悪い子の手引き



私はよく買い出しの仕事を引き受けていた。ルッスーリアさんやマーモンさんには買い物好きというレッテルが貼られてしまっているが、そういう訳では無い。単純な理由、気晴らしがしたいだけなのだ。
疲れたとき、脚が痛み出したとき、どうしても昔のことを思い出してしまう。あのときのことを忘れることは不可能だが、考えないようにすることはできる。だからたまには外に出て天色に染まる空を見たりする。今日もそのつもりで買い出しを引き受けたのに。

「…失礼、そろそろ本題に入りましょうか」

ベルさんと別れたあとに会ったこの男、シルヴィオ。端正な顔立ちとは裏腹にニタリと裂ける口元に気味の悪さを感じさせる。一応洗って落としているみたいだけど彼の白衣にこびりついている茶色い染みは間違いなく血痕。ところどころほつれていたり黄ばんだりしていて本来の白さなんてどこへやら。その幸薄そうな姿が一層不気味さを強くしている。

「君をずっと探していたんです」
「…何故」
「もちろん、仮でも君は実験の成功者ですので」

反吐が出るとはまさにこのこと。思い出したくもない嫌な記憶を簡単にほじくり返してくることに眉を顰める。全く望んでいなかったのに不運にも成功者になってしまった自分自身の脚。今までを生き抜くためにやむを得ずこの脚を使用したこともあったが、それとこれとは話が別だ。

「実はもう時期新たに完成する"もの"がありまして、それの試運転も兼ねて今度ちょっとしたパーティーを開催する予定なのです」

完成?パーティー?この男はいったい何の話をしているんだ。

「アルテの武器オークションです。アルテが衰退した今でもその知名度は健在。そのオークションとなれば多数のファミリーが来場すると思っています」
「それで、私に何をしろと?」
「察しが早くて助かります。風の噂で聞きましたが君は今あの暗殺部隊ヴァリアーに所属しているんですよね」

付け加えるならそのヴァリアーの使用人だが、既に私の居場所が知られてしまっているのか。私はよくここへ足を運んでいるため尾行してヴァリアー邸に入るところを見られていたのかもしれない。もしそうならどうして気付かなかったんだと過去の自分に顔を歪ませた。

「ここからが本題です。なまえ、君にはこの手紙をヴァリアーのもとに届けて頂きたい」

押し付けるように私の手に渡されたのは何も書かれていない真っ黒な手紙。今の話から察するに、そのパーティーの招待状というところだろうか。
アルテの武器を餌にパーティーを開催すればたくさんのファミリーが集まる。優秀といわれるヴァリアーもしかり。その中で腕の立つ者がいれば実験材料のために目星をつける…、そしてさっき言った"完成するもの"のお試し、それがこの男の狙いらしい。
何を幼稚なことをと鼻で笑い飛ばしたい気持ちだったが、この男の実験が成功したことは私の脚が証明してしまっているためそれが出来ない。
それに、あれから数年が経ってしまった今となってはどれだけその実験の成果が進化してしまっているかもわからない。でも…、

「協力する義理なんてない」

どうして私が、と今になってのこのこ現れた目の前の男に腸が煮えくり返る気持ちが溢れる。ああ、今この時、脚の痛みが無くなっていたら…。

「その脚の痛みが無くなる方法があると言っても?」

意識せずとも勝手に自分の目が見開かれるのがわかる。悪魔の囁きだった。まさにそれをずっと探していた私にとって向こうから転がり込んでくるとは思わなかったからだ。ただしどうみてもそれが罠だと言うことは分かる。取っておきの呪文だと言わんばかりのシルヴィオの人のいい笑みに下唇を噛んだ。

「信じるかどうかは貴女次第ですが、今ここで嘘をついたとしても僕にはメリットが無いこともお忘れなく」

もし今の話が嘘ならば私はそのパーティーとやらには行く必要が無いし手紙を届ける意味もない。そうなれば目的である実験の試運転とやらとは別の"実験材料"となる人間を探すことも出来なくなる。確かにそれはこの男にしてみたら痛手なのかもしれないし、嘘を言う必要性も無いが…。

「別に今すぐに返事が欲しいわけではないですよ。パーティーまでにはまだ時間がありますので」

つまり、私がこの手紙を渡すか渡さないかで事態が大きく変化するということ。一時の気持ちだけで判断するには重すぎる内容。

「いい返事を期待していますね」

ニコリと今日で一番気味の悪い笑みを浮かべたシルヴィオはコツコツと靴音をならしながら人混みへと消えていった。それを追いかけるだけの思考が、今の私には存在しなかった。
この手紙をヴァリアーのもとに届ける…それが何を意味するのかわからないはずがない。けどこんなチャンスは二度とないのも事実。どちらも無下には出来ないことであってもそれらを天秤にかけたとき私はどちらの選択をするのか。私は…、

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