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夕飯とお風呂を済ませた私はスリッパのぺたぺたという音を鳴らしながら部屋に戻ろうと廊下を歩いていく。清水先輩が帰宅した今、お風呂は私ひとりだったのですこし寂しさはあったものの、ゆっくりと湯船につかってぽかぽかととても気持ちがよかった。

慣れない環境でいつもより疲れてしまったから今日はもうこのまま布団に入ってしまおうと思っていると、薄暗い廊下の正面から誰かの足音が聞こえてきた。よーく目を凝らしてみると色素の薄い髪が高い位置で揺れているのが見える。

「あ、月島くん」

ちいさく手をあげて声をかけてみると、気付いてくれた向こうも軽くぺこりと会釈をしてくれた。その手にはタオルや眼鏡ケースを持っており、どこに行くのかがピンとくる。

「もしかしてこれからお風呂?」
「はい」
「そっか。中、結構広かったよ」
「四人で入ったら狭く感じそうですけどね」

それを聞いて、そうかと納得する。私は女子ひとりだから貸し切り気分を味わえたけど男子は学年ごとなんだ。さすがに男子のお風呂事情は知らないけど中学の修学旅行では女子風呂はにぎやかだったから、男子もそんな感じになるのかなあ。

「でも楽しそうだね」
「…風呂に楽しさ求めてないんで」

いや、まあ確かにそうだけど。本来のお風呂の用途を考えて心の中でそう頷く。日向くんや影山くんあたりが騒がしくして月島くんはそれに迷惑そうな顔で山口くんは苦笑い…みたいな光景がとても想像つく。

…やっぱり、楽しそうだ。

いいなあなんて羨ましい気持ちはあるけれどそれは口にしないでおく。ここへは遊びにきたわけではなく強くなるためにきたのだ。私はそのサポートのためにいるのだから。

「…あ」
「え、なんですか」

そんなことを考えながら月島くんを見上げていたとき、ついこの前のことが頭に浮かんだ。それは青葉城西からの帰り道のこと。そういえば私、まだ月島くんに謝ってない…!

「青葉城西の帰り、気を使わせちゃってごめんね。…って言ってなかったよね」

目を合わせることがすこし気まずくてやや俯きがちになる。あのときは何度も謝るなと言われてしまったけど、もう数日経っているし、私の行動はあまりにも自分勝手だった。

「…コーヒー牛乳が好きってはなしですか」
「お、覚えている…」
「くだらなすぎて逆に覚えただけです」

はっきりくだらないって言われた…!先輩に対しては同年代よりやや棘がすくなめかと思いきやそんなことはなかった。
突然グサリと刺さるものはあったけど私はここでめげてはいけない。

「でも話し相手になってくれてありがとう」
「………」
「とっても助かりました」
「…いえ」

情けない気持ちでいっぱいになりながらも、にへらと頬を緩める。月島くんは一言そう返しただけで黙ってしまったけど、とくに怒っているわけでも気にしているわけでもなさそうで安心する。

あのときの会話はそもそも会話と呼んでもいいものかと思うくらい、私が一方的にしゃべって月島くんがめんどくさそうに相槌をうつだけのものだった。

及川さんから後悔のはなしを教えてもらったばかりで素直に受け止めきれずに困惑していた私にとって、何があったのかをなにも聞いてこなかったことはとてもありがたかった。
たとえ聞かれたとしてもきっと説明すらできなかったと思うから。


それから数秒くらいどちらも言葉を発することがなく沈黙が続いた。もともと月島くんはおしゃべりな人ではないし、仲がいいかと言われるとまだそこまでたくさん話したことがあるわけではないからなんとも言えない。

「えと…じゃあ、私は部屋にもどるね。ごめんね引き止めちゃって」

そもそも今回は旅行ではなく部活としてここに来ているため、ある程度時間が決められている。お風呂の時間もだいたい何時から何時までと指定があるのでこうしておしゃべりを続けていたらそのぶん短くなってしまうのだ。

それではゆっくり休めないだろうと一歩踏みだそうとしたときだった。

──うわあああァァァァッ!!

どこからか誰かの叫び声が聞こえて飛び上がる勢いで肩が跳ねた。危うく持っていた洗面用具を落としそうになる。それは月島くんも同じのようでその目は大きく見開いていた。

「なっ、なに?何事!?」
「…たぶん日向たちでしょうね」
「え、わかるの?」
「まあ、なんとなく声で」

驚いていたのは一瞬だったみたいで、すぐに落ち着きを取りもどした月島くんはいつもの飄々とした様子で誰の声かと特定した。叫び声だけでわかっちゃうなんてすごいな。
それからすぐに澤村先輩の注意する叫びも聞こえてきて、何があったのかはわからないけど怒られたんだなあということだけは理解した。

「じゃあ僕はいきますね」
「あ、うん」

そのあとは何かが聞こえてくるわけでもなく静けさを取り戻した。私がさっき帰る素振りをみせたので、今のできごとで中断したものの今度は月島くんからそう言われ私の横を通り過ぎる。でもすぐにその足はぴたりと止まった。

「…おやすみなさい」

顔だけすこしこちらに向け、軽く頭を下げながら聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそれは紡がれた。
ゆっくりと私の目はおおきく丸まっていく。ぱち、とまばたきをしたところで月島くんはすでに背を向けて歩きだしていた。

仲がいいかはちょっとわからない。それはたしかにそうなのだけど。

あんなに青葉城西では変な話に付き合わせてしまったのに。くだらないと思われていたのに。
そんな月島くんからいわれた言葉。おやすみなんて日常あいさつ、するのが普通だと思われるかもしれないけれど。

「お、おやすみ…!」

なんてことないそれがとても嬉しくて、私の声はいつもより弾んで廊下に響き渡った。

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