鬱血


「セックスしようか、恵」
 
 
 
「五条先生……また、酔ってますね」
 五条先生はたまに飲めもしない酒を飲んでくることがある。
 だいたいは家か高専絡みか、なんにせよしがらみの多い男だから、最強とはいえ断れない場面もあるだろう。そういう時に限って先生は俺を訪ねてきて、こうやって誘うのだ。
「酔ってちゃだめ?」
「駄目って……」
 普段の黒い目隠しを外し、代わりのサングラスもしていない野ざらしの顔。少し火照った頬と潤みがちな空色の瞳に見つめられると、あっという間に身体の所有権がなくなって、全く身動きが取れなくなる。こんな関係、絶対断ろうと決意しても結局は全て台無しだ。だから俺はヤケクソみたいに口を開いた。
「……します」
「よかった」
 先生はホッとしたような表情でゆるく笑った。断れないとわかっているくせに、変なところで臆病で、そんなところも憎たらしい。普段こんなこと絶対に言わないのは断られるのが怖いからですか。先生。それとも酔っていないと出来ない理由があるんですか……
「ねえ、恵。好きだよ」
 五条先生は追い討ちをかけるように愛の言葉を囁く。
「俺もです。先生」
 つられて俺も返事をする。二人は見つめ合い、甘い空気が場を支配していく。
 
 
 でも。
 
 
 こんなの嘘っぱちだ。それぐらい子供の俺にだってわかっている。わかりたくなんてなかったのに。でもどうしたってわかってしまう。
 彼の心はまだ過去に囚われている。忘れてたくても忘れられないから。だからこうやって酒の力で有耶無耶にして、過去と現在をないまぜにしようと試みる。それが俺は虚しくて腹立たしい。
「ね、悟って呼んでよ」
 いつもみたいに。彼は焦点の合っていない目を向けてそう啼く。酔っ払って意識が混濁しているのか、蒼い瞳にはもう俺のことなんて映らない。そんないつもはいつだって存在しないのに。俺も馬鹿になりそうだ。
「悟、さん……」
 慣れない名前はいつだって舌をざらつかせて、理性の味を消してしまう。気持ち悪いのにやめられない。自分が嫌になる。
 俺だってなれるものならなりたかった。
 
 夏油傑に。

「恵、ありがとう」
「アンタって本当最低だ」
 名前を呼ばれて嬉しいなんて、なんでこんな時に浮かれていられるのだろう。
 最低だ。俺は盛大に舌打ちして悟さん≠ベッドに引き入れ、乱暴にキスをした。それでも目の前の男は綺麗に微笑むだけだった。

鬱血


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