"普通"ってなあに?



久しぶりに出会った、何年ぶりだろうか。なまえ。相変わらず無愛想で変わらない。せっかくの綺麗な顔が台無しですよなんていったら苦虫を噛み潰したような表情をするんでしょうね。貴女はそういう人だ。

誰もいない薄暗い部屋でマグカップにお湯を注ぐ音だけが鮮明に響く。コーヒーを飲む時が唯一心を落ち着かせてくれる。…苦い、砂糖が足りなかったか。
ボロボロになったソファに腰をかけてふぅと息を吐く。懐かしい、本当に。僕の大切で、それでいてとても憎い人。随分昔のことだ。




「シルヴィオー、シルヴィオー?」

ぼくの名前を呼ぶ声がする。ふわふわとまどろむ中でゆっくり目を開けるとクリーム色の天井が目に入る。あれ、ぼくはいつの間に寝ていたんだろう。

「シルヴィオったらまた寝てたの?今日はお母さんとお買い物一緒にいくんでしょ?準備しておいてね」
「うん!」

優しい声でにこりと笑いかけてくれるぼくのお母さん。怒ると怖いけど料理上手でいつも明るくて笑顔が絶えない、自慢のお母さんだ。
お父さんはいない。ずっと前にいなくなったらしいけど詳しくは知らない。正直顔もあまり覚えていなかった。覚えているのはお父さんもお母さんと同じく優しかったこと。
お父さんはいないけど、その分お母さんが毎日笑ってくれる。お父さんの分もたくさんお話してくれる。
はい、と手を差し出せば、ギュッと手を繋いで歩いてくれる。鼻歌交じりに歩き出せば、柔らかい笑みを浮かべてくれる。
そんなお母さんが、ぼくは大好きだ。



「ねーみてみてお母さん!これ!」

ある時期からぼくは周りの人とは少し違うところがあることに気付いた。この小さな手に灯されるキラキラとした黄色い炎。何故か熱くはなく、むしろあったかい気持ちに包まれる感覚がぼくの心を穏やかにしていた。
この炎はなんだろう?どうしてぼくだけ灯せるんだろう?そんな疑問なんて吹き飛ばしてしまうほどに綺麗な色をしている。

「これをね、こうやって、こうして…ほら!」

ぼくはもっと小さいときから走り回って遊ぶことが好きだった。そのせいで生傷は絶えないけどそれでも外ではしゃぐのが大好きだった。
擦りむいた腕を庇うように反対の手で抑えるようにすると、あっという間に傷が治る。すぐにこの黄色い炎の力だと分かってからはぼくは嬉しくて、すごい、すごいな!と炎に負けないくらいキラキラした目でお母さんを見上げた。

ね、この炎綺麗でしょ?ぼくにしか灯せないみたいなんだ!すごいよね!傷が治っちゃうんだよ!魔法みたいなんだ!
お母さんはいつも褒めてくれる。この前お洗濯を手伝った時も頭を撫でてくれたし、お皿洗いを手伝っててお皿を割っちゃったときも、優しい顔でぼくの頭をよしよしと撫でて許してくれた。
大好きな、大好きなお母さんだった。



「お母さん、ちょっと出かけてくるわね。いい子にしてなさい?」

あの日を境にお母さんはぼくを避けていた。腫れ物にさわるかのように、ぼくを見ては怯えていた。何がいけなかったのかなんて幼いぼくでもすぐにわかった。
自分のまだ成長しきっていない手のひらを見てはギュッと握りこぶしを作る。すると一気にそこから溢れ出す眩いほどの黄色い炎。キラキラしてていつみてもすごく綺麗なのに。
どうしてぼくを避けるの?この炎が怖いの?傷を治してくれるのに何で怖いの?

見せなければよかったなんて、今さら遅い。お母さんは太陽みたいに笑ってくれなくなってしまった。いつも無理矢理つくっているような笑顔。見たくないよそんな顔…。ぼくは泣いた、いっぱいいっぱい泣いた。

行かないでよお母さん。ぼくを置いていかないで。今まであんなにたくさん笑ってくれてたのに、どうしてこれだけでぼくを避けるの?怖くなんかないよ、ぼくは何もしない。ほら、みて?すごい綺麗だよ。あったかい気持ちになるよ?…こっち、見てよ。

玄関から出ていく姿を、ぼくは見ていることしかできなかった。手を伸ばすことすら拒否されているようで。一歩ずつ遠ざかっていくその背中は、まるで霧がかかっているかのように次第にぼやけていった。それっきり、お母さんは帰ってこなかった。



