砂糖に溶かした甘い麻薬


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「その「フツウ」って、誰が教えてくれるの?」

 放たれたのは、無邪気な言葉。目の前で紅茶に角砂糖を放り込む彼女は、この言葉を深い意味で言ったわけではなかったのだろう。だが、自分の心はまるで冷たいナイフで突き刺されたかのように鋭く痛んでいた。一瞬息をすることを忘れて、緑色の瞳を食い入るように見つめてしまう。自分とは違う、少し深い緑色は、凪いだ水面のように静かだった。

「ロマン?」
「……そうだね。例えばその角砂糖の場合なら、"健康に支障をきたさず、且つ程よい甘みを感じるくらい"がフツウの量だろうね。」

 そんな心の内に構わず、べらべらと自分の口は言葉を喋る。平然と、淡々と、単調に。全く器用で便利な口になってしまったものだ。昔はもっと不器用だったはずなのに。…あぁ、そうか。だから、か。

「紅茶が温かいか冷たいかで甘みの感じ方は変わるし、そもそも飲む人の味蕾…いや、味覚によっても甘さの感じ方は違う。人によってフツウはそれぞれ、けれど一般的には"より多くの人が丁度いい、平凡だ"と感じる数値、状態がいわゆるフツウってものだよ、ドロップ。」
「…ふうん?」

 理解できたのか、できないのか。分からないが、ドロップは首を傾げながら目の前の角砂糖の紅茶がけを見つめていた。お喋りで強気な彼女の使い魔レッドフードは、こんな時に限って口をつぐんでいる。あぁ、なんで。

「フツウは国や組織のみならず個人によっても違う。だから特定するのは難しい。けど、大衆の中ではフツウを知っていないと困ることもあるし、フツウであることを求められたり、逆にフツウであることが仇になったりもする。そして、たいていフツウは誰も教えてくれない。そのくせ、人はフツウを求めるし、勝手にフツウっていう評価をつける。」
「フツウは難しいし、…めんどくさい?」
「そうとも言えるかもね。でも無いと成り立たない、それがフツウってものだよ。」

 耳に響く心臓の音がやけに煩い。ドロップを通して、自分の言葉はそっくりそのまま自分に反響してくる。そう、理論では分かっている。論理的に説明だって出来る、こんな説明マクガフィンの調査より何百倍も優しい。だが、いつでも厄介なのは感情という代物だ。ドロドロと深く、濁っていて底知れず、引きずり込まれると二度とそれなしではものを見られなくなる、まるで麻薬みたいな代物。それから逃れる術を生き物は持っていないだなんて、全知全能の神さまはなぜこんなものを人間に与えたのか不思議でならない。

「ロマンはフツウなの?」
「そう言われるよ。俺もそう思ってる。」

 フツウ、その言葉は呪いのようだ。どこに行こうと、自分はその評価から逃れられない。マイペースを気取って他人の評価など知らぬ存ぜぬふりをしていても、嫌でもその評価が耳に入ってくる。優秀な同僚と、顔のいい後輩と、気立ての良い友人と比べられることが嫌なわけではない。比べられることによって引き立つ自分の"フツウ"という評価が息苦しい。どう足掻いても、自分はフツウ以外になれない。みっともなく足掻いてもがいて、ようやくフツウから抜け出したと思っても、気づけば沼のさらに奥にうずもれているのだ。

"このように平凡な能力では、この家の発展は望めまい。"
勘当前に、父親にそう零された。
"普通すぎて、つまんない。"
振られる前に、昔の彼女にそうため息をつかれた。
"お前って平凡だよな。どこにでも居そう。"
同僚と絶交する前に、そう鼻で笑われた。

 嗚呼、みっともない。マイペースを気取って、その実誰よりも他人の評価を気にして。上がりも落ちもしない、良くも悪くもない平凡という位置に甘んじて、それが苦しいなどと。

 ――本当に、馬鹿げている。

 シュガーポットにティースプーンを突っ込み、山盛りの砂糖を自分のぶんの紅茶にだばだばと放り込んだ。蜃気楼のように紅茶に溶けた砂糖のヴェールが揺らめく。このヴェールのように、吹けば飛ぶような、明日には変わるような他人からのレッテルを自分は気にして生きていく。今日も、明日も、きっと死ぬまでずっと。

 そんな息苦しさに、息よ止まってしまえと願いながら。

「……やっぱり、この量はフツウじゃないよ。」

 一気に飲み干した紅茶は、喉の奥がひりつくような甘さだった。


*


キリューさん宅ドロップ・シャドウさん
お借りしました。
都合が悪い場合パラレルとして扱ってくださいませ。



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