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5月3日の午前11時ごろ。朝一番のロードワークも無事に終了し私たちは体育館にもどって練習をはじめた。
ちなみに日向くんはあのあと見つけられなかったけどちゃんと自分で帰ってきてくれたので一安心した。

みんながレシーブやサーブの練習をしている中で私も忙しなくきびきびと動く。清水先輩はもどってきた私と交代でお昼ご飯を作りにいっている。私も午後の分のタオルやドリンクの準備を終えたらそっちにいくつもりだ。

そして午後のお昼を済ませたら私たちは明日のぶんの買い出しにいく。近くには嶋田マートがあるのであらかじめ武田先生からもらっている費用をやりくりしながらメニューを考えないといけない。
もちろん食べ盛りの男子高校生の栄養バランスをしっかり考えたものをつくる予定だ。

中学でそれなりにお手伝いが楽しいと思えたあのころとは確実に違う。合宿だからということも大きいけどそもそも楽しいなんて考えていられる余裕はなく、ひたすら手を動かして目の前の仕事を終わらせていかなければならない。

バレーのことを少しずつでも好きになっていけたらなと思っていたけれど、まずその練習風景をのんびり眺めていられる時間はない。

とにかく忙しいが口癖になりそうになりながらもなんとか仕事をこなしているうちに気付いたらあっという間に空が暗くなっていた。





本日の練習も終了し、夕食もお風呂も全て済ませた私は大部屋にあらかじめ敷いておいた布団に座ってスマホをいじっていた。

清水先輩はすでに帰宅してしまってこの大部屋はど真ん中にぽつんと布団があるだけでなんとも殺風景。
隣の男子部屋からは何人かの楽しく騒ぐ声が聞こえており、襖で閉ざされたその先の光景は当然見えない。

その声を聞いて中学の修学旅行を思い出した。明るい時間にクラスの友達と遠出できるのはもちろん楽しいけれど、就寝時間に布団に集まってトランプをしたりおしゃべりしたりするのは、昼間とはまた違う楽しさがあるのだ。
普段では絶対に味わえない、布団を囲ってみんなでわいわいできる修学旅行ならではの楽しみ。

それは昨日と全く同じ。練習のあとでもみんなは元気で楽しそうだなあなんて思ったりもした。でも昨日は初日ということもあり慣れない環境でいつもより疲れてしまったために、私はすぐに寝てしまったのだ。

でも、今日はちょっと違った。昨日より疲労は蓄積されているもののすこしずつ慣れがでてきているのか、意外にも頭は落ち着いていた。

合宿という、緊張や楽しみや不安や浮かれ気分などいろんなものがごちゃまぜになって、その間からわずかに覗いてくる現実というもの。
相変わらず襖の向こうからは楽しそうな声がいくつも聞こえてくる。


なんとなく、さみしくなった。




−−−





「あれ、白咲?」

階段を降りて玄関の近くにある自販機でガコンと音を鳴らしながら出てきたお茶を取り出していると、ふと声をかけられる。
そちらに振り返るとお財布を手にした菅原さんがきょとんと首をかたむけていた。

「どうしたの、眠れない?」

時刻は23時より少し前。そろそろ消灯時間だけど気を紛らわすためになんとなく降りてきた。
私はなんと言おうか迷ってしまい言葉に詰まる。まさかひとりが寂しくなったなんて子供みたいな理由は恥ずかしくて言えるわけがない。

「いえ、ちょっと喉が渇いて…」

全くの嘘というわけではないけど本当の理由を隠すために出た声はすこしぎこちなかった。
怪しかっただろうかと焦ったけれど、「俺もー。何飲もうかなあ」と気にしてなさそうだったので内心ホッとした。



自販機のとなりには休憩スペースがあり、飲み物を買った私たちはそこのソファーに腰掛けた。パキ、とペットボトルの蓋をあける音とともにお茶をひとくち含んですこしずつ喉を潤していく。
正面に座る菅原さんもほぼ同じタイミングでお茶を飲んだみたいで口から離したペットボトルを膝の上で持ちながら、くすりとちいさく笑った。

