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5月3日の早朝。太陽がでてきてやっと空が明るくなったばかりの時間帯に枕元に置いてあったスマホからのピピッというアラーム音で意識が浮上した。
眠たい目をこすりながらなんとかこじあけると自分の部屋とは違う見慣れない天井がおぼろげに見えてくる。

んー…そうだ、合宿所だ…。
うとうとしたい気持ちを押しのけてのっそりとしながらも身体を起こす。スマホを開いてアラーム音を消すと、ふわぁ…と大きなあくびがでた。そして両腕をぐーーっと上に伸ばして身体をほぐしていく。

結局昨日は緊張や心配ごとなどいろいろあったけど慣れない一日に疲れて部屋に戻ったあとはすぐに寝てしまった。気にしすぎて眠れないなんてことがなくて良かったとは思うけど。

さて。まずは顔を洗って朝ごはんの準備をしなければと、ジャージに着替えて部屋をあとにした。



洗面所で顔を洗ってちょっぴり跳ねていた寝癖もどうにかして鏡を確認しながら身なりを整えていく。大丈夫かな、と準備を終えて洗面所を出ると、近くからぺたぺたとスリッパの音が聞こえてきた。

「おース白咲、早起きだな!」
「あ、おはよう西谷くん」

Tシャツに短パンとまだ寝るときの格好のままだったけどその目はぱっちりと覚めているようで朝から元気なあいさつをもらった。

「西谷くんも早いね」
「なんか目覚めちまったんだよなー」

今日から本格的に丸一日の練習がはじまるのでそれが楽しみらしく、西谷くんはワクワクした様子で満面の笑みを浮かべていた。
まぶしいくらいのその笑顔につられて頬を緩めていると、「あ、そうだ」と何かを思いついたらしい西谷くんと視線がかち合った。

「白咲にもちょっと手伝ってほしいことがあってよ」

両腰に手をあてた西谷くんの提案になんだろうと思いながらきょとんとする。私はこれから朝ごはんをつくりにいかないといけないのだけど、それが終わったら来てほしいと言われてしまい西谷くんはそのまま走り去ってしまった。

ぽつんと残された私はどうしたらいいのか困ったものの、まずはご飯をつくりにいかなきゃと急いでキッチンに向かった。




−−−





朝食については清水先輩もつくるといってくれたのだけど、そうすると早朝のまだ暗いうちに登校しないといけなくなってしまうので、私と武田先生の二人でつくることになっている。
メニューは夕飯のときとくらべると軽めでお味噌汁と白米、スクランブルエッグや焼き魚などである。

盛り付けも終えてテーブルにお皿を並べたあと私は一度先生に断りを入れてから部屋に戻った。
部屋…といっても、それは男子部屋。ドアの前にはすでに西谷くんが立っていて、私の姿を見つけると大きく手を振ってくれる。

「おー白咲、終わったのか?」
「うん、今なら出来たてだよ」
「おおおすげぇ腹減ってきた…!よし、じゃあこれから任務を言い渡す!」
「任務…?」

自信満々にそういう姿はなんとなく入部届を出したときの田中くんを思い出させた。このふたり、仲もいいけど似たもの同士でもあるんだなあ。


西谷くんに説明されたとおり私は一旦女子部屋に入り、男子部屋と繋がっている襖のほうに身体を向けて深呼吸した。そして左右の襖の取っ手に両手をかけて勢いよく開けるとバン!と壁に当たるいい音がした。

