林檎を磨く



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「それでねぇ〜その人、違う部署で働いてる専務さんだったの。今度ね、お食事どうですかって誘ってくれたのよ。」
「それはいいじゃないか、楽しんでおいで。息抜きは誰にだって必要だろう?お嬢。」

 あくる日のホストクラブ・キノタケの絢爛豪奢な部屋の中。一人のホストとある女性が話をしていた。何杯か酒を飲み干したらしい女性は多少出来上がってしまっているようだったから、さりげなく手元のシャンペンのグラスをお冷にすり替える。代わりに自分はシャンペンを口に含みながら、CLAIRは女性の話に愛想よく相槌を打っていた。

「そういえばお嬢、いい香水の香りがするじゃないか。しつこすぎない自然な香りだ、センスが良いんだね。」
「え、やだぁ私、香水なんてつけてないわよ〜?」
「おや、そうかい。ならシャンプーか何かかな?林檎みたいな爽やかな香りだけれど。」
「林檎……あぁ、林檎ね!そうそう、これ専務さんにもらったの。」

 と、彼女はスーツのポケットに手を差し入れ、綺麗に四角に畳まれたレースのハンカチを取り出した。彼女が開いたその中には、萎れた林檎の花のポプリが包まれていた。

「林檎の…花かい?」
「そう!ストレスによく効くポプリなんですって。たくさんあるから良ければどうぞ、って。」
「へえ、良かったじゃないか。……本当にいい香りだ。俺にも一つくれないかい?なんてね。」
「えぇ〜どうしよっかなぁ。でも特別に、あなたにならあげちゃう!」
「いいのかい?嬉しいな。俺がお気に召したのかい、お嬢。」

 少し甘える素振りを見せると、酒で気持ち良く気の大きくなっているであろう彼女は頼みを快諾してくれた。眉を下げて、彼女に礼を言う。これでも40を過ぎた、中年に差し掛かる年代なのだが、昔から自分は若く見られがちだ。それが良いのか悪いのか、ここでは良いということにしておこう。
 彼女が一つつまんだ林檎の花を、まるで性格を表したかのようにきっちりと畳まれた真っ白な飾り気のないハンカチで受け取る。そのまま肩にかけたジャケットの懐にそれをしまい込むと、隣の彼女と同じような林檎の香りが自分から漂った。何とも、不思議な気分だった。
 そしてまた、話は再開する。爽やかな林檎の花のようで、それでいて蝋燭の光に照らされるシャンデリアのような空間は、乱反射する光と酒で場酔いするには格好の場所なのだ。もっと色々、彼女には提供してもらいたいものがあった。





「……林檎の花、ね。…これの出所を掴まないとか。」

 客船の中の一室、二重ロックと防音壁に雁字搦めにされた部屋の中、佐藤明真は呟いた。
 愛想のいい笑顔も今は休憩中。その眼には一転の曇りもなく、机の上に散らばる資料、資料、資料の森を抜けた遠くにあるものを見透かさんとしていた。
 この、林檎の花のポプリ。先日の現場検証で採取したものと、非常によく似ている。鑑定は出来ないため裏付けは取れていないが、もしこれが「あの」花と同じものなのなら、早くも自分は容疑者への糸口を掴めたことになる。しかしそんな都合のいい話があるものだろうか。慎重に、情報は集めなければなるまい。資料を片付ける手を止め、皺の寄った眉間をほぐし、目元に手を当てた。

 この役目は、どうも骨が折れる。本当の意味での協力者など、必要としてはならない。

 ぐっと口に含んだ缶珈琲は苦いが、しばし眼を休め、闇へと誘うには十分な蜜だった。
資料を金庫にしまい込み、備え付けのベッドにスーツを着替えもせずに深く沈み込む。体が沈んでいくのと同時に、意識も沈み込んでいった。


"ヤァ、響イタ銃声ハ何発ダイ?"


――


 情報あり。情報収集を継続する。

 そういえば、私の誕生花は、林檎だった。


以上


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