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「そうだ。明日の放課後に部室掃除するから」

5月中旬。音駒との練習試合から数日がたったころ、本日の練習も無事に終了し最後に烏養さんのところに集まって話を聞き解散…になるはずだったけど、ふと清水先輩からそんな声がかかった。

「掃除?」
「えっ」
「そう、じ…?」

それに対する反応はさまざまで、ごく一部では急に青ざめたり慌てふためいたりと挙動不審になっている。
私は同じマネージャーとして事前に教えてもらっていたのだけど、掃除自体はたまに行っているらしい。ただ今まではマネージャーがひとりでなかなか掃除にまで手が回らず頻度は少なかったので今回は久しぶりだという。

「そういうことだから。よろしく」

きっぱり告げると、清水先輩は帰りの支度のために体育館を後にした。
部室掃除…私はまだやったことないどころか部室にすら入ったことがない。基本的に部活で使うものは用具室に置いてあるし、細かいもの…ドリンクボトルやバインダー、ストップウォッチなどマネージャーが使うものは女子更衣室で管理している。


「おいおまえら!今すぐ部室戻って片付けるぞ!」

清水先輩が体育館から出ていったのを見計らってから田中くんが一、二年生にそう合図する。でもそれに頷いたのは西谷くんだけで、他の人たちはきょとんと首を傾けていた。

「片付ける…って、何をですか?」
「うっ、そ、それはだな…」

純粋な疑問をぶつける日向くんにたじろいだ田中くんはその肩を組んでなにやら小声で話し込んでいた。内容は聞こえなかったけど、「なるほど…!?」と日向くんの納得する声は聞こえた。
なんだろう。学校に持ってきちゃいけないものとかだろうか。





次の日の放課後、昨日宣言したとおり部室掃除にきた清水先輩と私。まずは先に女子更衣室から取り掛かった。といっても私たちふたりしか使っていないし散らかすほど物も多くないので簡単に掃き掃除や拭き掃除で終わった。問題は男子のほうだ。

清水先輩が先頭を歩き、"バレーボール部(男子)"とドア上のプレートに書かれたドアをガチャりと開ける。その瞬間、ぶわぁっとした甘い香り…いや、柑橘系…石鹸?といろんな香りが次々と押し寄せてきた。

「な、なんの香りでしょうか…」
「…たぶん制汗剤。普段はわからないけど部室掃除するときはいつもこうだね」

はぁ、と短く息を吐いた清水先輩は迷いなく慣れたように入口で靴を脱ぎ、一面畳張りになっている部室に足を踏み入れた。もしかしていろんな種類の制汗剤を部室内に撒き散らしたのだろうかと思いながら私も後に続く。

男子の部室は女子と比べてかなり広かった。この広さであれば男子全員が入ったとしても余裕がありそうなくらいだ。
両脇の鉄でできた棚にはそれぞれの荷物やカゴに詰め込まれたボール、小さなトレーにはテーピングやハサミ、消毒液、何かのボトルなどが乱雑に置かれている。部屋の一番奥には普段教室で使っている机と椅子、壁には人気アイドルのポスター、そしていくつかロッカーが並んでいた。

特別散らかっているというわけではないけど、あちこちに積み上げられたダンボールや埃だらけになった誰のものなのかもわからない鞄などが棚の上や部屋の隅にある。これはなかなか時間がかかりそうだと思いながら私たちはさっそく掃除に取りかかった。




−−−





「あ、そろそろ時間かも」

私が椅子に乗って棚の上を掃除していたとき、部室の壁にかかっている時計を見た清水先輩がそう呟く。私もつられて時計を見るとあと数分で試合形式の練習の時間だった。
でもまだ掃除は全部終わっていなくてあともう少しのところ。このまま中途半端に終わらせるのもモヤモヤするのでどちらかが残るということになった。

「どっちがどっちやりましょうか…」
「んー…、じゃあジャンケンしよう」
「じゃんけん」

清水先輩からそんな単語が出てくるとは思っていなくてちょっぴり驚いてしまったけど、とりあえず勝ったほうが残って掃除ということに決まる。「じゃーんけーん、」とすこし間延びした清水先輩の声とともに私も拳を用意して勝負に挑んでみた。

「ぱー」
「ちょき」

ぽん、という声に合わせてそれぞれが手を差し出した。ちなみに結果は清水先輩がパーで私がチョキ。

「じゃあ私が練習に戻るほうだね」
「はい。残りのお掃除終わったら私も戻ります」
「うん、わかった。でもまた椅子に乗って上のほう片付けるときは気をつけてね」

自身が使っていた掃除用具を掃除ロッカーへとしまい、ふたたび靴を履いて部室を出ていく清水先輩。パタン、とドアが閉まって静かになった部室は来たときよりもはるかに綺麗になっている。もうひとふんばりだと私は気をつけながら椅子に乗って棚の上を見上げた。

ひとつひとつ大きなダンボールを床に下ろしていく。中に入っていたのは古びた鞄だったり知らない名前が書かれたノートだったり、小テストの答案用紙だったり。きっと卒業した先輩たちのものだろう。
届けるにしても何年前の先輩なのかもわからないしこれは処分しちゃってもいいのかなと思っていたところで、ダンボールの底に何やら真っ黒な大きい布を見つけた。なんだろう、タオルにしては布地が薄いけど何層も重なっているから結構な重さがある。

それにしても埃をかぶりすぎてほとんど真っ白になっている。ここで思いっきり広げたらせっかく掃除した部室がまた埃だらけになりそうなので、布が重なっている部分をゆっくりと静かにめくって広げてみた。

