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どうしよう。
もうすでに誰かが練習しているようで体育館からはボールのはずむ音が響いている。そんな中、私はとある場所を見つめながら立ち往生していた。
校舎から体育館へと続く短い連絡通路のところに背の高い知らない人と澤村先輩がいる。なんとなく会話も聞こえてしまい、真面目な雰囲気が漂っていた。

私はというと、隠れるタイミングを逃してしまいその場に固まるように動けない。ふたりがこちらを振り向いた時点で見つかる状態だ。

でも、とあらためて目を向ける。もしかしたらあの人が先輩たちの言っていた東峰先輩だろうか。見た目の特徴については何も聞いていないけど聞こえてくる話は西谷くんや菅原さんと何かあった様子で、その人はずっと顔をしかめていた。

「…あれ、白咲?」

ぎゃ!見つかったあ…!
話が終わったのかこちらにくるりと振り返った澤村先輩とぱちりと目が合ってしまった。

「す、すみません!立ち聞きするつもりは…」
「いやこっちこそごめんな。通りずらかったろ」

はは、と眉をわずかに下げて乾いた笑いをこぼす澤村先輩は私と背の高い人を交互に手のひらで指し示した。

「紹介するよ。このヒゲのお兄さんが東峰旭。俺と同じ三年」
「…ヒゲのお兄さんとか初めて言われたけど」
「伝わりやすいだろ?んで、こっちが二年の白咲紬。まだ仮入部だけどマネの仕事をやってもらってる」

マネという単語を聞いて東峰先輩はほんのすこしだけパァっと表情が明るくなった。

「そうかあ。清水ひとりじゃ大変だもんな、助かるよ」

へにゃりと頬を緩めて笑う東峰先輩になんだか和むような癒されるような感じがして私もつられてゆるりと頬を持ち上げた。


そのあと、着替えにいってくるからと澤村先輩は部室へといき、私と東峰先輩だけが残った。澤村先輩がいたからこそ成り立っていた会話だったようで、なんとなく気まずいような空気が流れている。おそるおそる顔を上げてみると東峰先輩も非常に困った様子で目が泳いでいた。

「え、っと…行かなくていいの?遅刻しちゃうんじゃ…」
「あ、はい。行きます、けど…」

東峰先輩は、部活に来ないのかな。
そう口にしてしまえば楽なのにこの空気がなかなかそうさせてはくれない。東峰先輩や西谷くんがなぜ部活禁止になっていたのかも知らないし、先輩たちの間に何かあったことはわかっているけど肝心の理由までは聞いていないのだ。

「ああ、俺のことは気にしなくて大丈夫だから、うん…じゃ、じゃあね」

あ、と呼び止めるよりも前に東峰先輩は行ってしまった。その背中はとても大きいはずなのに今は元気がなさそうにちいさくみえる。

でもここに来たということは本当は部活に参加したかったのかな。西谷くんは参加できているのだから、理由が同じかはわからないけどもしかしたら東峰先輩も来れるのかもしれない。
…よかったのだろうか、呼び止めなくて。

「あれ、旭は?」

もうすでに見えなくなってしまった先を見続けていると後ろから声がかかった。くるりと振り返ると運動着に着替えた澤村先輩があたりを見回しながら歩み寄ってきた。

「先輩なら、向こうに」
「…そっか」

指で示しながらこたえると澤村先輩は眉を下げて寂しそうに笑みをこぼす。それを見た私はだんだんと自分が何もしなかったことにどうしようもなく後悔していく。やっぱりダメなんだ、呼び止めないと。

「私、呼んできますね!」
「えっ、白咲?」

澤村先輩の声を聞く前に私は身を翻して東峰先輩のあとを追う。今ならそんなに遠くには行ってないはずだと、あの大きくて寂しそうな背中を探した。




−−−





「いたぁ…!」
「エッ何!?」

空の色がオレンジ色に染まりかけたころ、校舎のすぐ隣にある土手のところで東峰先輩がひとり地べたに座り込んでいる後ろ姿を見つけた。
そんなに離れた距離ではなかったはずなのになかなか見つけることができずやっとの思いで見つけられた今、私はちょっと息切れ気味だ。

「あの、」

声を発したところで私はぴたりととまった。呼んでくるとは言ったもののなんと声をかければいいのか全く考えていなかった。だらだらと冷や汗が伝うのを感じながら俯いていく。

「…どうしたの?」

私にかけてくれた声はまるであやすみたいにとても優しかった。こちらに振り向く東峰先輩は夕焼けのオレンジを身に纏ってより哀愁が漂っている。
何を言えばいいだろうかと頭の中をぐるぐるして、パッと思い浮かんだことを言葉に託す。

「澤村先輩が、待ってます」

おおきく見開いた瞳が私を見つめた。今の言葉を噛みしめるようにだんだんと口端を持ち上げて、でもその優しい視線は徐々に地面へ吸いこまれる。

「…うん」

ゆっくりと頷いてそのまま私に背を向けて空に広がるオレンジ色を眺めた。私は土手に降りることはせずちょっと離れた後ろからそんな東峰先輩を見つめる。

「白咲さん、だっけ」
「…はい」
「俺が部活に戻らない理由ってもう聞いた?」
「いいえ、聞いてないです」

首を横に振るとそれが意外だったようで、えっ、と若干こちらを振り向きかけた。たぶんもう誰かが説明してくれていると思っていたのかもしれない。

でも私はまだマネージャーではないし最初からその理由を聞くつもりはなかった。気にならないわけではないけれど、話しにくそうなことをこちらから聞くのはどうにも躊躇ってしまったから。

「私は理由は知りません。でもみなさんは東峰先輩に会いたがってるみたいなので…」

東峰先輩の話題はなにかと話しにくい雰囲気があるように見えたけどそれは嫌だからではなく、どこか寂しさを感じていた。
私からその理由を聞くことはきっとない。この先ずっと知らないかもしれない。そうだとしても、もし誰かが話してくれたとしても。

ただ私は目の前でちいさく座りこむ東峰先輩を体育館まで連れていかないといけない。呼んでくると澤村先輩に宣言したのだから。


「…そっかあ」

たっぷりと時間をつかって吐き出された声は夕焼けに混じってじんわりと溶けていく。それは今まで聞いた中で一番ちいさな声だった。

「さっき大地に言われたんだ。まだバレーが好きかもしれないなら戻ってくる理由は十分て」

好きかもしれない。
その言葉を聞いて、似てると思ってしまった。

東峰先輩が戻らない理由はわからない。でもバレーが好きかどうかが少なからず関わってくるんだ。それは根本的には違えど私がマネージャーになるかどうかで悩んでいることとすこしだけ似通っている気がする。

「…好き、なんですか?」

踏み入ったことは聞かないようにと思っていたのに気付いたら声に出していた。それは何度か私が聞かれていた質問。まさか私がこの質問をする側になるとは思っていなかった。

私の声はとても頼りなく、あっという間に静かな風にかき消された。東峰先輩に届いたのかはわからないけれど、芝生を踏みしめる音とともに先輩はゆっくりと立ち上がった。斜面の関係でちょっとだけ下にいる先輩とは今だけ目線はほぼ同じ高さ。

東峰先輩は何も応えなかった。
ただこちらをじっと見つめて、でもその視線の先はきっと私ではないような。
凛とした立ち姿と迷いのないまっすぐな眼差し。覚悟を決めためいっぱいの力強さに私は気圧されてわずかに肩が震えた。

エース、だ。

その言葉だけが、ぽつりと私の中に落ちた。

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