「なんか悪いことしてる気分だな」
「悪いこと?」
「だってこれ夜更かしだろ?」

言われてみれば確かにそうだ。もちろん長居するつもりはなくて、消灯時間になる前にもどるつもりではあったけど。

「菅原さんは寝ないんですか?」
「んー?寝るよ。これ飲み終わったらね」

そういう菅原さんはまたひとくちお茶を口に含む。一気に飲み干すことはせずにゆっくりとした動作は、ちょっぴり夜更かしを楽しんでいるようにもみえた。

「昨日も寝るのが遅かったみたいですし、大丈夫ですか?」

普段どうかはわからないけど合宿という名目でここに来ている以上、意味のない夜更かしをするような人にはみえない。でも今日の朝は眠そうにしていたし、こんな時間にここにいても大丈夫なのかすこし心配になってしまった。

「あー、あれね。もう終わったから平気」

そういいながらまたお茶を一口飲む菅原さん。何かをつくっていたらしいのはわかったけど結局なんだったのだろうか。
そんな私の疑問が顔に出ていたのか、菅原さんはわずかに頬をゆるめると、「あれっていうのはね、」と教えてくれるみたいだ。

「一年たちに配る用にサインを描いた紙をつくってんだ」

サイン…?と私は首をかたむける。一瞬名前のほうを連想したけど部活でつかうということはそっちではなく、合図のほうかと納得した。

「これは謙遜じゃなくて事実なんだけどさ。セッターとしての実力って俺より影山のほうが上なんだよ、圧倒的に」

きゅ、と胸が縮こまった。
世間話でもするかのようにさらりと口にした内容はとてもじゃないけど軽く受け止められるものではなかった。

「でも俺だって試合出たいし負けたくない。仮に今は出られなくても俺にできることってなんだろうなって考えて…」

で、あの紙をつくろうって思った。
そう話してくれる菅原さんの言葉に静かに耳を傾ける。朝起きれなかったのはそれが理由だっんだ。
紙に描いたサインというのは、トスをどこにあげるかなどの合図をまとめたものらしい。自分が試合にでたとき、みんなと連携がとれるようにつくったそうだ。

「まあ練習しないと試合じゃ使えないんだけどね」

ちょっぴり眉を下げながらため息混じりに笑う菅原さんだけど、すごく…強気だった。
後輩に実力で抜かされる。それはバレーに限らずどんなことであっても決して気分のいいことではないはずなのに。

まぶしい。
シンプルにそう思った。

私も子供のころにバレーボールに触ったことはあるけど、すこしやってみて、でも全然うまくいかなくてすぐに辞めた。
もっとできるようになりたいとか、うまくボールを扱えるようになりたいとか全く思わなかったわけではないけど、そのために費やす時間や努力が大変だと早々に諦めてしまったのだ。

「すごい、ですね」

月並みの言葉しか出てこないけど本当にこれ以上のものは見つからなかった。菅原さんは卑屈になどなっていない。自分より上手い人がいても頑張ることを諦めない人。

私はそんなまぶしい人から逃れるように下を向いてお茶を持つ手を力なく眺めた。


「あ、そうだ。俺がいうのも変な感じするけど…ありがとな、マネージャーになってくれて」
「えっ」

突然話は変わってそんなことを言われた私は素っ頓狂な声をあげてしまった。今は夜で私たち以外ここにはいないため、やけに響いてしまった気がする。

「最初すっごい悩んでたろ?でも今はこうしてマネージャーになって清水と一緒に頑張ってるしすごい助かってる」

私は思わずきょとんとした。「…なんか、改めてこういうの伝えるってちょっと恥ずかしいな」とほんのり頬を染めながら照れ笑いする菅原さんに、未だに何を言われたのか頭が追いついていない。

