない。だが俺はその作品に圧倒された。
「すげえ」
 目の前に立った俺はそれだけを絞り出すようにつぶやいた。うねるような赤い渦巻に吸い込まれそうになる感覚は、今でもずっと脳にこびりついて離れない。それぐらいのインパクトで五条悟の作品は俺の脳内を一瞬にして席巻した。

 俺はその日中、ただただその作品を見つめていた。津美紀が他の作品全てを見て回ってくる間、俺はひたすらに五条という芸術家の言いようのない怒りと悲しみを一身に受けていた。
「恵、もう行くよ」
 津美紀の呼びかけにハッとして振り返る。俺は声をかけられたことで自分がどこにいたのかを思い出した。時間にすると二時間ほどだっただろうか。知らぬ間に俺はずっとその場に立ち尽くしていたようだった。津美紀に呼び止められるまで俺の時間はすっかり止まっていて、自分と彼の作品だけの空間に閉じ込められていた。津美紀は放心状態の俺を見て、困ったような表情を浮かべて「帰ろう」とだけ告げた。俺も無言でそれに従った。
 それからこの日の話は二人の間ではなんとなくのタブーとなって、お互いその話題に触れることはその後一度もなかった。
 だが、間違いなくこの日は俺の人生を百八十度変えた。それだけはまず間違えようのない真実だった。




「だめだッ!」
 広いキャンパスに気が触れた叫び声が響き渡る。ここはとある美術大学。あれから早数年が経ち、俺は大学で絵を描いていた。あの日の体験から美術に一切興味のなかった俺は死に物狂いで絵を描くようになり、必死に勉強して難関と呼ばれる試験を突破した。
 だが、憧れの五条悟はとっくの昔に卒業しており(自分が中学生の時に卒展を見たのだからわかりきったことだった)、期待した作品についてもほとんど残されていなかった。それでも俺はいつか彼と出会った時に無様な作品は見せられないと、寂れたサークル室に引きこもり必死に腕を磨いていた。その生活もすでに一年以上続いており、いつの間にか大学で二度目の春を迎えていた。それでもうまくいかず行き詰っていたのだが。
「お。頑張ってるか、恵」
「お疲れ様です、禪院先輩」
 ガラリと扉が開き、人気のないサークル室に珍しい来客が訪れた。俺は一向に進まないキャンバスに向き合ったまま、ぞんざいに挨拶を投げた。
「禪院って呼ぶな」
 扉をくぐって入ってきたのは禪院真希先輩だった。先輩は一つ上の三回生で、このサークルの代表だ。彼女は俺の雑な挨拶にも気にすることなく部屋を見渡した。
「相変わらず恵だけか」
「そうですね。いつものことです」
 サークル室には百号キャンバスがかけられるイーゼルが三脚ほど並んでいたが、俺の絵以外は一枚もかかっていなかった。もともと皆で足並みを揃えるということがとことんできないここの学生にとって、普段の何もない時期にサークル活動に励む者など皆無に等しい。とくにこのサークルは真面目に作品制作に取り組もうというお硬めな方針ため、俺と先輩以外はほとんど寄り付かなかった。先輩自体も来るのは稀だ。
 先輩はずかずかと部屋に入ってくると、近くにあったボロボロの工作椅子を引き出して座った。そして俺の絵をひとしきり眺めた後、一枚のチラシを差し出した。
「これやるよ。恵、会いたいって言ってたろ」
「誰の話ですか、ってこれ」
 俺は彼女から訝しげにチラシを受け取った。それはいかにもその辺のコピー機で刷られたといった見た目で、内容に重要性はあまり感じなかった。どうせ大学のちょっとした催しだろうと期待せずに軽く目を通す。
 だが、最初の一行目で俺はその紙に釘付けになってしまった。
特別講師・五条悟
 その名は俺がこの五年間ずっと目標にしてきた男の名前だった。
 この五条という男は大学卒業後、芸術家としてごく細々とした活動しかしておらず、本人も作品もほとんど目にする機会がなかった。ただ、彼の作品だけが時たま美術オークションに出品され、そのたびにどこぞの億万長者が落札したとか、どこそこの会長の家に厳重に飾られているとか、そういった噂だけが世間を騒がしていた。
 そんな彼が大学の卒業生というだけで講師に来るなど本来ならありえないことだ。噂に過ぎない話ではあるが、彼は事故に遭い、片目しか見えないとか、吸血鬼に血を吸われ日に当たると死んでしまうとか、とにかく外に出られないのだと皆好き勝手言っていた。信憑性は無論ない。しかし彼がほとんど下界に降りてくることがないのも紛れもない事実だった。それが今になって講師にくるなんて。本当のことなのだろうか。訝しんだ顔で先輩を見やれば、彼女は頬杖をつきながら、口を開いた。
「なんでこんな手の込んだ嘘つくんだよ。それにもう学生ポータルにも上がってたぞ」
 先輩は嫌そうに顔を顰めて、服のポケットからスマートフォンを取り出してこちらに見せた。俺もそれを疑わし気に覗き込む。
 先輩が見せてきたサイトには、たしかに講義の案内が表示されていた。詳しく見ようと受け取ってページをスクロールすれば、講義の概略と、申し込みの方法が記載されていた。受付開始日を見ればすでに数日過ぎており、受講の枠はすでに半数ほど埋まっていると追記があった。
「ってこれもう受付始まってるじゃないですか」
 俺は慌ててスマートフォンを先輩に返して、代わりに自分のそれを取り出した。ブックマークから学生ポータルにログインして該当のページを探す。だが開いたページには先輩の見せてきた告知すら出ていない。いくら探してもページは見つからず、絶望の眼差しを先輩に向ける。
「三回生以上向けなんだよ」
 目の合った先輩はにやにやした顔でおそろしいことを口にした。就活セミナー兼ねてるから二年にはまだ早い。そう言って笑う先輩が今日はとても憎たらしく見えた。
「くそっ」
 俺は悪態をついて絵に向き直った。だが先輩は後ろからさらに言葉を投げかけた。
「出たいか」
「え」
 参加権を持たないことを突きつけられて絶望しているところに、先輩が問いかける。その問いは先ほどまでの問答でなくなったはずの選択肢だった。だったはずだ。だが、俺は迷わず答える。
「出たいです」
「いいねえ、そういうの嫌いじゃないぜ」
 この問いの意味を図りかねつつも答えを他に持ち合わせていない俺は彼女に乞うた。どうしたら出られますか。と。
「いいぜ、わかった。話しておいてやる」
「先輩……ありがとうございます」
 先輩はなにか手があるらしく強く頷いた。彼女は先程と同じにやけ顔だったが、それでも俺には何よりも尊い女神様に見えた。


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