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あっという間に日が過ぎて今日は5月2日。練習はいつものように体育館で行われたけれど今日から数日、帰る場所は自宅ではなく部活動合宿用施設となっている。

普段のスケジュールよりすこし早めに練習を切り上げた私たちは、木が生い茂って真っ暗な場所にぽつんと立つ合宿所にたどりついた。

時刻は20時少し前。空はすっかり暗闇につつまれており、他の建物もまばらのために星がより綺麗に見えた。
そのかわり合宿所のそばに街灯がひとつあるだけでなんとも頼りない。ときどき消えかかりそうなその明かりはより一層薄気味悪さを醸し出していた。

「中、入んないんですか」

雰囲気あるなあなんて思いながら眺めていると月島くんが隣にきてそんなことを言われる。え、とまわりをみるとみんなはすでに合宿所の中に行ってしまっていた。

「置いていきますよ」
「あっ、待って待って!」

慌てて肩にかけていた荷物を背負い直す。私が持っているのは4泊5日分の着替えやら色々を詰め込んだ大きめのバッグ。決して軽いとはいえないそれの肩紐を強く握りしめながら月島くんの背中を追いかけた。



玄関から入ってまず目にとびこんできたのは正面にある大きな絵。向日葵がたくさん描かれているそれは鮮やかな青空と向日葵の黄色がとても綺麗で、立派な額縁とともに壁に飾られている。
左手側には壁の下半分くらいの高さの大きな靴箱があり、みんなはそこに脱いだ靴を入れてスリッパに履き替えていた。

私も同じように靴からスリッパへと履き替えていると月島くんが短くため息をこぼす。

「どーした月島?初日からため息なんて」

近くにいた菅原さんが気付いて振り返ると、眼鏡の奥からのぞく顔は疲れたように眉間にシワが寄っていた。

「これから数日間むさ苦しい連中と一緒ですからね」
「そんなこというなって!仲良くなるチャンスだろ?」
「いりませんよそんなチャンス」

ふたりの会話でそういえばと思い出す。今回の合宿で清水先輩は日帰りということで用事が終わったあとは合宿所ではなく自宅に帰ることになっている。
最初は私もそのつもりだったのだけど、万が一何かあったときマネージャーが必要になる場合もあるかもしれないということで念の為に後輩である私はひとり残ることになったのだ。

初めての正式なマネージャーで初めての合宿で夜だけとはいえ女の子は私ひとりという不安しかない状況ではあるけど。

「白咲、どうしたの?」

気付いたら菅原さんに覗き込まれていて私は慌てて顔を上げた。せっかくみんながやる気になっている楽しみな合宿がはじまるのだ。私が不安がって場を曇らせるのはよろしくない。

「い、いえ!なんでもないです」
「…そう?」

きょとんとする菅原さんに首を横に振ると不思議そうにしながらも納得してくれたらしく、そのまま先へと歩いていった。

この前の青葉城西との練習試合ではミスばっかりだったから今度こそそんなことのないようにしなければとぎゅっと拳をにぎりしめる。
そのとき、なんとなく視線を感じて顔を上げると月島くんがじっと私を見下ろしていた。なんだろうと思い首をかたむけるけど何事もなかったように視線を逸らされてしまい、真意はわからなかった。




−−−





私たちが寝泊まりするのは大部屋で男子で一部屋、私はひとりで一部屋というかたちになった。部屋は隣同士で襖を開けるだけで行き来できるので何かあったときの対処はしやすいだろう。ただしとくに用がないときは開けないようにと先生からの釘さし済みである。

一旦そこへ荷物を置き、私と清水先輩は急いで食堂へと向かう。合宿所は私たちバレー部の貸し切りのためにご飯も自分たちで用意しなければならない。
それに食べるのは男子高校生大人数という一番食べ盛りな人たちなのでかなりハードな作業となった。

さすがにマネージャー二人では手が足りないと判断したのか、武田先生が自ら名乗りを上げてくれてなんとか全員分の夕食が完成する。
それぞれ人数分のお皿に盛りつけてテーブルへと並べ、練習でお腹を空かせたみんなを呼べば嬉しそうな声とともに食堂に入ってきた。
今日のメニューはカレーとポテトサラダだ。

「いただきます!」

全員が席についたところでみんなで手を合わせた。
スプーンとお皿が鳴る音を耳にしながら私もカレーを一口分すくって口へと運ぶ。辛いものが苦手な人もいるかもしれないと中辛で作ってみたけれどほどよい辛さで、じゃがいもや人参もホクホクとしていてとてもおいしい。


まわりでおしゃべりも楽しみつつ空腹も満たされてきたところで、「ほぉいえふぁ」と近くからよくわからない声が聞こえてきた。

「ふぇんふぁいふぁふぁへーふぁーにふぁっへふへへ、」
「待て待て日向、何言ってるかわかんねー!飲み込めそれ!」

斜め前に座っている日向くんが両頬いっぱいにものを詰めながら話しはじめたので、私の隣に座っている田中くんが焦って止める。んぐ、と一生懸命飲み込んでついでにお水も一口含んで落ち着いたところでその大きな目を私に向けた。

