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つい先日、IH予選の組み合わせが発表された。烏野はAブロックに配置されていたけれど同じブロックのシードには以前練習試合をした青葉城西がいるとのこと。もちろん他にも強い学校はたくさんあるわけでまずは一回戦目、絶対に勝たなければとみんなの意思はとてもかたかった。


次の日の放課後、今日のHRはいつもよりずいぶんとはやく終わり、日直でも掃除当番でもないために教室のドアをあけて廊下にでると、まだどこの教室も閉まっていて静かだった。
さすがに部活にいくのははやすぎるかとも思ったけど教室に残っていてもすることがないのでとりあえず体育館にいこうと教室を後にした。

体育館へ向かう途中でちらほらとしか生徒とすれ違わなかったために、よっぽどうちのクラスの終わりが早かったんだなあと思いながら更衣室で着替える。身なりを整えてからまだ誰もいないであろう体育館のドアをガラリと開けると、視界にオレンジ色がとびこんできた。

「あっ白咲先輩!ちわッス!」
「ち、!ちわわ…っす?」
「…チワワ?」

ああ〜〜…と私は天を仰いだ。オレンジ色が日向くんだとわかる前に声をかけられたので、一瞬なんて返せばいいのか迷ってしまった結果である。気を取り直して、「は、早いね」と言えば「はい!」と元気な声が返ってきた。

「HRがはやく終わったんで急いで来ちゃいました」

バレーがしたくてしょうがないという溢れんばかりの気持ちをいっぱい顔に浮かべて日向くんは準備済みのカゴからボールをとった。すでにコートの準備も完了していて、あとはみんなが来るのを待つだけの状態だ。
うちのクラスよりもさらにはやく終わったんだと驚いていると、「あっ、そういえば」と何かを思い出した日向くんはくるりとこちらに振り向いた。

「白咲先輩ってバレーやったことあるんですか?」

ふいに飛んできた質問に私は思わずきょとんとする。急にどうしたんだろうと不思議に思っていると、「あっ、ああ突然スミマセ…ッ!」とあわあわし始めたので、大丈夫だよと私は首を横に振った。

「実はこの前の合宿で研磨と友達になってそのときに聞いたんです。白咲先輩とは幼馴染だって」

友達になったという言葉に私はすこし目をまるくする。高校生になった今はわからないけど、少なくとも子どものころは私や鉄朗くん以外の友達と話しているところはほとんどみたことがなかった。
でも、そっか。音駒に会ったのはたった一日だけだったけど研磨くんは日向くんと友達になったんだ。その事実がなんだかうれしくて私はゆるりと頬を持ち上げた。

「だからもしかして白咲先輩もバレーやったことあるのかなーって」

"やったことがある"の定義が人によってどこからなのかが曖昧だけどたぶん普通に打ったりすることができるかどうかかなと思い、私は再び首を横に振った。

「ううん。子どものころにちょっとボールに触ったくらい」
「さわる…?」
「うーーーん…、トス、というか…」
「トス!?」

その瞬間、日向くんの表情がパァッと明るくなった。あっ違う…!トスっていってもそんな立派な名称がつくものではなくて、いわゆる球出しみたいなものだ。
セッターがするようなトスを想像しているであろう日向くんに慌てて私はカゴからボールをひとつとりだすと、「こういうほうの、球出し!」とボールを両手で持って下から山なりに投げてみた。

「………」

ポン、ポンポン…と体育館の床を弾みながら転がっていくバレーボールの音を聞きながら、どうしてか日向くんはじっと私を見つめていた。どうしたのだろうと首をかたむけると、ぽかんと開いていたその口はだんだんと口角が上がっていく。

「おれ、白咲先輩がボールに触ってるの、片付けとか以外では初めて見ました」

今度は私がぽかんと口を開く番だった。言われてみればみんなが練習で使ったボールを拾ったりすることはあっても、私自身が球出しをしたりすることはない。
片付けや準備以外でこうやってボールに触れる機会もあまりないためにいつぶりだろうと懐かしく思いながら、自分で投げて転がっていったボールを取りにいく。