ふたりだけの烏野マネージャー。ずっと清水先輩がひとりでやっていた仕事を今は私が半分やることになった。効率的なやり方だったり経験の差はまだまだ埋められなくて教えてもらいながらなんとか終えている段階ではあるけど。


負けたくないという気持ち。前向きな思考。強くなるために何ができるのかを必死に考えて毎日たくさん練習をする。
部活とは私と全く違う考えをもつ集まりのようだった。明るくて活気があってとても楽しいけど、同時に孤独感もあって。

私がマネージャーになることを悩んでいたのがまさにこれだ。バレーが好きかどうかはわからないからこそ頑張ろうという気持ちがみんなより薄いという、この熱意の違い。
もともと何かに対して夢中になったり必死になったりすることがなかったために、それは浮き彫りになっていた。

いい意味でまぶしくて、悪い意味でついていけないのではないかと怖くなる。

もうすこしバレーボールに触っていればよかった。そうすればみんなと張り合えるくらいもっと頑張ろうと思えたのかなあ、と。

「頑張れてるん、ですかね…」
「え、なんで?」
「その、みなさんのバレーに対する向上心がものすごいので…」

あまりにも私の心の中が卑屈すぎるために思いっきり言葉は濁させてもらった。でもなんとなく伝わってくれたのか、「あー、」と返ってくる。

「まあ影山と日向とかはバレーと結婚しそうな勢いだよなあ」

けっこん…?
そこまで考えたことはなかったけど朝昼晩ずっとバレーのことを考えていてもおかしくないところがあるので、確かにと頷く。

「正直俺も誰かと比べて全然、なんて思ったこともあるよ」
「え、そうなんですか」
「うん。自分よりうまいやつなんてたくさんいるからね」

はは…と力なく笑う姿に、私と似たようなことを思ったりもしたんだと静かに聞き入る。

「でもそういうのって考えるだけ落ち込むし、あんまり気にしないほうが練習に集中できるなって思って」

それは、確かにそうだ。自分より頑張っている人をみるとそこまで気持ちを持っていけない今の私にとっては悪い方にばかり考えてしまう。
"好き"という壁があまりにも高すぎる、と。

「それに、ちょっとくらい自分を労ったっていいわけだし!」

そういう菅原さんの声はさっきよりも少しだけ弾んで明るくなった。聞き入る私に目を細めたあと、すこし間をあけてから「…だから、」と続ける。

「今日もお疲れ、白咲」

やわらかく頬を持ち上げた菅原さんは私の代わりに私へと労いの言葉をかけた。

ぱち、と一度まばたきをして菅原さんをじぃっと見る。そんな中で労いかあ、とゆっくり今の言葉を噛みしめた。


熱意の違いなんてそもそも中学のころから感じていたわけで今に始まったことではない。ただ正式にマネージャーに身を置いていることであらためて実感しているだけ。

バレーを好きになるかどうかも熱意の差を埋めることも今すぐどうこうできるものではないとわかっていても、悩まないでいられるほど私は大人ではなかった。
だからまっすぐ頑張れるみんなが羨ましいし、そこに並べない自分はみんなより数歩後ろをとぼとぼと歩いている気持ちだ。

でも。

お疲れ様って、不思議なことばだ。その一言があるだけでなんとなくでも今日も頑張ったなーと思えてくる気がする。
ただ現状はなかなか自分を褒めることはむずかしくて、マネージャーを頑張れているかどうかもまだ素直に受け止めきれないから。

「…ありがとうございます。菅原さんもお疲れ様です」

そのかわり、せめて菅原さんからの言葉だけでももらっておこう。私が私を労うことが今はできないのなら。
お茶を持つ手にわずかに力を込めながら私も同じ言葉を口にした。

自分がどんな顔をしているのかはわからなかったけどほんのすこし目を丸くした菅原さんが再び頬をゆるめて「…うん」と頷いたのをみて、さっき部屋にいたときよりはマシになったのかなと思えた。




「そろそろ寝るか!明日も早いしな」
「はい!」

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