とある鑑識官の憂鬱


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今日も空が青い。
とある建物の屋上、その周囲に張り巡らされたフェンスに寄り掛かりながら、彼はそんなことを思っていた。

いつもは人当たりのいい笑みを浮かべているその顔からは笑顔は消え去り、何とはなしに物憂げな表情をしている。それだけ彼を悩ませるものとは、事件のことにほかならない。 彼にとって、手がかりが掴めない事件ほど焦れったく感じるものはないのだ。

現在の特高のトップである鮫島愁太郎が行方不明になってはや数週間、飛ぶように時間は過ぎていた。特高の警官の中には半ば強引に捜査に駆り出されている者も居るようだが、彼は例に漏れず自分の信条を貫くためこの事件の捜査に身を投じたのである。彼が求めるのは真実のみ。その過程で幾ら賞賛されようと蔑まれようと、彼にとってはどこ吹く風なのである。

顔が広い彼は彼方此方にパイプを持っており、操作が難航すればそれを利用することもある。NFCTERにも後輩や知り合いがいるが、尋ねることは叶わずにいた。NECTERである以上鮫島についての情報を持っている可能性はあるが、何せ面会に行くのすら難しい。そして行ったところで、あの脳天気な年神以外答えてはくれないだろう。
秘密情報課にも知人がいるため足を運んでみたのだが、青い巻貝が特徴的な彼は、情報収集にてんてこ舞いで一言でも話しかけることのできる余裕など見受けられなかった為、そっと扉を閉めて退散したのだった。
成人には見えぬ風貌をした情報課の知人にも尋ねたが、新しい情報はこれといってないとのことだった。
そんな訳で彼は、手がかりの少なすぎる状況に手を焼いていた。やっとかき集めた情報から推測できる真実は二つ。NECTERが鮫島をだ拉致監禁したらしいということ、そしてその施設のどこかに鮫島は幽閉されているであろうこと。だが詳しい所在までは掴めない。何せNECTERの施設は、永代区まるまる一つに及ぶほど巨大なものだ。突入して闇雲に捜索をしたところで無駄なのではないかというのが彼の考えだが、上司の命令には逆らえない。世知辛い世の中である、と胸中で独りごちた。

手の温度ですっかり温くなってしまった缶珈琲を一気に煽り、ゴミ箱に狙いを定める。
小さな金属音と共に入った缶を一瞥しフェンスに背を向けると、丁度屋上の扉を開けた人物と視線がぶつかった。
「おや、朱鳥の旦那じゃないか。どうしたんだい、こんな寂しいところまで」
「俺がお前んとこに来る用事なんて一つしかねぇだろうが」
「まぁ、それもそうか。で、ご用件は?」
「捜査の進捗はどうだよ」
「ははっ、今の所はお手上げさ。俺にはクジャクの旦那みたいに情報収集に特化した力はなくってねぇ」
肩を竦めて両手を広げ、お手上げの仕草をしてみせる彼は既に笑顔に戻っていた。他人の前では笑顔以外を晒さない、それが彼の信念でもある。
そして朱鳥の旦那、と呼ばれた相手は相変わらずの不機嫌そうな顔で、何やらぶつぶつと呟いていた。見慣れた光景も、今は少し笑えないものに思える。

「…お前は突入すんのか、NECTERに」
「無論。こんな大きな事件の真実は、是非とも自分で目の当たりにしたいからね。不謹慎だけど」
へらりとおどけたように笑ってみせながら当然だとばかりに答える。不謹慎なのは重々承知しているが、これは自分の性である。生来の性は死ぬまで治らないとはよく言ったものだ。
本当に不謹慎だと思いながらも、その決心は変わらないのだった。

風が吹き、長めの髪が彼の顔を覆い隠す。
一瞬陰った目元はそれによって隠れ、三日月形に反った口元だけが見えていた。

神と共に歩んだ正しい人間であったノアは、三日月の方舟に乗って災難を免れた。
三日月の笑顔を浮かべる者の中に、果たしてどれくらいの正しい人間がいることやら。
少なくとも自分がそうでないことは、神に啓示されるまでもなく知っている。


――脳髄にふと鳴り響く銃声、血の臭い。"三日月形"に歪んだ口元は、自分とよく似ていた気がする。


「……おい、何ぼけっとしてんだ」
朱鳥の声で過去へと馳せていた思考は現在へと引き戻された。どうやら僅かばかりの間、周囲の音が聞こえなくなっていたようだ。
「別に?考え事だよ、ただの」
柔らかな笑顔に、最早陰りは見えなかった。

「じゃ、俺は捜査に戻るよ。旦那も頑張ってね」
ひらひらと手を振って、彼は屋上を後にする。生温い珈琲の酸味はいつの間にか消え去り、苦味だけが仄かに残っていた。




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