曼荼羅


伏五が呪物探しに行く話。ほぼCPなし。時系列は恵高専入学直後

  一級呪物、天女の残した衣を探せ。
 呪術高専からの任務はいつも唐突だ。今回もまたその類の任務だろう。伏黒は与えられた資料に目を通しながら、深いため息をついた。呪術高専に入学したものの、一年生が一人しかいないからか担任がちゃらんぽらんだからか、座学の授業などほぼなく、実務訓練とは名ばかりの任務の押し付けが横行していた。伏黒は例にもれずの書類に眉をひそめつつ、それを寄こしてきた先生≠冷たく見やる。冷たい視線にさらされた彼は特段それに構うことなく、いつも通りの胡散臭いにやけ顔でこちらを見下ろした。
「恵なら全然余裕でしょ」
 呪物持って帰ってくるだけだしね。まあ、さすがに一人でとは言わないけど。でも次回から一人でお願いね。五条はそこまで一息に言ってから愉快そうに笑った。入学前からの付き合いとはいえ、この男が何を考えているか伏黒にはさっぱりわからなかった。だが任務は任務。任された仕事はきっちりこなさなければ自分としても気味が悪い。
「で、いつからなんです」
「今日だよ」
 どうせ拒否権なんてないですよね。そう不満を隠さず伝えると、彼はなんてことないといわんばかりの口調で恐ろしいことを伝えてきた。なぜこうも突拍子もないことばかり振ってくるのか。伏黒は眉間に思いっきり皺を寄せて、五条から目をそらした。
「午後には出発するから。荷物まとめておいてね。二泊ぐらい見ておいて」
 では、朝のホームルーム終了です。五条は高らかに、そして一方的に宣言すると、そのまま教室から出て行ってしまった。本来の授業スケジュールではホームルームから一限目は休みなく続くはずだった。だが肝心の受け持ち教員が出て行ってしまった以上、午前はもう授業はないということだろう。ここは本当に学校なのか。伏黒は眉間に皺を寄せたまま誰もいない教室を後にした。


 午後、新幹線とタクシーを乗り継ぎ、夜には目的地の近くまでたどり着く。言われた通り二日分の荷物を用意して訪れた場所は、ごくありふれた小綺麗な温泉宿だった。
「明日の朝、目的地に移動するから今日ぐらい温泉でも入ってゆっくりしてよ」
 五条はいつも通りのへらへらした様子でそう言った。書類以上の説明はするつもりはないらしく、彼はそれしか言わなかった。それどころか伏黒と荷物を部屋に残してどこかに行ってしまう。別々の部屋でも用意したのかと思い特段気にしていなかったが、温泉にも夕食の会場にも五条は現れなかった。だが夕食も、そのあとに用意されていた布団も二組で、本来ならいるはずの人物の輪郭をさらに強調していた。
 五条のいない、いるべき部屋は非常に居心地が悪かった。何故だかわからないがとてもそわそわして落ち着かない。戻ってくるのではという期待と、戻ってこないでほしいという恐怖が互いにせめぎあって気分が悪くなる。端的に言って最悪だった。それが五条のせいであることも最悪を助長した。
 眠れずに零時を回ったが、それでも五条が戻ってくることはなかった。残された小さな手提げ袋だけが部屋の隅に転がっていた。


 翌朝、朝五時。「恵!」と呼ぶ声で意識がほんのり覚醒する。寝ぼけ眼で見上げればいつも通りの黒服の五条が布団を見下ろしていた。いつ戻ってきたのだろうか。だが隣の布団は全く使用された形跡がなかった。
「ほら、もう行くよ」
 五条は寝起きの伏黒のことなんてお構いなしに引っ張り上げた。五条の長身に引っ張られ伏黒は伸びた猫のようにだらしなく吊られた。
「おはようございます、今何時だと思ってるんですか」
「昨日、明日は五時に出るって言ったじゃん」
「絶対言ってません」
 断じて聞いていないと反論したが、勿論伏黒に拒否権などない。伸ばされた身体をなんとか立て直して、伏黒は渋々ながら出かける支度に取り掛かった。

