28



帰りの準備を済ませて外に出ると、すっかり空は夕焼けに覆われていた。建物も、木々も、人も全てに焼けるようなオレンジ色が纏い、空では数羽のカラスが鳴き声とともに通り過ぎていく。ここに来たときは青空だったのに、本当にあっという間だったと再びそう感じた。

烏野と音駒はひと勝負し終えたあとだからなのかそれぞれが仲良くなっているようで、あちらこちらで握手を交わしたり挨拶をしたりと別れを惜しんでいた。
宮城と東京では距離があるからなかなか会うことができない。もし次会えるとしたら、ひたすら試合に勝ち上がったあとに待っている全国大会。

「……、」

きゅ、と背負っているリュックの肩掛けを握りしめた。

全国大会なんて、急に話が大きくなった。はたして私はそれまでにバレーを好きになれるのだろうか。マネージャーとしてしっかり仕事をこなしていけるのだろうか。
そんな心配が浮かび上がるのと同時に、みんな頑張ってほしいなという気持ちも込みあげてくる。

その"みんな"に含まれているものは。

私はきょろきょろとあたりを見回した。挨拶を交わしているこの場では烏野と音駒が入り交じっているけど、目立つその姿はすぐに見つけられた。

「鉄朗くん、研磨くん!」

ふたりとも一緒にいたのでちょうどよかったとそばに駆け寄る。私の声に反応して鉄朗くんは「おー」と軽く手をあげた。

「紬のほうから来てくれるなんてな」
「あ、うん。ちょっと言いたいことというか…」
「もしかして俺らと離れるのが寂しいー、とか?」
「んーー、それもあるけど…」
「……………」

急に鉄朗くんが黙りこんだので顔を上げると、ハァ…という深いため息とともにまたしてもジト目を向けられる。なんだか今日はその顔をよく見る気がする。

「言いたいことって?」

鉄朗くんに一瞬目を向けた研磨くんだけどまずは用事が先だと言葉を投げてくれた。私はすこしだけ呼吸を整えてじっとふたりを見上げる。

「あの、ね。私は烏野マネージャーだから、やっぱり烏野を応援してます」

緊張によってたどたどしくなる言葉をなんとか繋ぎ合わせて話を切り出す。目の前のふたりはとくに驚くこともなく黙って聞いてくれた。

「でもそれは音駒を応援しないって意味じゃなくて、烏野に勝ってほしいけどどっちも勝ってくれたらなあなんて…え、っと」

せめて言葉をまとめてから伝えるべきだったと今更になって慌てふためいてしまった。両方応援するとは簡単なようにみえて言葉にするとすごく難しい。だって烏野側からすれば敵を応援していることになってしまうのだ。でも私個人にとっては幼馴染がいる学校でもあるから、敵といってしまうのも、なんだか。だから。

「が、頑張ってね…!」

ふたりを交互に見つつ、やっと言えた応援の言葉はとてもぎこちなくて頼りないものとなった。さっき言ったとおり烏野をいちばんに応援していることに変わりはないけど、実際に口に出したことを考えるとまさか自分の所属する学校よりも先に他校を応援するなんて裏切り者と思われても仕方ないのかもしれない。

でもまたしばらく会えなくなってしまう。こういう大事なことはやっぱり直接言いたいのだ。今日しか、今しか、なかったから。

しん、と静寂につつまれる。頭上を通り過ぎるカラスの鳴き声もやさしく吹く風もなんだかいつも以上に耳に届く。

「紬もね」

返してくれたのは研磨くんだった。夕焼けが滲んだ金色の髪をきらきらと靡かせて、ふ、と穏やかに頬をゆるめる。

「マネージャー大変だと思うけど」
「ありがとう。…あ、また連絡してもいい?」
「うん」
「…電話は、大丈夫?」
「え、」

私の提案に研磨くんはギクリとした様子でちいさく声をこぼした。思えば鉄朗くんとは電話するものの研磨くんとはした記憶がほとんどなくいつもメッセージアプリでのやりとりだけだった。
もしかして電話が苦手、と質問してから気付いたところ返答に困った研磨くんは右往左往と目が泳ぎはじめ黙りこんでしまったので、私は慌てて手を横に振った。

「ごめん、なんでもない…!いつもどおり連絡するね」
「あ…、うん…」

どんなに仲のいい友達でも幼馴染だとしても強制はよくない。親しき仲にも礼儀あり。戸惑っていた研磨くんの表情がほんのわずかに和らいだのをみて、つまりそういうことなのだとわかった。