「お、起きてくださ〜〜い…!」
「みんな起きろーー!」

襖からの私とドアからの西谷くんの大きな声に、雑魚寝状態の布団の中から次々とくぐもった声が聞こえてきた。

「ん、んんぅ…?白咲…?」
「あ、お…おはようございます、澤村先輩」
「んー…おは、よ…?…え?」

一番襖側で寝ていた澤村先輩は私の足元で眠そうに目を擦りながらこっちを見上げた。まだ寝起きということで声も若干掠れていて状況がわかっていない様子だ。

西谷くんに手伝ってほしいと頼まれたのはみんなを起こすことだった。それなりに人数もいるしなかなか起きない人もいるみたいでひとりだと大変だからとのこと。

本来ならこの仕切りの役割である襖は理由がないかぎり開けないようにと言われてはいるけど、朝ごはんもできているし起こすためという目的がしっかりあるのでたぶん大丈夫だろう。
とはいえ、私がずかずかと上がり込むわけにもいかないのでこうして女子部屋から声をかけるということにしているけれど。


私たちの声かけによりだいたいがのそのそと眠そうにしながらも起きてくれたけど、まだ数名ほど気持ちよさそうな夢の中の住人がいる。
私はあんまり部屋の中に入らないほうがいいと思うので、できるだけ襖側に近い人を起こそうとその場にしゃがみこんだ。

「菅原さん、東峰先輩起きてくださーい」

襖側に一番近かったのが三年生だったので目を覚ました澤村先輩を除いて残るはふたり。でも呼びかけてもちっとも起きてはくれなかった。

「西谷くん、どうしよう…全然起きてくれない」
「あー、スガさんと旭さんか」

西谷くんはドア付近で寝ている一年生たちを起こしていた。といっても月島くんと影山くん、そして二年生たちは最初の呼びかけで起きてくれたようだ。
まだ寝ているのは枕を抱えこんでいる山口くんと、ふたり分の布団に大の字でいびきをかいている日向くん。寝相が個性的である。

どうすれば起きてくれるかなと困っていると「じゃあまずは…」とおもむろに西谷くんは敷かれた布団を踏みながら窓のところへと歩いていく。

「これでどーだ?」

シャーッという音とともにカーテンが勢いよく開けられた。陽の光が窓から差し込んで一気に部屋は明るくなる。ちょうど陽の光が顔面に直撃した山口くんと日向くんは顔を顰めながらも目をあけてくれた。
一方で菅原さんと東峰先輩は直接光があたったわけではないけれど、眩しそうに眉間にシワを寄せたのでもうすこしかもしれない。

「起きてくださーい、朝ごはんできましたよ」
「んー…」
「あと5時間…」

長い…!
だめだ。まだふたりとも意識は浮上してきているけど眠気のほうが勝っているみたい。
これでも起きないかと肩を落としていると「白咲」といつの間にか起き上がっていた澤村先輩に呼ばれた。

「そういうときはこうするといいよ」

どうやらもう目は覚めているようだけど、なぜかいたずらっ子みたいな表情を浮かべている。いったい何をするのだろうと眺めているとその手は東峰先輩の枕へと添えられた。

「起きろ!」
「ふぐッ」

掴んだ枕を思いっきり引き抜くと、ぼふんっという音とともにやわらかい布団に東峰先輩は沈んだ。確かにこのやり方なら確実に目が覚めるけどなかなか手荒だ。でも「何すんだよぉ…」「起きなさい、朝飯食い損なうぞ」となんとか起こすのに成功したみたい。

でも、と私は眉をひそめる。澤村先輩は今私を呼んでからまるでお手本のようにそれをやってみせた。ということはつまりこれから私が菅原さんの枕を…?

相手は先輩だ。でも起きなければ朝ごはんが食べられないし遅刻してしまうしスケジュールもおしてしまう。何ひとつ良いことはないので先輩だ後輩だといっている場合ではないかもしれない。

「…やっぱ俺が起こそうか」
「あ、いえ大丈夫です!」

私に気を使ってくれたのか澤村先輩は手伝おうとしてくれるけど、みんなの朝ごはんの時間が少しでも長めにとれるように先輩より私がひとり残ればそれで済むはずだ。
それにこういうときのために私というマネージャーが泊まりで残ったので、澤村先輩たちには先に食堂へ行ってもらうことにした。



