15
体育館にたどりついた私たち三人は扉をじぃっと見上げる。それぞれ着替えも済ませて私は入部届の紙を持って静かに佇んでいた。
「…なあ、本当にやるの?」
「そのほうが盛り上がるだろ?たった一言だけだし雰囲気づくりは大事だ!」
ふたりの間に挟まれている私は頭上の会話に耳をかたむけている。はたして入部届を出すときの盛り上げは必要なのかという疑問もあったけどこういうことは気合いでいくのがいいのかもしれない。
「入部届出すだけなのに盛り上げいる?」
ジト目を向ける縁下くんに心の中で、あっ、と焦りを浮かべた。うーーん、とても正直。
「いるだろ!貴重なマネージャーだぞ!」
「いやそれはわかってるけど」
「つか、なんだかんだ縁下も俺らに付き合ってくれるんだな」
「白咲さんひとりにおまえを任せるわけにはいかないだろ…」
縁下くんの大きなため息になんだか申し訳ない気持ちになってくる。せっかく田中くんが案を出してくれたのにあまりノリがいいほうではない私ではどうすればいいか迷ってしまったので、こうして縁下くんも来てくれたのは本当に助かっていた。
「大丈夫白咲さん?無理しなくてもいいんだからね」
「うん、大丈夫。緊張はするけど…」
普通にわたすだけでも何も問題はないけど、田中くんが私のために意気込んでくれているのを無駄にはしたくない。
それに一年生たちが入部届を出したときに私は一緒に出せなかったしずっとみんなに迷惑をかけていたのだ。それでもこうやって考えてくれた田中くんの気持ちがとても嬉しい。
「じゃあ俺が扉開けるからおまえらは俺に続いて、」
「おーい田中?外でなにやってんの?」
「ゲッ!バレた!?」
扉の前まできて田中くんが取手に手を引っかけたそのとき、中からこちらに呼びかける声がした。この声、たぶん菅原さんだ。普通の音量で話していたし中まで筒抜けだったのかもしれない。
「え、どうしよう」
「いーやまだいける!俺に続けェ!」
ここまできて台無しになってしまうのかと思ったけれど田中くんはそのまま強行突破を貫くらしく私は慌ててその横に並び、縁下くんもしぶしぶといったかたちで私の隣に立つ。
そしてガラッと扉を開けて、
「たのもォォオオォッ!!」
「た、たのも〜〜…!」
「たのもー」
明らかに声量の違うその言葉を同時に口にする。突然私たちによる派手な登場に中にいたみんなはなんだなんだと目を丸めて一斉にこちらを凝視した。
「全員道をあけろー!白咲紬様のお通りだアア!」
「田中ー、誰も道塞いでないぞー」
「す、スガさんやめてぇ…!」
私を中心にして田中くんは道を譲ってもらおうと声を張るけど、やっぱり菅原さんにはさっきの会話が聞こえていたらしく楽しそうに声援をおくってきた。
「本当に大丈夫?白咲さん」
「へ、平気!」
と、いったものの。すでに部活が始まる直前のために部員全員がそろっていて、その全ての視線が私に注がれているこの状況は恥ずかしさでいっぱいになっている。
心配そうな縁下くんと盛り上げがとりあえずうまくいって「よし、行ってこい!」と背中を押してくれる田中くんに頷きつつ、私は未だに目をぱちくりとしている澤村先輩のところまで歩いた。
「あ、あの…澤村先輩」
「えっ、なに、どうしたの?」
あ、まずい。ものすごくドキドキしてきた。今この体育館内は私に注目していて、みんなからの視線を感じる。「告白か?」「こんな大勢の前で?」なんてひそひそ話も聞こえる。たくさんの人から見られている中での行動というものは何をするにしても緊張が伴った。
ぶわあっと顔に熱があつまって入部届の紙を持つ手がすこし震える。おそるおそる澤村先輩を見上げると、先輩もみるみるうちに顔を赤らめてしまった。うわ〜〜〜注目の的になってしまって申し訳ない!
