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「東峰先輩、か…」

放課後、いつものとおりボール拾いをしている最中にふとその名前を思い出す。西谷くんが戻ってきてから何度か聞いた名前であり、そのたびに主に先輩たちから気まずい空気が流れてきていた。聞くところによるとその人は烏野のエースらしい。

エースという肩書きだけでもとてもかっこいいということがわかる。どんな人なんだろうなあと想像を膨らませていると、「なあ白咲!」と突然大きな声で名前を呼ばれて思いっきり肩が震えた。

「今の見てたか!?」
「えっ」
「今の!ローリングサンダー!」

ろーりんぐさんだあ…?
何のことだと首をかたむけると「見てねぇのか!?」と残念そうに驚かれる。

「ならもっかいだ!見てろ?んローリング…、」
「西谷」
「だ、大地さん…」

私に何かを見せてくれようとした西谷くんだけど、優しげな澤村先輩の笑みに青ざめてお手本のようなレシーブがボールカゴの中におさまった。

「おー」
「いや違うんだ白咲!俺はもっとすげぇレシーブをだな…!」
「危ないから辞めなさいね」
「ぐ…!」

狙ったところにボールが返るだけでも私はすごいと思うけどなあと小さく拍手を送るけど西谷くんはそれでは満足していないらしい。でもまた澤村先輩に釘をさされてしまい悔しそうな表情をうかべた。

どうしてそのローリングサンダー?を見せてくれようとしたのだろう。私が考え事をしていて見ていなかったのが悪いけどそんなにすごいものだったのかと西谷くんを見ていると、ガラリと体育館の扉が開いた。

「お疲れ様ーっ」

ぱたぱたとした足音とともに武田先生が扉から顔をのぞかせる。それにより澤村先輩の集合の合図で私たちは先生のもとに集まった。

「今年もやるんだよね、GW合宿!」

合宿…。部活の経験がない私にとってはなかなか新鮮味のある言葉に、そういうものもあるんだと驚く。しかもその最終日には練習試合を組んでくれたらしい。
それを聞いた瞬間、みんなはワァッと歓喜の声を上げた。青葉城西のときもそうだったけど、練習試合というものは貴重なものなんだと実感する。

「練習試合の相手は東京の古豪、音駒高校です」
「…えっ?」

続いて告げられた高校の名前に思わず声が裏返ってしまった。それは今ここにいるほかの誰とも反応が違ったようで、一斉にみんなから視線が集まる。

「あれ、白咲さんは音駒を知っているんですか?」
「えっ、あ…はい…」

注目の的になりながらの先生からの質問はどう答えていいのか迷ってしまい、ものすごくぎこちない返事をしてしまった。すると隣にいた田中くんからも「おっ」と関心の声が上がる。

「じゃあゴミ捨て場の決戦とかも知ってたりすんのか?」
「ゴミ…?」
「ゴミ捨て場の決戦!烏野コッチが烏で向こうの通称が猫だからそう呼ばれてんだと」

なるほど、そういうものがあるんだ…?嬉しそうに説明してくれる田中くんには申し訳ないけれど残念ながら私は全くわからなかった。
期待はずれな解答しかできなくて曖昧な笑みを浮かべるけれど、話の注目は私からその高校へと変わってくれたようで、そっと胸をなでおろした。





お疲れ様でしたの挨拶とともに今日も無事に部活が終わった。ボールをカゴへとしまい、ネットを取り付けるためのポールも外していく。

「白咲ー、持つの手伝うよ」
「ありがとうございます」

ポールを横に倒してから、さあ体育用具室まで運ぶぞと持ち上げると後ろの部分を菅原さんが持ってくれた。

ふたりで運ぶと軽く感じるなあと思いながら薄暗い用具室まで運びポール掛けに置く。
鉄製のそれには塗装がされているけれど年季がはいっているためにボロボロと剥がれていて、鉄特有の錆び付いた匂いとともに手には若干剥がれた塗装がついていた。

「そういうえばさっき聞きそびれたんだけど」

あとで手洗わなきゃと思っていると、菅原さんは不思議そうに私を見下ろしていた。

「なんで音駒知ってたの?」
「あー…、実は幼馴染がいるんです。音駒に」
「…ん?音駒って東京だよ?」
「私、子供のころは東京にいたので」

え、そうなの?と菅原さんは目を丸くする。そういえば隠しているわけではないけどこの話はほとんどしたことがなかったかもしれない。

「もしかしてその幼馴染もバレー部?」
「はい、男子バレー部です」
「じゃあ今度の練習試合…、」
「たぶん来ると思います」

自分でそう言いつつなるほどなと納得していた。この前その幼馴染から連絡が来たときは旅行に来るんだと思っていたけど、今日の武田先生からの言葉でこっちには練習試合に来るんだとわかった。
私は今まで部活に入っていなかったから練習試合で県外に足を運ぶということまで予想ができていなかったみたい。