みんなが部屋から出ていったあと、あらためて未だに眠っている菅原さんを見下ろす。これだけ会話を繰り広げていても一切起きないのでやっぱりやらなければいけないらしい。
非常に申し訳ない気持ちはありつつも遅刻はよくないということで、私は覚悟を決めて菅原さんの枕の両端をぎゅっと掴んだ。

「失礼します…!」

そしてそのまま勢いよく枕を引っこ抜こうとする。けど人間の頭は想像以上に重たいようで澤村先輩のようにうまく枕が抜けてくれず、私の手のほうが枕からすっぽ抜けてしまった。
結果、ちょこっと枕がズレただけ。

それでも効果はあったようで布団がもぞもぞと動く。起きてくれたのだろうかと菅原さんの横に膝をついてその顔を覗き込んでみた。

「…起きました?」
「んーー…ん、?」
「朝ごはんできてますよ」
「…ぁ、白咲…?……えっ白咲!?」

一気に覚醒したのか慌てて勢いよく起き上がる菅原さん。大きく目を見開いてこちらを凝視するその顔はすこし赤くなっている。
何度もまばたきを繰り返し、あたりを見回して散らかった布団が無造作に敷き詰められているだけのからっぽな部屋にきょとんとした。

「え、あれ、みんなは…?」
「食堂に行きました」
「…もしかして俺、一番最後?」

わずかに口元を引き攣らせた様子に私はゆっくりと頷くと菅原さんは大きなため息をついた。

「ごめん…起こしてもらっちゃって」
「いえ、全然!」

手をひらひらとさせて大丈夫ですとこたえるも、菅原さんは罰が悪そうな顔で項垂れる。まだ遅刻にはなっていないので問題はないのだけど、もしかして夜遅くまで起きていたりしたのだろうか。

「あんまり眠れなかったんですか?」

いつもの自宅ではないし枕が変わると眠れない人もいるらしい。それで寝れなかったのではないかと聞いてみるも、「あー…、」と思い出すようにその視線は宙に投げられた。

「そういうわけじゃないんだけど…」
「……?」
「んー…、内緒」

ちいさく笑う菅原さんに私は首をかたむける。「まあ内緒にするほどのことでもないんだけど、まだ完成してないから」と続いた言葉に私はますますわけがわからなくなった。何かをつくっているのかな。


とりあえず起きてくれてよかったと胸をなでおろしていると菅原さんは一瞬固まって真顔のまま私をじっと見つめてきた。え、なんだろうとたじろぐとこちらの出方を伺うように静かにその口が開かれる。

「起きなかった俺が悪いんだけど、見ちゃったよね…?」
「え、と…何を?」
「…寝顔。俺の」

半ば諦めたみたいな声に、あ…と気付く。毎年合宿はあるものの清水先輩は家が近いから泊まることはないのでこうして女子が起こしに来ることもなかったわけだ。

友人や家族なら何も思わないけど菅原さんの立場になってみれば他人に寝顔を見られるのはたしかにすこし恥ずかしい。
寝顔どころかあちこちぴょんぴょん跳ねている髪も現在進行形で見ちゃっているけど、それをいったら菅原さんが沸騰しそうなのでやめておこう。

ここは何というのがいいのだろうか。友人ならからかったりなど色々あるけど先輩相手にそんなことはできない。かといって堂々と見ましたよ、なんていえる勇気もなくて、どうしよう…と頭の中をぐるぐるとかけめぐる。

うーーーーん…と悩んだ末、失礼のないように言葉は慎重に選ばなければと思いながら、私はあらためて菅原さんと視線を合わせた。

「菅原さんは寝顔も素敵ですよ…!」

ぐっと拳を握って意気込みながらそういえば、目をまるくした表情が私をとらえる。でもすぐにそれはジト目に変わり、みるみるうちに真っ赤に染まった顔を隠すように菅原さんは口元を手で覆った。

「…明日は絶対一番に起きてやる」

ぼそりと呟いた声は寝起きのせいもあってなのか、いつも以上に低い。
…どうやら逆効果だったようだ。

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