「白咲先輩がマネージャーになってくれて良かったって言いたかったんです!」

あ、私に話しかけてたのねと視線を合わせつつ目をぱちくりさせる。

「だってあのとき大王様に誘われてたじゃないですか」
「…大王様?」
「おいかわふぁんのことでふ」

大王様って誰だっけ…と視線を彷徨わせると、日向くんの隣でカレーを頬張っている影山くんが教えてくれた。日向くんと同じくらいもぐもぐしていたけれどなんとか何を言っているのかはわかる。「君も一回飲み込んでから言いなよ」と月島くんに怪訝そうな顔で見られていたけど。

そっか、及川さんのことかと納得はできたけど誘われているとは何のことだろうか。…もしかして引き抜きと言われていたあのときの話?そういえば日向くんは及川さんから言われたイイ返事のことを勘違いしていたっけ。

「あれは別に誘われていたわけじゃないよ」
「えっ、違うんですか!?てっきり青城のマネージャーに誘われてるんだと…」

うーーん…、なんてこたえたらいいだろうか。どうしても話せば長くなってしまうし食事時にするような明るい話でもない。

「及川さんにはお悩み相談みたいなことをしてて、それのこたえを待ってるねって意味でああ言ったんだと思う」

どういう悩みなのかはここでは省略させてもらうけど、私がマネージャーになるかどうかの返事を知りたくてあんなふうに聞いてきたから説明としてはこれで問題ないはずだ。

「あの優男にお悩み相談って、ある意味すげーな…」

や、優男…。田中くんにまでそう呼ばれているなんて。及川さん、知らないところでいろんなあだ名付けられてますよと苦笑いする。
相談についてはするつもりはなかったのだけどあの状況では言わざるを得なかったというか。でも結果的にこうしてマネージャーになれたのだから、そのきっかけをくれた及川さんには今度お礼を言わなきゃ。

ただ、及川さんが"良かった"といった理由については未だにわからない。そもそもそれを教えてほしいならマネージャーになってねという話に発展してしまったけど、その日のうちに決められないまま練習試合が終わってしまったから結局聞けずじまいなのだ。
次会ったときに聞けるといいのだけど。


「そうなんですね!おれの勘違いでよかった〜」

ホッとしたのか日向くんは大きく胸を撫で下ろすと、今度は目の前のポテトサラダをかきこんだ。よっぽどお腹がすいていたのかなと微笑ましくなる。

「やけに嬉しそうだな、おまえ」

横目で見ていた影山くんがサラダを頬張る日向くんを怪訝そうな顔で見下ろすと、確かにと田中くんからも同意の声が上がった。

「嬉しいに決まってんだろ!」
「何でだよ」
「影山は嬉しくねーの?」
「う…!?う、うれ、し…」

珍しく影山くんの声が裏返って最後のほうは尻すぼみになってよく聞こえなかった。「どもりすぎだろ!」と田中くんに笑われていたけど、それによって恨めしそうに日向くんを睨んでいた。

「おれ、中学のときはあんまり部員がいなかったからこうやってバレー部っていうチームになれるのがすげー嬉しくて」

視線を下げながらしみじみとそう語る日向くんはすこし寂しそうで、でも顔を上げるころにはいつもの活気が戻ってきていた。

「だからバレー部に入ってくれる人が増えたって思うと、もうなんていうか、グワーッて!」

顔を綻ばせながらはなしてくれる日向くんを見ていると、本当にバレーが大好きなんだなという気持ちが伝わってくる。

澤村先輩には好きかどうかは気にしなくていいとは言われたものの、やっぱり部活に入った以上バレーに対する気持ちが自分とは圧倒的に違うことを思い知らされる。
言葉にしなくてもその表情や声から好きだということがわかるのだ。

それは、私にとってとても羨ましい。
でも今すぐにバレーを好きになれるかといわれると難しい。

誰かに強制されて、もしくは好きにならなきゃいけないと義務感を持ってしまえば好きになることはきっとないだろう。
気付いたらいつのまにか好きになっていた。それが一番いいのかもしれないけど、いったいいつになるんだと気が遠い話でもある。

だからこそ。

「…ありがとう」

私がバレーを好きかわからないことは入部届を出したときにみんな揃っていたから知っているはずだ。
それでも日向くんは私がバレー部に入ってくれたことをこんなにも喜んでくれた。
キラキラとしたまっすぐな瞳には嘘偽りがなくて本当にそう思っているんだなとぽかぽかとした気持ちを噛みしめていく。

「日向くんのぐわーって気持ち、ちょっとわかった」
「えっ、わ、わかりました!?なりますよねグワーッて!」
「うん、なった」

私がそう頷くと日向くんは満面な笑みを浮かべて、えへへ…と声に出して、また口いっぱいにカレーを頬張った。

焦る気持ちはやっぱりどうしてもある。それを否定はできないけれど好きになれるのがいつなのかわからない以上、今は目の前のマネージャー業を頑張らなくてはと私もカレーをスプーンで掬い、ゆっくりと口へ運んだ。

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