ゆっくりと拾いあげたボールは片手では掴めないくらい大きい。きっと子どものころにこれを持ったときはもっと大きく感じていたのかな。それとも子ども用のボールだったっけ。そこまでは覚えてないや。
くるりと日向くんのほうに振り返るとちょうどネットの前に立ってこっちを見ていた。
ボールを持ったまま歩みを進める。そして自分の足がコートのラインの中に入ったとき、私は必然と目を少しだけまるめた。これが選手側の景色なのだ、と。

今まで全く意識なんてしてこなかった。コートがとても広い。ネットが思った以上に高い。でもボールをブロックしたりスパイクしたりするにはこのネットの上に手が伸びてなきゃいけない。私が頑張ってジャンプしても手の先がギリギリ出るか出ないかくらいかもしれない。

腕の中におさまるボールを感じながらゆっくりと呼吸した。

「…球出し、してみてもいい?」

トス、なんてそんな立派なものではない私のソレだけど、気付いたらそう口にしていた。
私はバレーに興味があったっけ。好きだったっけ。こんなに行動力があったっけ。どれもわからないけれど。

「はい!ぜひ!」

太陽みたいにきらきらと破顔する日向くんに甘えるように、私はすこしの懐かしさを手探りに掴もうとしているのかもしれない。


さて、どういうふうに投げようか。
自分から言い出したものの具体的なことまでは考えていなかった。トスと言われて想像するのはやっぱり研磨くんや菅原さん、影山くんのようなトス。あんなに綺麗なものは私には無理だけど形だけでもできないかなと両手でボールを顔くらいの高さまで持っていき、日向くんの頭上へと押し出すように投げてみる…けど。

ネットと平行になる位置にいる私が、ネットと垂直に向かい合って、しかも助走してくる日向くんの頭上にどうやってボールを合わせればいいのかが全くわからなかった。案の定ボールは大きくホームランして日向くんの頭上どころのはなしではなく、「ぅおっ!?」と驚きの声をもらってしまった。
なんという空間把握能力…!と全てのセッターの人に尊敬の気持ちでいると、大きく飛んでいったボールはやがて重力によって落ちていき。

「お、」

ぽしゅ、と体育館の入口に立っていた影山くんの手の中におさまった。

「あ、影山くん…」
「影山!?おまえいつからいた!?」

私たちの声が聞こえているのかいないのか、ボールを持ったまま影山くんは微動だにしない。私と日向くんは一度顔を見合せてお互いに首を傾ける。一体どうしたんだと思っていると、影山くんの切れ長の鋭い眼光が獲物を捕えるがごとくギロリと私をつかまえた。

ひぇ、と驚いているのも束の間、大股で早足でこちらにずんずんと歩いてきたのでその表情も相まって威圧感で気圧されそうになる。えっ何、ボール勝手に使っちゃまずかった…!?

「おまえまたその顔!怖いって影山ヤメロ!?」

日向くんは顔を真っ青にして止めようとするも影山くんの歩みは止まらない。日向くんにとっては何かを彷彿させているのか若干震えていた。

ピタ。と、私の目の前で足を止めた影山くん。じっと私を見下ろしていると思うけど私は顔を上げることができずに手が宙をさまよった。ど、どどどうしよう。ボールを使ったのがいけなかったのか、そもそもバレーもろくにできないやつがコートに入ってしまったからなのか。
思いあたることがいっぱいで何もわからないけど、このままでは埒が明かないとおそるおそる顔を上げてみることにした。

「トス、やろうとしたんですか」
「えっ、う、うん…」

意外にもその声は落ち着いていた。ちゃんと顔を見てみても別に怒っているわけでもなくいつもと変わらない。ただなんだか前のめりというかなんというか。
すると影山くんは、「日向、ボールこっちに返せ」と日向くんにボールを投げる。どうやらお手本を見せてくれるみたいだとわかり、私はすこし後ろに下がった。

日向くんから投げられたボールが宙を舞う。それを見上げた影山くんは、「手はこう構えて、」と言ってくれたので私も見よう見まねで合わせてみる。

「で、ボヒュッてします」

………ぼひゅ?

