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ピーッという笛の音とともに試合が始まる。清水先輩に言われたとおり、私はスコアを付けることもなくベンチに座ってボールの行方を追っていた。

まず最初の一点目は影山くんと日向くんによる例の速攻。私には速すぎて何が起こっているのかわからないのだけど、目を瞑ってスイングする日向くんの手のひらに影山くんがボールを合わせるという、普通じゃ考えられないようなプレーらしい。
それが決まると、ものの見事にまわりはどよめきだして自身の目を見開いている。

そして二点目はエースである東峰先輩が重い一撃のような音とともに相手コートにスパイクを決めた。
まだはじまって二点目だけど、調子がいいのかなと私はすこし頬をゆるめた。


それからも点を決めたり決められたりの繰り返しだけど今のところは烏野が数点リードしている。油断はもちろんできないけどこのままいけば勝てるんじゃないのか。…そう思っていたのはどうやら私だけだったらしい。

「あの7番の子、たぶん日向のスパイクにちょっと触ってるかも」
「え?」

ぽつりとこぼした清水先輩に振り向くと、その横顔はまっすぐコートへと注がれていた。楽観的だった私とは違って、すごく悩ましそうな声だ。

「そうなんですか?」
「私たちの角度からだとわかりにくいけど、試合はじまったときより手とボールの距離が近いから、そうかなって」

そういえば、一点目の速攻では日向くんの前には誰もブロックが追いつかないままスパイクを決めていた。初めて見る速攻だから意表をつかれたというのもあるんだろうけれど。

でも、今は。

もう一度再現するかのように影山くんが速いトスを上げる。日向くんがそれを打とうとする瞬間、ネットを挟んだ目の前には7番の人が追いついていた。
…ほんとだ、最初と違う。

「あの、清水先輩」
「うん?」
「試合中ってどこを見ればいいんでしょうか…?」

おそるおそる告げる質問に清水先輩は目をぱちくりさせる。でもすぐに目をやわらかく細めて笑みを浮かべた。

「見たいとこたくさんあって迷っちゃうよね」
「すみません…」
「ううん、私もよく目移りしたりするから」

そういって清水先輩は再びコート内に視線を戻した。

「最初のうちはボールで大丈夫だと思うけど、慣れてくるとそのボールに今誰が向かっていくかとかを見たりするかな」

ほら見て、と清水先輩はコート内をちいさく指をさした。その先を私も視線で追いかけると、ボールは音駒コートにあり、レシーブしたボールをちょうど研磨くんによってトスが上げられる瞬間だった。…でも。

そのままボールは高く上がるのかと思いきや、研磨くんは、ちょん、と触れただけでボールは烏野コートに静かに落ちた。
え、そういうのもありなんだと私は目を丸くする。

「あとは毎回決まった場所にボールが返ってくるわけじゃないから、そういうときは誰がカバーして誰がどこに打つのかをみたり、とか」

私も苦手なんだけどね、と苦笑いする清水先輩の声を聞きつつ試合を眺めていると、今まさに説明してくれたように、「ノヤっさん、カバー頼む!」ときつい体勢でレシーブした田中くんが西谷くんに託した。

誰が打つんだろうと、ゆるやかに落ちてくるボールを構えて待つ西谷くんを見ていると、「ライト!」と影山くんから声が上がった。

え、影山くんが打つの?と驚いている間にボールに合わせてジャンプした影山くんは正面でブロックするふたりの横をすり抜けるようにして腕を振り下ろし、音駒コートにボールを沈ませた。

わ、あ…。
思わず息を呑み、気付いたら私はぱちぱちと拍手をしていた。ボールを追いかけているだけでは絶対にわからなかったことが今見れた。
視野を広げるというのはバレーにおいても大切なんだなと思っていたところで、なんとなく両隣りから視線を感じる。

それは清水先輩や武田先生、そして烏養さんのものであり、私の奏でる拍手をきょとんとした目で見ていた。

「す、すみません…!」

浮かれているように見えただろうか。それともうるさかっただろうか。そんな不安がこみあげてすぐに拍手する手を止め、膝の上でかたく拳を握りしめる。

「すごいですよね、影山くん。思わず僕も見入っちゃいました」
「ほんと、悔しいくらい上手ぇんだよな影山は」

はは、と笑う武田先生にすこしホッとして握りしめていた拳をゆっくりと解く。その隣の烏養さんも言葉通り悔しそうな表情を浮かべるも、どことなくうれしそうにも見える。
先生たちからみてもそう感じるということは本当にすごいんだ。


技術的なことは私にはわからないし説明もできない。でも音駒の点が少しずつ烏野と縮まってきている。
それに烏野のみんなで慣れていたからなのか、音駒を見ているとなんとなく安心感があるような。

