チクタク、チクタク



緊張とは違う、どろりとした何かが手足にまとわりつくような気持ちの悪いこの感じ。まるでこれから私がやろうとしていることを引き止めるかのようだ。
カツン、と奏でる靴音が賑やかなホールから次第に遠ざかる。ここを出てしまえば、もう後戻りはできない。
ホールを出てしまえば黒服の男が数人いるだけで静かなものだった。こちらにとっては都合が良い。普段感情を出すことが苦手な自分でもこのときばかりは心臓の鼓動がうるさかった。


地響きが足元を襲った。弾けるように辺りを見渡せばあちこちから煙が上がり、まるで波のように流れ込んでくる炎が建物内全体を包み始める。飛び散る火の粉がテーブルクロスやカーテンに燃え移り火だるまになるのにはさほど時間はかからなかった。
華やかな雰囲気で賑わっていたホール内が騒然とする。甲高い声を枯らしながら縺れる脚を必死に動かして逃げ惑う者、燃えていないテーブルクロスで何とか火を消そうとする者、敵襲かと警戒して武器を構える者、人の数だけそれぞれ違う行動をする者達に何が正解なのかを教える優しさは、無い。

私はその誰とも違う行動をする。このホールにいるはずだと目を凝らして様子を伺った。
…見つけた。爆煙の中、逃げることもせずに一人で佇む後ろ姿。人が次々と扉の外へ逃げようと走る中、私はその流れに逆らうように目的の人物の背後にまわる。これだけ周りが悲鳴でうるさければ靴音も聞かれる心配はない。深く息を吸い込んで狙いを定める。獲物を狩るのは一瞬、大理石の床を壊す勢いで蹴り出し一気にその距離を縮めた。

──キィインッ!

打ち下ろした脚は目標に届く前に突然間に入ってきた何者かの剣によって遮られた。それでも今の衝撃によって剣にピシリと亀裂が入ったのが見える。

「相変わらず素晴らしい脚力ですね」

くるりとこちらに振り返る目標の人物…シルヴィオはこうなることがわかっていたかのように涼しい顔をしていた。そんな彼に苛立ちを覚えながらも未だに私の打ち下ろした脚を受け止める剣の持ち主の顔を拝む。
髪の毛で表情は伺えないが、体型からして女性なのはわかった。シルヴィオの部下だろうか。ピシリと音をたてる剣は次第にそのヒビが深くなり、さらに脚に力を込めると派手な音をたててその剣は折れた。

「……!」

息を呑むなんて、ここまで驚くことが今までにあっただろうか。それだけ今見ているものが信じられなくて瞬きすら忘れてしまう。
"どうして"という言葉だけが脳内を埋めつくす。少しくせっ毛のある暗めの茶髪をサイドで結っている女の子。折れた剣のことなど気にもせず、まるで感情が無いかのようにただこちらをじっと見る。その顔付きはあのときと全く変わらない。

「すみませんが、そろそろ時間のようです」

記憶の断片を思い返していたときにそれを遮るかのようにシルヴィオは彼女の隣に並んだ。"時間"と言われて私は眉を顰める。

「私の用事が終わっていない」
「ええ、わかっています。ですが今は貴女に壊されたコレを直さないことには始まりません」

そういいながらシルヴィオは折れた剣を拾い上げ、折れた先を指でなぞる。

「それに、今の衝撃で脚に相当な負荷がかかったのでは?このまま続けても分が悪いのはお互い様ですよ」

綺麗に笑うその顔はいつみても気味が悪い。この男、試したのか。私にどのくらいの力があるのかを今の一撃で。私が背後から近付いたことも、隣にいる彼女が私の蹴りを受け止めることも全部。利用されたのは私の方だった。
ちらりとシルヴィオの隣にいる彼女に視線を移す。何を話すわけでもない、ただこちらを黙って見ているだけ。その真っ黒な瞳は私の姿など映っていないかのように暗く、吸い込まれそうになる。

「そういえば彼女は貴女の知り合いでしたね」

そんなことをいいつつもこの男はそれを知ってあえて彼女を連れてきている。白々しいその言い方に脚に力を込めるが、先程の衝撃でズキンと痛み始め少し唇を噛んだ。

「もう少し、あと三日ほど待ってください。まだ微調整をしなくてはならないもので」

微調整…何を言っているのか全く分からなかったが、相変わらずズキズキと痛み出す脚にハッと気付く。もしかしてこの男、

「それではなまえ、三日後にお会いしましょう」

その言葉を最後に二人はホールから姿を消した。今がチャンスだったのに、この脚のせいで動くに動けないことが歯がゆい。眼の前にこの脚の原因を作った男がいたのに。

またしてもズキンと激しい痛みが脚を襲う。耐えるのが精一杯で顔が歪んでいくのも気にせずに下唇を強く噛む。痛みの間隔が徐々に短くなってきた。脂汗が浮かびだし呼吸も荒く、脚が震えだして立っていることが困難な状態まできてしまった。
まずいと思ったときには遅く、生まれたての小鹿のように震えだした脚は支えを失い、崩れるように前へと倒れ込んだ。

「…っと、」

来るはずの地面が来ない。痛みで虚ろになる目を何とかこじ開け意識をそちらに向けると、見慣れたサラサラとした金髪が見えた。

「…べ、る…さん」
「フラフラじゃん」

脚に力が入らない今は私を抱き抱えるように肩に回されている腕に体重をかけるしかなかった。そうか、今私はベルさんに支えられている、ということは。

「聞いてたんですね…今の話」
「聞いてたっつーか、王子が後つけてたこと気付かなかったおまえが悪くね」

つけられてたのか。目的を果たすことに集中しすぎて全く気付かなかった。確かに、もし私があのとき誰かに狙われていたとしたら今ここにいることはなかっただろう。後ろにいたのがベルさんだったことはある意味感謝なのかもしれない。
そんなことを考えている中でも脚の痛みが引く様子はない。やっぱり、日に日に痛みの度合いも間隔も短くなっている。なんとかしてあの男を…。

視界がぼやけてきたのと同時に何とか自分の脚で支えうとしていた脚がガクンと力を失い、全体重をベルさんの腕にかけることになってしまった。そんな私にベルさんは面倒くさそうにため息をつく。

「ここで気絶すんな。王子そこまで面倒見きれねーから」
「…こっちから、願い下げ…です」

私は使用人。幹部の人やその部下の人たちの世話をするのが仕事なのにこれでは立場が逆だ。しかも相手は幹部のベルさん。それなりに会話するとはいえ自分の失態で迷惑をかけてしまうなんて。
口ではそんなことさせるものかと言ってみたはいいものの、私の身体は全く言うことを聞いてくれず重たくなっていく瞼に逆らう術はなかった。

「…素直になれっての」

薄れゆく意識の中、ボソリとそんな声が聞こえたような気がした。

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