「わ、っ」

今まではバレーとは全く関係のないことで連絡することがほとんどだったけど、これからはバレー関連の話題もあがるのかなあなんて思っていたところで、突然髪をくしゃりと撫でられた。
もちろんこの手は鉄朗くんのものだとすぐにわかる。

また今朝みたいに髪がぼわぼわになってしまうと思ったけど、その大きな手はひどく優しかった。ゆっくり顔をあげると橙色の空を滲ませたその瞳はすこしだけ艶っぽく、私の視線と絡むと撫でていた手は名残惜しそうに髪をすり抜けていった。

「また、な」

印象付けるかのように途切れを混ぜた鉄朗くんの声はその低音も相まって心地よく耳をふるわせる。

"じゃあな"ではなく"またな"。
その意味は考えるまでもない。

「またね」

私はみんなの元にもどるために身を翻しながらふたりに手を振った。次に会うときは全国大会で。そんなかっこいいことをマネージャーになりたての私が言える言葉ではないけど、せめて気持ちだけはそうであるように。

…ふと視線をずらすと、研磨くんが絶句した様子でとなりの鉄朗くんを凝視していた。どういう状況…?





−−−






音駒と別れた私たちは学校にもどるために住宅街である道を歩いていた。それぞれがなんとなく二、三人でかたまって歩く中で歩幅の狭い私は一番後ろにいる。

さっきまでは烏養さんからのIH予選だったり今日の反省会などのはなしで力強く意気込んでいたみんなも、帰路の間ずっとその雰囲気を保ち続けているわけもなく、しばらく歩いてからはそれなりに雑談に花を咲かせていた。
私のとなりにいる影山くんもすこし眠たそうにおおきな欠伸をしている。

「眠そうだね」
「あー、いえ。大丈夫です」

欠伸によって必然的に目尻からこぼれそうになる涙を強引に手で拭う。バレーに詳しくない私からみてもボールに一番触れている回数が多いのは影山くんだと思う。その上であのすごいトスを上げているのだから相当な集中力を維持しているのだろう。欠伸のひとつやふたつでたところで何もおかしくはないのだ。

「あ、そうだ。試合見てたよ。影山くんがあのまっすぐにスパイクしてるのとかも」
「…もしかして拍手してたのって紬さんですか?」

影山くんにも試合見ててと言われていたことを思い出してその話をしてみると拍手のくだりをふられたので、えっ聞こえてたの!?と目を丸くする。みんなの掛け声も結構あったしバレー中の影山くんはひたすら集中力がすごいと思うから気付いていないと思っていたけれど。

「ご、ごめん…やっぱり集中の妨げとかになってた…?」
「……?なってませんけど」

あ、そうなんだ…ならよかった。自分が思っている以上に拍手が大きい音になっていたらどうしようかと思ってしまったけど、影山くんはとくに気にしていないみたいなのでホッと胸を撫で下ろした。

そんなとき、ふと疑問に思った。私が試合を見ててほしいと言われたのは三人。鉄朗くんは自分たち音駒の試合を一度もみたことがないからだと思う。清水先輩は普段の練習とも違うし、いろいろみたら勉強になると思ったから。

「ひとつ質問してもいい?」
「?はい」
「どうして試合見ててって言ったの?」

ぴた、とほんの一瞬だけ影山くんの足が止まった。でもすぐさま歩みを進めて私とは大いに違う歩幅の広さで再びとなりに並ぶ。

「前にバレー好きなんですかって聞いたと思うんですけど、」
「うん」
「もちろん無理に好きになってほしいとは思ってません。でも試合見てすこし興味とか持ってくれたら、とは思ってて」

興味。
曖昧でふわふわしたその言葉は何度か聞いたものでもあるけれど、今日の練習試合を見てそれはもしかしたら私の中に芽生えたかもしれないものだった。

ふいに影山くんと目が合った。次は私がこたえる番だと脳裏に今日の練習試合の様子をうっすらと思い描いていく。

「今日の試合ね、私からするとあっという間だったんだ」
「………」
「楽しい時間とかってすぐに終わっちゃうように感じたりすると思うんだけど、もしそれと同じだったらなあって」

まだ名前のつけられないこの気持ちにいちばん近いのは、きっと興味という言葉なのかもしれない。

子供のころにすこしだけバレーボールに触れてみた。そのあとはしばらく離れていたけど中学でマネージャーが足りないからとお手伝いとしてすこしだけ関わった。結局マネージャーにはならなかったけど、それが後悔として心残りになっていた高校生の私に入部届の紙が差し出された。

何かの巡り合わせなのか、これら全てが私がマネージャーになるためのきっかけに繋がった。私にはきっかけをくれた人がたくさんいる。
その紙を受け取ってどうしようかと迷っていたとき、まずは試合を見てほしいといってくれた影山くん。今回の練習試合でもまた同じ言葉をくれた。それは私にとってとても大事なこと。