「…目立たない、ですね」

そんなとき、隣に座っている武田先生がぽつりとこぼした。

「影山くんは素人から見てもすごい感じが伝わってきますけど、音駒のセッターくんはすごいことをやっているのかもしれないけど、あんまりわからないというか」

音駒のセッターくん…研磨くんのことだ。たしかに影山くんは普段の練習を見ているとしても日向くんとの速攻は誰にも真似できないんじゃないかと思うほどにすごい。他の人との連携だってもちろん。

研磨くんがバレーをしているところは今日初めてみた。私にはまだ上手いかどうかはわからないから、すごいという言葉しか言えないのだけど。

誰かがレシーブしたボールを研磨くんがトスを上げてまた誰かが打つ。それは烏野のみんなだって同じことをやっているはずなのに、研磨くんを見ているとなぜか安心する。
それは別に幼馴染だからとかそういう意味ではなく…なんだろう。

「それは音駒の安定したレシーブのせいだな」

武田先生の疑問にこたえたのは烏養さんだった。

「どんな攻撃を仕掛けるにしても一番重要なのはセッターの頭上にきれいに返ってくるレシーブだ」

セッターである影山が自身の圧倒的才能でデコボコチームを繋ぐのが烏野なら、セッターである孤爪をチーム全員のレシーブ力で支えるのが音駒。

そう説明してくれた烏養さんに私は自分が感じていたことに納得した。安心するような気がしていたのは間違いではなかったらしい。

たまにボールが変なところに飛んでいってしまうことはどちらのチームにもあったけど、音駒はそれでもレシーブ力があるから、ちゃんと研磨くんのほうに返すことができる。
ちゃんとそこに返ってくるという信頼があるから安心するように見えたんだ。

それに気付いた瞬間にまた一点入れられて、烏野はとうとう音駒に追いつかれてしまった。
それからはだんだんと音駒が追い上げてきてセットポイント。試合がはじまったばかりのころは誰もブロックがいなかった影山くんと日向くんによる速攻も、ここへきてあの7番の人についにブロックされてしまった。



「ねぇ、紬ちゃんて音駒のチームに幼馴染いるんだよね」

第1セットが終了し、それは音駒の得点となった。とられちゃったと思っていたところで、清水先輩からの声に、えっ、と目をまるくする。

なんで知っているんですかとありありと顔に浮かんでいたらしい。そんな私に清水先輩はくすりと笑って、「さっき田中たちが騒いでたの聞いちゃって」とちょっぴり眉を下げる。
ああ、あのときか…と思い出すもとくに秘密にしているわけではないので私は驚きつつも頷いた。

「じゃあやっぱり迷ったり、する?」
「え?」
「幼馴染がいるならどっち応援しようか迷ったりするかなって」

まさに今もずっと悩んでいたことを当てられてしまい一瞬言葉がでなかった。でも私は烏野のマネージャーなのだと、ぶんぶんと首を横にふる。

「そ、そんなこと、は…」
「目が泳いでる」
「ぐぅぅ」

誤魔化せなかった。

言われたとおり私はどちらを応援すればいいのか迷っていた。烏野はもちろんだけど音駒の応援はダメなのかと。だからさっき研磨くんに頑張れということもできなかった。

バレーに対する私の気持ちはみんなとくらべたらまだまだ薄い。どうしてそんなに頑張れるんだろうと思うときもある。それに私の応援ひとつでなにかが変わるわけではないのだ。

でも目の前で頑張っている人に頑張れと伝えたい気持ちは、どうやら私にもあるみたい。

「…今から言うことは私のひとりごとだから、絶対に返事しないでね」

モヤモヤと色んなことを考えていると、再びコートに視線を戻した清水先輩はこちらを見ずに口を開いた。その視線の先ではそろそろ第2セット目が始まろうとしている。

「私はね、両方応援してもいいと思う」

応援しちゃいけないなんてことはないし、そもそも強制することはできないし。
そう告げる清水先輩の言葉を私は静かに聞き入る。ひと息おいたところで、「…でも、」と続いたので私はその横顔をじっと見つめた。

「ほんのちょっとでもいいから烏野を多めに応援してくれたら…、うれしい…な」

だんだんと尻すぼみになっていく声とともに横顔も俯き、清水先輩の顔はみるみると赤らんでいった。

ぱち、と私はひとつまばたきをする。絶対に返事はしないと約束してしまったから声は出せないし頷くこともできない。


両方応援してもいい。
その一言を私はゆっくりとかみしめる。

私は烏野マネージャーだ。まだ部員になって日が浅いから部に対する思い入れもバレーそのものもみんなより薄いけど、それでも烏野が勝ってくれたら…私は嬉しい。

でも応援したい頑張っている人は音駒にだっているんだ。両者ともにひとつのボールを絶対に落とすまいと必死になっている。

返事はしない。そう約束したから。
でもなんだかすこしあったかくなったような気がして、気付かれないように口元を緩めたのは内緒のおはなし。

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