ーーーーー

 朝の準備もそこそこに連れてこられたのはひたすらに続く山だった。山を登れば尾根伝いに新たな山が現れる。突然の登山に伏黒は眉をひそめざるを得なかったが、言ったところでどうにもならないので五条の後ろを追って果てしなく続く山道を登った。
 最初の山登りで聞いた五条の話によれば、山の中に廃寺がありその寺に呪物が奉納されている、のだそうだ。呪物を奉納というのはおかしな話だが、元々は呪物ではなく奉納されていたもので、それに託された思いや周囲の評価が呪いを招いたのだという。呪いが吹き溜まるたび一時的な封印を施していたのだが、それも寺に坊主がいたころの話。廃寺になってからは封印を施す者もおらず、効果が弱まり頼るところもなく高専に依頼が来たというところらしい。
「五条先生、まだですか」
「恵、体力ないなあ」
 文句を言うとからかわれる。いつも通りのやりとりだが、額から垂れる汗のせいで、普段の三倍はうっとおしかった。無視すれば「図星?」とさらに笑われた。
「違います」
「言うじゃん」
「でも結構歩きましたよね。目的地って本当にあるんですよね」
 疑わし気に目をやれば五条はやれやれといったポーズをとった。伏黒はさらに目を細めて不満を伝えるが、瞬間、わずかに嫌な呪力が漂ってくるのがわかった。
「あ、恵もわかった?」
 五条が腕を上げて指を向ける。その方向に視線をやれば、さびれた古風な瓦屋根がひっそりと顔をのぞかせているのが見えた。



 二人は廃寺に侵入する。埃が舞ってかび臭い内部を探索すると、奥まったところにそれらしきものが目についた。着物だ。天女の衣は美しい着物に仕立てられていた。
 着物は輝かしいまでの白で大層素晴らしい出来だったが、周囲にはどんよりとした呪力がまとわりついていた。だから伏黒は手を伸ばすのをためらってしまう。その隙に五条が前に出て、その着物にするりと手を伸ばした。
「なんだ。こんなものか」
 五条はそう口にするなり、着物に袖を通した。普段の黒い洋服の上にまっさらな白がまぶしく光る。帯などの小道具はないので本当に羽織るだけであったが、それでも十分に仕立ての良さが際立った。
「な、アンタ何やってんだ」
「うん? 試着、かな」
 やっと目が慣れてきて、目の前の男の異常な行為をとがめる。だが彼はなんて事のないように返して、その場でくるりと回った。似合う? そう聞きながら回る彼には確かにその白が似合っていた。
「まあ、似合ってないとは思わないですけど……」
 でも普通、呪物なんて着ませんよ。伏黒がそう咎めても彼は何も感じていないのか、けらけらと笑うだけだった。
「まあ持って帰るにはこれが一番手っ取り早いかなと思ってさ」
 着物をまとう五条は大変優美で、呪物をまとっているとは到底思えなかった。だがその姿は普段のちゃらんぽらんな彼とは違い、この世の者とは思えない、なんと表現すればいいのか。そう、例えば幽霊のような。独特の空気をまとっていた。
 霞を見ているようで、うまく思考がまとまらない。くそ、なんでだ。伏黒は目をこするが視界の靄は晴れることなく、むしろ頭がガンガン痛むような感覚に襲われた。立っているのもつらいぐらいだが、なんとか足を踏ん張って五条を見ようと前を向く。
 だが、伏黒の視界はくらくらとゆがみ、しまいには足元もぐにゃぐにゃと揺らいでいった。どこかに行ってしまいそうな、彼岸の彼方に消えそうな彼に手を伸ばすが、その手は空気を滑ってそれ以上進まなかった。
「うーん、恵にはまだ早いかな」
 五条との間に生まれた無限に阻まれて、彼にも着物にも手は届かない。目の前にいるはずの五条は、それでも遥か遠くにいるようだった。行かないでくれ。伏黒はかすむ意識の中で必死に願ったが、そのまま視界のゆがみは限界を迎え、そのまま意識を手放した。

ーーーー

「おっと」
 五条は倒れた伏黒の身体を抱きとめる。勿論、薄い無限の膜を張りながら。彼の纏う天女の衣は、まさしく一級呪物にふさわしい大変毒気の強い代物だった。特級の五条からすればなんてことのないただの布だったが、まだ二級の伏黒には瘴気が濃すぎた。持ち帰るにも伏黒と呪物を両方持って山を降りるには手が足りないので着てみたわけだが、その判断は間違いではなかったようだ。
「途中まではついてこられると思ったんだけどな」
 恵君もまだまだ修行が足りませんなあ。五条はまたけらけらと笑いながら、倒れた伏黒を抱えて廃寺を後にした。