目が覚めると、ぼくは見知らぬところで眠っていた。天井がクリーム色じゃない、真っ白だ。そっか、空腹で倒れちゃったのかな。

お母さんがいなくなってしまったあと、なんとか生き延びるためにぼくは毎日街に出ていた。お金なんてあるわけもなく、お店の余り物などをもらって何とか食いつないでいた。
時には外で売っているものをお店の人の目を盗んで奪うこともあった。悪いことなのはもちろんわかっている。でも、そうでもしないとぼくは生きられなかった。

苦しいし、とても辛い。頼れる人が誰もいない。あのときのお母さんの怯えた顔を見てぼくは気付いた。仲の良かった友達みんなにこの炎を見せたとき、みんな驚いた顔をしていたけど、あれは感動していたんじゃない。…やっぱり、怯えていたんだ。

誰もぼくを認めてはくれない。寂しくて悔しくて忘れたくて、どこでもいいから駆けずり回った。何がそんなにいけなかったんだろう。炎を灯せるのがそんなにおかしいのかな。それだけで怖がるものなのかな。子供のぼくにはそれ以上考えてもわからなかった。


それにしてもここはどこだろう。ゆっくりと起き上がると、無機質で意味のわからない機械みたいなものがズラリと並んでいるのが目に入る。そしてそれとは別にたくさんの大きなガラスケースも横一列に並んでいた。中に入っているのは…武器?

「あら、目が覚めたのね」

突然聞こえた声にぼくは肩を震わせる。そちらに目を向けると、緩やかに巻かれた髪の毛が見えた。

「お、お母さ、」

言いかけたところで口を噤む。…ううん、違う、どことなく雰囲気は似てるけど違う人だ。こちらに優しく笑いかけてくれる女の人。あ…、久しぶりに誰かの笑った顔をみたかもしれない。

「あちこち擦りむいちゃってるわね。ちょっと待ってて、すぐに救急箱持ってくるわ」
「あ…大丈夫、ぼく、自分で傷治せるから」

言ってしまったところでハッとした。だめだ、こんなこと言ったらお母さんのときと同じことになってしまう。ぼくを見るときの怯えたような視線。嫌だ、もうあんな目で見られたくない。

「もしかして、あなたも炎が灯せるの?」

想像してた反応とは正反対の質問にぼくはきょとんとして顔を上げる。女の人はまるでなんともないような緩やかな笑みを向けていた。

「知ってるの?」
「ええ、私の周りにも同じような人が何人かいるもの」

驚いた。特別だと思っていたこの炎がぼく以外にも灯せるの?ありありと目を丸くするぼくをみて女の人はクスッと笑う。
怖くないんだ、ぼくが炎を灯せることを知っても怯えたりしないんだ。周りにもそんな人がいるから、不思議なこととは思わないんだ。

「ねえ!見てみて!」

ぼくは無我夢中で自分の腕にあるかすり傷に手をかざしてあの黄色い炎を灯す。少しかゆい感じがしばらく続いたあと徐々に傷口が塞がっていき、数秒で傷はすっかりなくなっていた。

「ふふ、すごい綺麗な炎を灯すのね。えらいぞ!」

くしゃくしゃっとぼくの頭を撫でるその顔は太陽みたいに眩しかった。
ああ、この人はぼくを見ても怖がらなかった、褒めてくれた。意味のわからないはずのこの炎を綺麗だと言ってくれた。
お母さんに認めてもらえなかったのはとてもショックだった。それは今でもぼくの中でしっかり刻まれて消えることはない。それでも、こうやって一人でも認めてくれる人がいるということに、ぼくは唇が震えだした。

「あ、そうだ。そろそろ目覚めるころだと思ってスープを持ってきてたの。飲める?」

トレイごと差し出されたのは透明なスープ。照明によってスープはキラキラと光っていて人参やたまねぎなどの野菜がよく煮込まれている。
コクリと頷いてゆっくりとスプーンですくって口に運ぶ。あたたかいスープの味が口いっぱいに広がり喉を通って流れ落ちる。

すくっては飲んで、すくっては飲んで。何度も何度も繰り返した。手が震えてうまくスープをすくえなくても、眼に水の膜が張って視界がぼやけてしまっても、時おり塩の味が混じっても、ぼくは構わずに飲み続けた。

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