滲んでいく透明なもの


とくに目立つわけでもなく大人しめで、声すら聞いたことがない。言ってしまえば影が薄い女子生徒。──三声に対する最初の印象はそんな感じだった。



戦闘訓練で最後に俺と対峙したときはなぜか個性を使わず、されるがままに凍っていった。
本当に勝つ気があんのか。氷を溶かしながらそう思っていればそれが顔に出ていたらしい。目の前の三声は怯えた目を俺に向けていた。

けど顔を真っ青にして地面にへたりこんだときは、そんなに俺は怖い顔をしていたか?とすこし驚いた。それとも他になにか理由があるのか?そんな疑問がいくつか浮かび上がったけれど、俺には関係ないことだと気にしないことにした。



だから襲撃事件で同じ場所に落とされたときは正直めんどくせぇなと思ってしまった。

ただ、置いていったとして何かあった場合は後味が悪い。これでも俺はヒーロー志望なわけで足手まといにならないようにしてもらうしかない。それを口にした次の瞬間。

「──余所見とは余裕だなァ?」

ワープゲートから落ちてくる三声を助けるためにつくった氷の後ろに隠れていたらしい敵が、まさに三声を捕まえようと手を伸ばしていて。これは気付かなかった俺のミスだと盛大に舌打ちをした。……でも。

氷が敵に届くよりも前に三声は自分の個性でその敵を倒した。戦闘訓練ではそんなことできなかったのに何がこいつを変えたのか、それはわからない。
静まり返るこの土砂ゾーンで三声の息を整える音がかすかに聞こえる。それを黙って見ていると今まで開くことがなかったその小さな口がゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……私は、まだ足手まといです」

しゃべった。
いや、当たり前のことではあるがこいつの場合は普段全く声を出さないからこそ、今このときが特別のような気がしただけだ。

そして話したのは個性を人に向けたり攻撃することが怖いということ。ならなんで雄英でヒーロー目指してんだって聞きたい気持ちはあるが三声にも何か言いたくないことがあるのか、と。

人の表情を見て何考えてんのか当てるなんてことできねぇし、する余裕もねぇ。それは現状がこんなだからだとしても、そうでなくても。

単純に人を攻撃するのが怖いという人もいるだろうが、ならますます雄英にいる意味と繋がらない。だから俺は勝手に想像するしかなかった。こいつにも薄暗い過去があって、そのせいで自分の個性を良く思わないのだろうと。

──…それなのに。

「これが私の個性だから……、この力をちゃんと自分のものにして困っている人を救けて、色んな人を笑顔にしたい」

なに、いってんだ……?と、冷たくてどろりとしたものが声になりそうだったものを塞いだ。今の言葉を頭から足元まで流し込んでどっぷりと浸かって。なのに冷えきった俺の頭では理解できない。

ああ、なんだ。そもそも薄暗い過去があるということ自体が俺の勝手な想像か。こいつはそんなこと一言もいってねぇ。
そう思って納得できれば良かったのにそれもできなかった。ただただ、今の言葉だけがこびりついて離れない。

"私の個性だから"、"自分のものにする"
意味がわからない言葉だった。



三声は自分のことをちゃんとわかっているやつだった。俺に言われたからというのも少しはあったかもしれないが、土砂ゾーンを出るときに必死に転ばないように歩いて、いざ転びそうになったらなんとか踏ん張って。

さっきの言葉を聞いていなかったら、俺は転びそうになった三声を助けようとはしなかったかもしれない。まあ実際には転ばずに済んだから差し出した俺の手は意味が無くなったが。

だからスマホに"足手まといになった"と書いて謝られたとき、いつもならそのまま無視するか肯定するかのはずだったのに。

「さっき自分で頑張るって言ってただろ」

……なんて言ったことに自分が一番驚いた。


"こうだ"と決めた俺の中に、不可解なものが混ざりはじめたのはきっとこのとき。
意味のわからない言葉。そう割り切って捨ててしまえばいいのに、手を伸ばすことも無くただそれらをすこし遠くの方に転がしておくだけ。拾う日が来るのか、今の俺にはわからない。

玄関から土足でずかずか上がり込んでくれば突っ返すこともできただろうに、突然放り込まれた言葉は拒否する暇もなく簡単に入り込んでしまった。
それは自分に思うところがあるからなのか。……わからないことだらけ、だな。





そんなことを昼休みの大食堂で並びながら考えていると、後ろの方から飯田と麗日の声が聞こえてきた。その後ろには三声もいる。会話の内容はヒーローを目指した理由。すこし興味のある話ではあった。人に個性を向けることが怖いと言っていたのになぜ雄英でヒーローを目指しているのか。
けど当然、三声はしゃべることはなくスマホを使っていたためその答えはわからなかったが。


あのとき三声にとって声を出してまで話したことは、おそらく特別なことだったと思う。そして俺にとってもその特別を使って言われた言葉はさらに特別感が増して不可解なものとして俺の中に放り込まれた。

それは気持ちの悪いものか、と聞かれたら。
そうかもしれない、と答える。


蕎麦がのったトレイを受け取り席に向かおうと歩いていたところで軽く誰かとぶつかった。色々と考えすぎていたかとバツが悪く「………、悪ィ」と謝れば、自分より低い位置にあったその顔は今の今まで考えていた三声本人で、お、と声が出そうになる。


声を聞いたら、なにかわかるだろうか。

ふとそんなことが頭に浮かんだ。三声にとって声を出す会話は特別なことであのときと同じくそれをしてくれたらどうして俺の中にあんな言葉が放り込まれたのか、ヒントにでもなるだろうか。

別に本題じゃなくていい。
ただ、おまえの声が聞きたい。そう思って。

「……食いたいのか?」

今思えばなぜ雑談を選んだのかと言いたくはなる。会話が得意ではないのは自覚があるが、目に付いたものが蕎麦しかなかった。
やけに俺の手元の蕎麦を見ているし本当に食べたいのではないかと、そう思ったのだけど。

でも結局、困った顔をするだけで三声は声を出すことはなかった。


いったい何を期待していたのだろうか。三声に何を求めていたのだろうか。遠ざけていたはずの不可解なものの正体に気付けそうで気付けない。そのもやもやとした居心地の悪さ。



あいつの声をもう一度聞くことはできなかった。どういうタイミングで声を出したりするのかがわからない以上、強制するつもりはないが。俺だって声を聞いただけで全てがわかるなんて馬鹿みたいなことは思っていない。

"私の個性だから"、"自分のものにする"
その言葉が、何故か気になっただけだ。


俺とは全く違う考え方なんだろう。過去に何かあったのか無かったのか、そんなことを聞く仲でもない。でもだからこそ、どうしてあんなことを言ったのか、どうすればそんな考えに辿り着くのか。

どうして俺は、こんなに……あの言葉が気になって、いるん、だ。

……いや、こんなことを考えている場合じゃない。もうすぐ体育祭だ。俺には、"やらなきゃいけないこと"がある。脳裏に浮かぶのは全てを焼き尽くすほどの燃え上がる炎。──改めて、唇を痛いくらい噛み締めた。




それでも、頭の中の片隅に転がっている三声の言葉は相変わらず出ていってはくれない。
俺とは違う人間なのだから、生まれも環境も歩んできた道も、何もかもが違って当たり前。同じことといえばヒーロー志望だということくらい。だから、そうだ。


その"前向き"な言葉に、眩しいものをみた気分になっただけかもしれない。

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