 五条は意識のない伏黒を抱え先ほど通ってきた山道を下る。昨夜、情報提供者に聞いた話によれば、夜は森の中の呪いが強化されて厄介らしい。人が入る場所でもないので討伐は不要とのことだったので、戦闘はできる限り避けたかった。眠る伏黒を抱えなおして五条は歩を進める。
「恵ぃ、重いよ。自分で歩いてよ」
 五条が声をかけるも、もちろん伏黒からの返事はない。独り言はむなしく空を滑り、森にこだました。
「あーあ、嫌になるね。子守なんて」
 五条は一人であるのをいいことに好き勝手言いたい放題で歩いていく。そのたびに白い着物の裾がひらひらと揺れて、木々の合間から漏れる太陽光を反射した。
「早く大人になってよ」
 小さく告げられた言葉も、誰の耳に入ることもなく消えていく。五条はゆるゆるとその場に立ち止まり、微動だにしない伏黒の身体を抱きしめた。その身体は五条の想像よりずっと温かく、これは死体ではなく生きているのだと実感する。こんな些細な任務だって、何かの間違いで死んでしまうことだってあるかもしれない。今までずっと危険と隣り合わせですっかり忘れていたが、彼はまだ呪術師としての未来をスタートさせたばかりなのだ。自分とは何もかも違う命の軽さに五条はひとり身震いした。
「置いていかないで」
 髪の白と着物の白が木漏れ日を反射してきらきらと虹色に輝く。伏黒を抱きとめる五条はさながら伝説の天女のようだった。だがその姿を見た者は、やはり誰一人としていなかった。


ーーーー


「ここは……」
 ハッと目を覚ますと、朝見た温泉宿の天井だった。今までのは夢だったのか。伏黒が部屋を見渡すと、五条が普段の黒服で胡坐をかいていた。
「あ、恵おはよ」
「おはよう、ございます?」
 とりあえず布団から這い出る。身体がだるく、まるで風邪をひいた後のようだった。やはりあれは夢ではない。伏黒は五条に向き直る。
「五条さん、すみません」
「なんだ、殊勝じゃん」
 別にそういうときもあるだろ。伏黒のどんよりした謝罪に対し、五条は普段通りの軽いノリで返してきた。なんだか気が抜けるが、きっとこれが彼なりのやさしさなのだろう。非常にわかりにくいが、最近すこしだけわかってきた気がする。
「俺、油断してました」
「うん」
「次は絶対、うまくやります」
 伏黒の瞳は新緑のような煌めきで、五条の湖面のように凪いだ瞳を真っ直ぐ捉える。その輝きは決意の表れとでもいうようにぎらぎらとした獰猛さを孕んでいた。五条はそれを認め、少しだけ目を細める。
「期待してるよ」
「はい」
 でも、まだ寝てなよ。五条はそう言って伏黒を布団に戻す。二人の間に心地よい静寂が生まれ、伏黒は安堵と決意を胸にまた目を閉じた。










【あとがき】
※曼荼羅とは天女の衣のことです。遠野行きたい。
こちらは呪霊討伐とか呪物探しをメインにした短編集を作りたくて書いていたものです。本にできるかはすごく微妙ですが十二月ぐらいには出したいなあ。とりあえず買った妖怪の本を読み終われ。話はそれからだ。

……

元ネタは遠野物語拾遺の三です。天女が水浴びをしている間に釣り人が衣を持ち去り天女が帰れなくなってしまう系の話です。
天女は持ち帰った男に「衣はどこか」と問います。男は殿様に献上したと言います。衣がなくなり帰れなくなった天女は代わりに布を織りました。それが曼荼羅です。天女は曼荼羅も殿様に献上してくれといいます。受け取った殿様はたいそう喜んで天女を近くにおきます。天女は殿様の近くでただ何もしません。そしてそのうち夏が来て土用干しが行われ、その際に天女の衣も虫干しされます。その隙に天女はその衣を素早く奪い六角牛山の方に飛んでいってしまいました。殿様は天女と宝物を同時に失ってしまい嘆きました。でもずっと嘆いていても仕方ないので残った曼荼羅を寺に収めました。
というのがざっくりしたあらすじです。説明ないとわからないですよね。わかりにくい話ですみません。しかしこの小説の舞台が遠野かというと微妙です。なぜなら私が遠野に行ったことがないからです。コロナじゃなかったらロケハンと称して旅行に行きたかった……

参考文献
京極夏彦・柳田國男(2014)『遠野物語拾遺retold』 KADOKAWA

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