猫を追いかけて


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 荒川城砦。この場所には、割と来慣れている。なぜかと言えば、可愛がっている野良猫がしょっちゅうこの場所へ脱走を図るからだ。――野良なのだから脱走と言うより、根城に帰っていると言うほうが妥当なのかもしれないが。今日も今日とてNECTER研究員の天羽恢悧は、野良猫を探してぶらぶらと城砦の中を歩き回っていた。新しい猫を探す目的も兼ねて、あてどもなく入り組んだ違法建築の立ち並ぶ土地を歩いていく。白衣の裾をひきずっているのは、もはやデフォルトだ。
 荒川城砦は、どことなく居心地がよい。どんな人間が歩いていようと、誰も怪しみもしないからだ。西京都のスラム街を銘打つだけあって、危険は多いがそれはそれで大歓迎だ。

「ね〜こちゃん、ど〜こかなぁ?」

 あっちこっちを見て回るから、あっちこっちからいきなり恢悧は顔を出す。顔を出した先に人がいれば、十中八九ビビられることだろう。何を隠そう彼の笑顔は、まるで魔女のように気味が悪い代物なのだ。万年取れない隈というオプションも手伝って、最早気味が悪いを通り越して凶悪なのである。そんな顔で笑いかけて逃げない猫など、果たしてこの世界にはいるのだろうか。
 にゃあ。不意に人に甘えるような猫の声が聞こえた気がして、恢悧は脱げかけていたスニーカーをつっかけて恢悧は小走りにそちらへ向かった。入り組んだ路地を抜けて、積み上がったコンクリートを飛び越えた先、ぱっと視界が拓けた。

「あ」
「え?」

 そこにはツインテールの似合う可愛らしい少女がコンクリートのベンチに腰掛け、背を丸めていた。その手には白黒のぶち模様の猫がにゃあん、と甘えたように鳴いて擦り寄っている。恢悧の足が瓦礫の欠片を蹴った音で、ぱっと少女はこちらを振り向いた。大きな瞳が瞬いて、少し揺れたように見えた。年齢は制服を着ているところからして高校生くらいだろうか。
 このまま黙っていれば通行人Aで済むはずもない。完璧に自分の人相は悪人なのだから。そう思った恢悧は、自分が一番苦手とする笑顔という表情を浮かべながら少女に声をかけた。それは逆効果だとこの場にツッコんでくれる人間はもちろんいない。

「こんにちはぁ、可愛いおじょーさん。猫好きなのぉ?」
「うん、好きだよ〜!お兄さんも?」

 これは意外。少女は自分に臆することなく返事をしてくれたではないか。これが所謂コミュ力の高い人間というものだろうか。猫を手招きするも反応がなく諦めた恢悧は、お隣座るねぇ、と声をかけて少女の隣に腰を下ろした。猫じゃらしを手持ち無沙汰に弄りながら。

「お兄さん、ここに住んでる人なの?」
「ううん、おにーさんはねぇ、猫ちゃん探しに来たんだぁ」
「じゃあこの子、お兄さんとこの子なの?」
「そうだよぉ、まぁ飼い猫じゃぁないんだけどねぇ」

 にゃあ。肯定するように猫がひと鳴きした。自分が振った猫じゃらしにじゃれつくのを見ながら、あちこちへ手を動かす。少女はポーチから棒付き飴を取り出して口に含んだ。西京都では見かけないメーカー名の袋だ。

「そういえばきみ、見かけない制服だねぇ。修学旅行か何か?」
「あ…うん、そうだよ」
「ふぅん。でも一人でこんなとこいちゃ危ないよぉ、俺みたいな怪しいおにーさんがい〜っぱいいるからねぇ」
「あはは、可笑しいの。自分で言っちゃうんだ?」

 少女はころころと笑う。黄緑色の飴はうさぎの形だ。頬を膨らませて飴を転がすその顔は、自分にはない若さで溢れている。ただ少し、その顔に疲れによる影が差しているようにもみえたのは、気の所為だろうか。

「迷子ならお巡りさんとこ連れてったげよっかぁ?」
「ううん、大丈夫だよ〜!友達と待ち合わせしてるから」
「そっかぁ。ならよかったよぉ。このへんはいつでも物騒だからねぇ」

 じゃれついてきた猫を器用に抱えあげ、恢悧は立ち上がった。その瞬間に出たのは大きなあくび。人目もはばからず大きな口が開いて、まるで魔女のようにギザギザの歯が覗いた。

「お兄さんの口、サメみたいだね」
「ふふ、実はおにーさんカナヅチなんだよぉ。それじゃあね、おじょ〜さん。おにーさん寝に帰るから」
「猫ちゃんと寝るの?羨ましいな〜。じゃあねお兄さん」
「じゃあねぇ、おじょーさん」

 片手に猫を抱えて振り返ると、少女は手を振ってくれていた。自分もつられて振り返すと、長い白衣の袖がパタパタと宙に舞った。
 本来なら修学旅行生が荒川城砦などに近づくはずはない。それは少し考えればすぐ分かることだった。だが彼は今、三徹目で大変な睡魔に襲われていて、猫と睡眠のことしか考えられなかったのである。

「あ、飴ちゃん一個もらえばよかったなぁ」

 時間にしてたった十数分会っただけの少女に、必然的にもう一度出会うことも、彼女の苗字が、自分と同じ文字を冠するということも、今の天羽恢悧は知らなかった。


*


ば_さん宅天羽慄ちゃん

お借りしました。都合が悪い場合パラレルとしてお取り扱いください。



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