罠と×


七五 五条が七海の名前を呼ぶ話


「なーなみ!」
 五条悟が自分の名前を呼ぶとき決まって軽薄な響きでその名前を口にする。高いトーンで小ばかにした口調で呼ばれるのは本当に腹立たしいが、長年の付き合いで耳になじんでしまったのも確かだ。
「七海」
 だが稀に、本当に稀な話ではあるのだが、軽薄さのない普段より低めの声で七海と呼ぶときがある。その声を聴くと今まで軽くあしらってきたはずの五条の言葉に耳を傾けざるを得なくなってしまう。それがまたなんとも腹立たしい。
「なんの用ですか。五条さん」
「あ、用って程じゃないんだけど。今夜暇?」
 ほらきた。大体こういう誘いはいい内容ではない。今夜というワードは自分を釣るための罠だ。彼は七海が自分に気があるということを理解している。だから自分にだけ伝わるよう的確に誘い文句を使う。それを聞いた七海が少しでも気を緩めるのを待っている。だが七海が期待して返事をしたところで仕事か何かの手伝いをさせられるだけだ。だから罠。断るに越したことはない。越したことはないのだが……
「それは業務時間外ですよね。残業代は出るのですか」
「残業代、ねえ……まあ呪物探しだから仕事っちゃ仕事なんだけど」
「やはり、そうでしたか。出ないのなら断ります」
「えーなんでさ。あ、わかった。じゃあそれは僕ってことで……」
 期待したんでしょ。目隠しに覆われた目が三日月にゆがむ。見なくてもわかるそのしぐさに見透かされていると感じた。結局返事をしてしまったが最後すでに罠にはまっている。だがはまっただけでは終われはしない。七海はぐいと五条との距離を詰めて手首をつかんだ。
「いった、おい!」
「五条さん。その言葉忘れないで下さい。絶対逃がしませんよ」
「あーはいはい、わかったって。じゃあ夜迎えに行くから。伊地知が!」
 そう言った五条は軽く手を振り払って飛ぶようにどこかへ行った。残された七海は自分の手を確認する。思いっきりつかんだので少しだけジンとする感覚があった。感覚があるということは、彼の手に直に触れたということだ。これは期待していいってことでしょうか、五条さん。
 そして同時に掴めやしないと思いっきり掴んでしまったことを後悔する。手をぐーぱーして感覚を思い出すが相当思いっきり掴んだのは間違いない。五条の手首は痕になっているかもしれない。自分の馬鹿力に嫌気がさす。
 考えるのはやめましょう。これは自分を罠にはめようとした罰ですよ、五条さん。七海は夜の準備をするべくその場を後にした。

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