「ありがとう、影山くん」
二度も背中を押してくれた、まっすぐな人。

自分の顔がこれでもかというくらいゆるんでいるのがわかった。まだ興味の"き"の字がやっと見えてきたところだから喜ぶのは早いのだろうけど、たったそれっぽっちでも自分が知らなかったこと、見ていなかったものに色が付きはじめたこの気持ちには、たしかに嬉しいという色も混ざっているのだ。

「それって、気になるっていう意味でいいんですか」

私のはなしはすこし言い方がまわりくどかったのかもしれない。ちょっぴり眉根を寄せる影山くんにどう応えようかと悩むけれど、興味も気になるということも似たような意味だと思って私はこくりと頷いた。

すると影山くんはわずかに目を見開いて、きゅ、っとその薄い唇を結ぶ。でもなんとなくその表情はうずうずしているような、まわりに小さな花がパッと咲いたみたいに嬉しそうに見えて。

「影山くんはバレー大好きなんだね」

微笑ましくなった私は思わずそう口にした。いつもむずかしい顔をすることがほとんどだからとても新鮮だ。すると私の言葉を噛み締めるかのようにほんのり口元をゆるめて、「はい」と頷き、

「…好きです」

じぃっと私を見下ろして、そう告げた。



「"好きです"ゥ…!?」

突然前方からそんな声が上がった。驚いて顔を向けると前を歩いていたはずの田中くんが足を止めてこちらに振り返っている。

「おま、今…好きですっつったか?!」
「えっ言いましたけど…」
「え、い、いつから?!」
「あー、まあ結構前っすね」
「まじかよ」

影山くんの返しで絶望したような表情になる田中くんに私は首を傾ける。バレーが好きなのは誰もがわかっていることだと思っていたけどこんなに伝わってないことがあるだろうか。なんとなくふたりの話が噛み合ってないようにみえる。

「そんな…影山は超がつくほどバレー馬鹿だと思ってたのにいつの間にこんな色気付いて…!」
「は?色気…?」
「そうか…そうかー…いや、いいんだ!おまえもひとりの漢だからな!先輩から言ってやれることは何もないが、頑張れよ!」

力強くポンと影山くんの肩をたたく田中くんは驚きつつもひとりで何かに納得したのか、太陽に負けないくらいのニッという笑顔をみせると、「スマン、邪魔したな!」と颯爽に前へと行ってしまった。まるで嵐のようだ。


静かになった私たちはぽかんした様子で去っていく田中くんを見ていた。影山くんは何のことだかさっぱりわかっていないようで、試合のときの鋭い目付きが嘘のようにまんまるとしている。そのとなりの私は目を細めながら少々苦笑いだ。

「…たぶん、影山くんが私に告白したと思ったんじゃないかな」

たぶん、いや絶対そうだと思う。田中くんの口から"色気"という単語が出てきたときに察してしまった。私たちがはなしていた内容は聞こえていなかったのか、おそらく"好きです"の部分だけが聞こえてしまったんだろう。そんなことがあるかとツッコミたいところだけどそんなことがあったみたい。
これはあとで訂正しないと、と思っていたところで、

「……ッ、ハァァァ!?」

影山くんから今日一の叫びがこだまして私はびくりと怯んでしまった。よくよくその表情をうかがえば、顔を真っ赤にさせて驚きのあまり目を大きく見開いている。

「なっ何…は、…え?!」

影山くんにとってはあまりにも予想外なことだったらしく、その声は全く言葉にならず口をぱくぱくとさせている。…これは一刻も早く訂正しにいったほうがいいかもしれないと思った私は、未だに紅潮したままの影山くんに目を向けた。

「え、と…田中くんのところにいこっか。違うって説明しないと」
「えっ」
「…え?」
「あ、あぁー…ぉ、ううん…?」

私の提案に驚く影山くん。ひたすらに目をぱちくりとさせて混乱しまくりの様子はよっぽどさっきのことに衝撃を受けてしまったらしい。
もしかしたらこういった話はあまり慣れていないのかもしれない。私も慣れているわけではないけれど、となりにこんなにも困惑している人がいるからちょっとだけ落ち着いていられるだけだ。

影山くんは何を思っているのか泳ぐ目も赤らむ頬も変わっておらず、しばらくの間はその足取りもいつもよりずっとぎこちなかった。





「ねぇ大地。なんか後ろで好きとかなんとか聞こえるんだけど」
「影山も大人になったのかあ…」
「父親か?」

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