紫煙


 社内には喫煙所が二つある。
 一つはフロアの喫煙室、そしてもう一つは外の駐車場にある喫煙所。俺はフロアを抜け出して外の喫煙所に足を向けた。
 外は朝と夕方だけ出入りが多いが昼間は人がいない。大体昼に会社にいる奴はフロアの喫煙室のほうが便利だし、車に乗るような奴は油を売っていていい時間じゃない。だから俺は人のいない外の喫煙所が好きだった。
 
 だが今日は違った。
 
 先客がいた。夏油さんだ。
 夏油さんは元社員で現在は独立し、時折工事を手伝ってくれる。今日も五条さんの仕事だろうか。なんにせよ昼間に会うことは珍しい。「あ」と声を漏らすと夏油さんはこちらを見て軽く手をふった。
「伏黒君、こんにちは」
「夏油さん、お疲れさまです」
 昼いるの珍しいですね。そう続けながら俺も煙草を箱から抜いた。夏油さんと喫煙所に二人。この状況は正直言って気まずい。気まずさから早く煙草を吸いたくてライターを乱暴に取り出した。
「伏黒君もね。私は荷物を取りに来ただけなんだ」
 休みに呼び出すなんて君の上司は人使いが荒いよ。そう言った夏油さんは全然嫌そうではなくて、むしろ心底上機嫌に見えた。でかい図体を揺らしながら愉快そうに煙草を吸っている。
 夏油さんは続けた。
「最近、どう。悟とはうまくやってるかい」
「……はい、たぶん」
 でも、ちょっと、避けられてます。俺は正直に打ち明けた。たぶんこの人に隠し事をしても無駄だから。
 それを聞いた夏油さんは分かっていたと言わんばかりに思いっきり肩をすくませて見せた。
「やっぱり。今日、機嫌悪かったからさ」
 夏油さんは苦笑いでこちらを見た。五条さんのことはなんでもわかっています、という顔。このどこか懐かしいものを見るような優しい視線が苦手だった。
 たしかに二人が長い付き合いなのは知っている。でも俺だって入社前から知ってんだよ。あの人のこと。
「あれでも丸くなった方なんだ。昔はもっと尖っていたよ。後輩を泣かせたりね」
 悟のせいで辞めた社員も少なくないんじゃないかな。
 夏油さんは笑う。俺は全然笑えない。
「そう、ですね」
 どんなに探しても返すべき言葉が見つからず、俺はぶっきらぼうに煙を吐いた。白い煙で視界がぼやける。何も見たくはなかったから丁度良かった。
「うまくやってよ。悟は君のことで何かあるとすぐ厄介な仕事を押し付けてくるんだ」
 夏油さんはそう言って煙草の火を消した。じゅっと先端が水につかる音が静かな喫煙所に短く響いた。

紫煙


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