──ガチャ。

そんなとき、背を向けていた部室のドアが急に開けられてびくりと肩がふるえた。

「…何ですか、ソレ」

清水先輩が戻ってきたのかと思い振り向くけれど、入口に立っていたのは眉をひそめながらこちらを見ている月島くんだった。

「あれ、どうしたの?」
「テーピングがなくなったので取りに来ただけです。それよりその黒いの何ですか」

テーピングの補充し忘れていたかと自分のミスを申し訳なく思いつつ、ソレと視線で月島くんが指し示したのは座り込んだ私の足元に広げられている真っ黒な大きい布。でも私も今見つけたばかりなのでこれが何なのかはわからない。

「棚の上にあったダンボールに入ってたの」
「埃だらけじゃないですか」
「うん…誰かの忘れ物かも」

そういいながらふたたび重なっている布を広げていく。かなり大きな布のようでやっと全体が見えてくるころには部室半分ほどの床が布で覆いつくされていた。真っ黒な布の真ん中には筆で書かれたような書体の白い文字が目に飛び込んでくる。

「…"飛べ"?」

これは…?とあまりピンとこなかった私。右下には"烏野高校男子バレーボール部OB会"と書かれておりバレー部のものなのはわかったけどいったい何に使うんだろう。

「これ…、横断幕ですね」

横断幕。そう言われて思いついたのはどこかの柵や壁に"全国大会出場!"とか"本日全品セール中!"と書かれてあるアレのことだろうか。そのだいぶ偏った知識を伝えてみると、「まあそんな感じです」と返ってきた。

でもどうして横断幕が、とそこまで考えたところでハッとする。月島くんがこれの存在を知らないということはもしかして先輩たちからのサプライズだったりしないだろうか。だからだれにもみつからないようにダンボールの中にしまっていた、とか。

ま ず い 。

自分の推理に肝が冷えた私はそれはもう慌てて広げた横断幕をかき集めるようにして自分の元にたぐりよせて腕の中に閉じこめた。そんな私の行動を月島くんは引き攣った顔で凝視する。

「な、何で自ら埃まみれになったんですか…」
「だってこれサプライズだったかもしれないし!」
「はぁ…?」

布を抱きしめたことで埃が舞ってしまいかるく咳き込んでしまった。それには呆れたような視線をもらってしまったけどサプライズする前に本人にバレてしまうなんてよろしくない。そう思っての行動なのだと月島くんに説明すると、少し考えたあとに大きなため息をつかれた。

「僕たちに見せるためのものならそんなところにしまって埃をかぶせるとは思いませんけど」
「……うん」
「清水先輩がこれを知ってたらちゃんと管理してるんじゃないですか?」
「……たしかに」

だんだんと私の推理は間違っていることに気付いてきた。月島くんのいったことが合っているならたぶん、この横断幕の存在は今のバレー部員は誰も知らないのかもしれない。
ゆるゆると横断幕を抱き締めていた腕に力がなくなっていく。今後これをみんなに見せるにしてもすでに月島くんが知ってしまった以上、私がここで隠し続ける意味はないのだ。

「見事に埃だらけですね」

飽きれた顔をする月島くんは当初の目的だったテーピングを片付けた棚からいくつかとっていくと、そのまま部室を出ていった。ぱたん、と閉まったドアにさすがに自分でも乾いた笑いしか浮かんでこなかった。少し考えればすぐにわかることなのに、サプライズということに焦ってしまった結果だ。

でもこれを試合で使うのか使わないかの判断は私ではできない。もし使うなら綺麗にしないといけないしクリーニング代もかかる。それならサプライズではなくなってしまうけど清水先輩の指示を仰いだほうがいいかもしれない。
とりあえずこの横断幕は一旦元のダンボールにしまって女子更衣室のほうに持っていこう。

そう思いながら横断幕を畳んでいると、またガチャリと部室のドアが開いて反射的にそちらに顔を向けた。

「……、月島くん?」

ムスッとした顔で戻ってきたので私はゆっくりと首を傾ける。忘れ物だろうかと思ったけど、こちらに近付いてきて何かを差し出された。

「どうぞ」
「…タオル?」
「今濡らしてきたんで」
「えっあ、ありがとう」

おそるおそるそのタオルを受け取るとひんやりとしていてとても気持ちいい。でもタオルはとてもありがたい。クリーニングに出すにしても多少は自分でも埃をなんとかしておかないと出しにくいだろう。
すこしはマシになってくれないかなと思いながらもらったタオルで横断幕を拭こうとすると突然、「ハァ…!?」と驚かれて手首をパシッと掴まれた。

「そっちじゃなくて、白咲先輩自身を拭いてほしいんですけど」

えっ。

眼鏡の奥から眉をひそめた顔にジッ、と見つめられる。床に座り込んでいる私の手首を掴む月島くんも必然的に膝をついているためにいつもより目線がとても近い。普段はその身長差で見上げているからこの距離は新鮮だなと思っていると、「その埃だらけのまま練習に戻る気だったんですか」とお小言をもらってしまった。

そっか。横断幕を抱きしめたせいで埃まみれになってしまった私の服をなんとかするために。一度部室を出ていったのはタオルを濡らしにいっていたんだ。
たしかに私が自分でタオルを濡らしに行くとしてもその間に周りから変な目で見られそうだ。それを思えば月島くんのしてくれたことはとても助かった。

「ありがとう、月島くん」

もう一度しっかりとお礼を言う。すると月島くんはハッとしたように目を丸くして掴んでいた私の手首を慌てて離す。そして、「じゃあ僕はもう戻りますから」とすこし早口で告げると忙しない様子で部室を出ていった。

なんだかんだ月島くんにはこうやって気を使ってもらうことが多いな。本来ならマネージャーである私がサポートしなくてはいけないから申し訳ない気持ちもあるのだけど。
そう思いながら濡れたタオルをありがたく使わせてもらった。

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