その聞いた事のない効果音と同時に影山くんからはいつもの綺麗なトスが上がった。でも、ぼひゅ、とはいったい何の音だろうかとそっちのほうが気になってしかたがない。それは日向くんも同じだったようで、助走していたその足はぴたりと止まりボールは虚しく床へと落ちた。

「…真面目な顔して相変わらず効果音がヘンなんだよな影山って」
「あぁ?わかりやすいだろうが」
「いやわかんねーよ!」

…ごめん。私も全くわからなかったです。でも試合に出るわけでもないマネージャーの私が教えてもらえるとはなんて贅沢なことだろうか。残念ながら伝わることはなかったけど教えてくれたというだけでもなんだかすごくあったかい気持ちになる。

「というか紬さん、なんで急にトスを?」
「あ、えっと、子どものころ幼馴染と遊んでたときにちょこっとボールにさわってたのを思い出して」
「………幼馴染?」

さっきの日向くんとの会話を思い出しながらこたえると、突然でてきた第三者の存在に影山くんはすこし眉根を寄せた。音駒とはこの前会ったばかりだし名前を言えば伝わるかなと口を開きかけたところで、「研磨のことだよ」と日向くんがかわりにこたえてくれた。

「けん、ま…?」
「音駒の!金髪のセッター!いたろ?」
「ああ、あのセッターの人…」
「うん、そう。あと鉄朗くん…あ、音駒の主将さんもだね」
「エッ…あのトサカ、あッいえ!し、しゅしゅ主将とも!?」

さっきは研磨くんの名前しか言ってなかったけどもうひとりいることを伝えると日向くんはすごく驚いた。ばっちりトサカ呼びは聞こえてしまったけど慌てて口を押えていたのでとくに突っ込むことはしなかった。トサカ…たしかに言われてみればそう見える、かも?

「つか、なんでおまえが知ってんだよ」
「練習試合んとき研磨が教えてくれた」
「…………」

そういえば練習中、研磨くんと日向くんが話しているところを何度か見た。さっき友達になったと言っていたしそれにうれしく思っていると、よりいっそう影山くんの眉間のシワが深くなる。
その様子にすこし疑問に思いながらも頭に浮かぶのはつい昨日のことのように覚えている音駒との練習試合。

「みんなすごかったよね。音駒との練習試合」

私のぽつりとした声は決して大きくはないけれど体育館に充分響いてふたりの視線を集めた。

全員が真剣だった。たったひとつのボールを絶対に落とすまいと必死に食らいついていた。バレーに対する気持ちが薄めな私のはずなのに、あの試合は見どころがたくさんあって目移りしてしまうくらい夢中になっていた。それが興味だと言われたらそうなのかもしれないと今なら思う。そしてそれが、今度は本番の試合となる。

「IH予選、頑張ってね」

ふたりの顔をしっかりと見上げてそう告げる。本番の試合、私は一度だって見に行ったことはない。どんな雰囲気なのか相手チームはどれくらい強いのか。全てが漠然としていてこうして応援することしかできないけれど。

「「はい!」」

元気いっぱいの力強い声が返ってきた。私が試合に出るわけではないけど心配と緊張といろんな感情が溢れそうになる。それでも勝ってくれたら嬉しいなあという気持ちが以前よりも確かにそこにはある気がした。





「あの、レシーブもやってみませんか!俺サーブするんで」
「おまえ白咲先輩吹っ飛ばす気かよ!?」
(うわぁ…想像できてしまった…)

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