「じゃあ久しぶりの再会ってわけだ」

楽しみだなと言いたげな菅原さんの表情に私は言葉に詰まる。確かに旅行だと思っていたときは楽しみにしていたけど、部活として考えると私は仮入部のままだ。
今の状態でも合宿に参加はできるのだろうか。いい加減どうしたいのかをちゃんと決めないといけないのに。

「でも私はマネージャーではないですし…」

眉を下げながらそういうと菅原さんは一瞬詰まったように口を閉ざした。どうしてもこの話題は卑屈になってしまうなと申し訳なさを感じる。
わずかな沈黙の後、菅原さんは視線を泳がせてから「言いたくなかったらごめんなんだけど…」と歯切れが悪くなり、私は嫌な予感がして無意識に構えた。

「白咲はバレー嫌い?」

思わず唖然とする。よく聞かれていたものとは全く正反対の質問だったから。いつもならこたえられなかったそれに対して、突然自分の中に渦巻いた焦燥感にかられて慌てて菅原さんを見上げた。

「ッ嫌いじゃないです!」
「えっ」

自分でも驚くくらい大きな声が出ていた。バレーは嫌いじゃない。そんなことは前からわかっていた。でも好きかと聞かれたときは素直に頷けなかったはずなのに。

そんな私の様子に菅原さんも目をぱちくりとさせて驚いている。でもすぐに、ふ、と吹き出して小さく声をこぼしながら肩を震わせた。

「いやー、うん。そっかそっか!ははっ」
「…菅原さん?」
「あーごめん、実はちょっと心配だったんだ」

心配?と首を傾げると菅原さんはこくりと頷いてから用具室の外でまだ片付けをしているみんなに視線を向けながら続けた。

「ずっと仮入部だから実際のところマネージャーどうなのかなって。ほら、本当はやりたくないとかだったら悪いし」

それはいつまでも決められない私が悪いのであって菅原さんがそんなふうに思う必要はないというのに、その気持ちはとても優しくてあたたかい。

「だから今こうやって本気の否定が聞けて、良かった」


"紬ちゃんはね、たぶん後悔してるんじゃない?"


それは及川さんがヒントとして教えてくれた言葉。それが今、良かったという菅原さんの声と重なった気がした。

「きっと西谷もそうだったんじゃないかな」
「西谷くん、ですか?」

どうしてここで西谷くんの名前が出てくるのだろうと疑問を浮かべると、「あのとき俺も近くにいたから会話が聞こえちゃって…」とすこし申し訳なさそうに眉が八の字になった。

「バレー楽しいよなって話。白咲、こたえなかっただろ?」

聞かれてたんだ…。バレーが好きで部活にはいっているであろう人たちの前でこたえられなかったのは私が思っている以上に良くなかったらしい。

「…すみません」
「あっ、いや違う違う!そういうことじゃなくて!さっき西谷がローリングサンダー見せに来たべ」
「…うん?」

ここでローリングサンダー…?一体何の関係があるんだろうと私の頭の中にはどんどん疑問符が増えてきた。

「西谷ってああ見えて女子に対してちょっと人見知りっぽいとこあるんだよ。まあだいたい最初だけだけど。…あ、清水は別ね」

最後の言葉だけはなんとなく想像ができた。練習中もなにかと田中くんと一緒に清水先輩を見ては盛り上がっていたのを思い出す。

「でも自分からあのレシーブ見せにいってたから、たぶん白咲がバレーの楽しさをまだ知らないと思って見せようとしたんじゃない?」

ちょっとその魅せ方が違う気もするけど、と苦笑いするも菅原さんの声はとても嬉しそうだった。

なんだか私はみんなに心配をかけている気がする。マネージャーになるかならないかの二択しかないのに。

でも、とふとあらためて考えてみる。
好きかという質問にはまだこたえられないけれど嫌いかという質問には焦って否定するんだ、私って。

頭の中のモヤモヤがすこしずつ晴れていくような気持ち。うまく言葉にはできないけど自分がどうしたいのかがわかってきたような、そんな感じがした。

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