「こ、こここれ…!」
「えっ」
え〜〜い、もう行ってまえ!と入部届を両手で持って、勢いよく澤村先輩の目の前に差し出した。
「これ、って…」
「入部届です!」
「あ、ああ〜〜そう、だよな!」
ぎこちない澤村先輩の声に騒がしくして大変申し訳ありませんでしたと言うべきだろうかと悩んでいたのだけど。
「ラブレターだと思った?」
「…ッスガ、おまえ楽しんでるだろ」
そんな私たちにスッと菅原さんが歩み寄ってきてぽつりとこぼす。
ら、ラブレター…!?一体どこからそんな話がと私が驚いている中、菅原さんはニシシといたずらっ子みたいな笑みをうかべて、逆に澤村先輩はじとりとした目を向けていた。
「でもラブレターって今どきあんまり聞かないですよね」
「え、そうなの!?これがジェネーレーションギャップ…」
「二歳しか変わりませんケド」
まわりでガヤガヤとそんな声を耳にしていると、やっと落ち着いてきたらしい澤村先輩が入部届の紙にじっくりと視線を落としていた。
ずっとずっとマネージャーになるか悩み続けていた。
中学のころは結局断り続けてしまったけど、どうして高校で仮入部に入ったのかはきっと及川さんにいわれたように後悔という気持ちがあったからなんだ。
「私、本当を言うとまだバレーが好きかはわからないんです」
もしこの先ずっと好きになれなかったら。みんなとの気持ちの差がより開いてしまったら。そう思うとなかなか一歩が踏み出せなかった。
でもひとつだけ気付いたことがある。
少なくとも私はバレーが嫌いではないらしい。
「それでも試合をしているみなさんを見て、すごいなって思いました。何が、と言われるとうまく説明できないんですけど…」
このプレーとか、今のコンビネーションとかそういう細かいところはまだまだ勉強不足で流し見のようになってしまっているけれど、なにかすごいことが目の前で起きているというのは伝わってくるのだ。
中学でも練習風景は何度か見てきた。でもあのときと違うのは、今の私には"後悔"という気持ちが存在すること。もしお手伝いの経験をしていなかったら絶対に生まれなかったものだ。
中学でみたものも高校でみたものも今考えてみればどちらもすごかった。それは後悔をしたからこそ気付けたことだ。
町内会チームとの練習試合をみたあと、私は嬉しそうな顔をしていたらしい。清水先輩にそう言われて、それがもうこたえなんだとわかった気がした。
「こんな曖昧な気持ちのままですけど、それでもマネージャーになって大丈夫でしょうか…?」
最後のほうはだんだん聞くのが怖くなってしまい尻すぼみになっていった。自分の声が震えているのがわかる。
今の気持ちは全部伝えた。それに対してどう返ってくるだろうかと緊張していると、ずっと入部届を見ていた澤村先輩が顔を上げて私と一瞬目を合わせたあと、「清水!」と呼んだ。
名前を呼ばれた清水先輩はすぐに何かわかったようで、近くに置いてあったダンボールからビニールに包まれている黒い何かを取り出しそれを私に差し出した。
「はい、どうぞ」
「え?」
自然な流れで渡されたものを受け取ってしまった。なんだと思ってよく見てみると、黒い布地には白字で"烏野高校排球部"と書かれていた。
これ、バレー部のジャージ…!
「私の、ですか…!?でも、なんで…」
「なんとなーく、ね」
まだ部活に入るだなんて誰にも伝えていなかったのにどうしてと疑問を浮かべるけど、清水先輩は真顔のままピースをしていた。
どうしよう。すごく、嬉しい。
私のジャージ。部活名入りの特別なもの。
「ようこそ、烏野高校排球部へ」
キャプテンとしてみんなの声をまとめるように澤村先輩はとても力強くそんな言葉をくれた。
私はどうしようもなく胸が締め付けられて手に持つジャージをぎゅうっとする。
「あ…それと、バレーを好きかどうかについてはそんなに気にしなくていいからな」
最初はみんなそんなもんだと言ってくれて、ほんのすこしだけ焦っていた気持ちがおさまっていく。他の人がどうだったかは聞いたことがないのでそういうものなのかなと思っていると、「でも、」と先輩が続ける。
「好きって言ってもらえるように頑張るよ」
まっすぐとこちらを見下ろす澤村先輩に私は目をまるくする。
練習も試合も勝つために頑張るものだ。バレーを好きになるかどうかは私の努力次第で、それに関してはみんながどう頑張っていくとかは全く気にすることではない。
でもそんなふうに言えてしまうほどバレーとはとても面白いものなんだと自信に満ちているみたいで。
まだ見ぬ私の知らない世界。
数歩、いや数百歩くらい遅れてしまったけど私にとっての新しい"好き"がここで見つけられたらいいなと、胸いっぱいの気持ちを抑えることもできず、ゆっくりと頬を緩めた。
「最後のセリフ、歓迎の言葉にしちゃ告白っぽかったな。ラブレターのくだり引きずってる?」
「言うな…俺も言ってて思ったから…!」