02



トントン、と段差を上がって体育館の中へと入る。その間じぃっと後ろから影山くんたちの視線がぐさぐさと刺さってくるけれど、お構い無しに私の後ろで扉がピシャリと閉められた。

「えっと、で、君は…」

さっき顔を覗かせていた人が私と手に持っている紙にちらりと視線を落とす。言われるがままに中に入ってしまったけど、でも私はまだ何も決まっていない。どうしよう。

「あ、ほんとに来てくれたんだ白咲さん」

自分よりずっと背の高い男子生徒、しかもおそらく先輩たちに注目されるのはなかなか気まずくて何も言えずにいると、先輩たちの後ろからひょこっと現れたのは縁下くんだった。

「縁下が呼んだのか?」
「あ、はい。同じクラスなので」

もしかしたら縁下くんと話しているこの人は部長さんなのかな。なんとなくみんなの中心にいるし、オーラというか頼もしさがあるような気がする。

「え、じゃあ二年生?」
「まじか!マネージャー二人目!?」

目元に泣きぼくろがある人と、もうひとりは同じ二年生の田中くん…だったはず。その二人までも会話に混ざり、私はますます逃げ場がなくなってしまった。
まだなにも記入していない紙をどうしようかと迷いながら力を込めていると、また違う方向から声をかけられた。

「お試し、どうかな」

ゆっくりと顔をあげると、さらさらとなびく黒髪に眼鏡をかけた綺麗な人が私を見ていた。すかさず「潔子さん!美しいっス!」と田中くんが興奮するも、「迷ってるならちょっとだけやってみる?」と完全にスルーして言葉を続けた。

私はゆるゆると視線を床に落とす。選択を迫られてもどちらにも振り切れないモヤモヤとしたものが渦巻いた。それじゃあどうして私は体育館に来たのだろう。あのまま帰っていればこんなことにはならなかったのに。
矛盾した自分の行動に無理やり意味をつけるように私は控えめに頷いた。






数時間の練習も終わり、すっかり窓の外が暗くなった時間帯。壁にかけられた時計をみてみればそろそろ19時半を過ぎようとしていた。もうそんなにたってたんだ。
マネージャーのお仕事はあの綺麗な人…清水先輩がとても丁寧に教えてくれたのですごく助かった。

あとはこのボールカゴをしまうだけ、とガラガラ押して倉庫へと運ぶ。電気のついていない倉庫内は扉からの光以外はほとんど真っ暗ですこし埃っぽい。
このへんだっけ、と元あった場所にカゴを戻して一息ついたあとポケットにしまっていた入部届を取り出す。…マネージャー、かあ。
ずっと悩み続けているそれに目を細めていると、ふと誰かが倉庫に入ってきた。

「あの、ごめん白咲さん。俺余計なことした…よね」
「え?」

余計なこととは。きょとんとしながら首を傾けるとわずかに目を伏せた縁下くんが言いにくそうに口を開く。

「マネージャーの話。急に誘っちゃったし、すごく迷ってるみたいだから」

あ…、と私はすこし言い淀む。迷っているのはたしかにそうなのだけど、でもそれは決して縁下くんのせいではない。

「マネージャーがなかなか見つからないみたいで、なら部活入ってない二年って思ったときに白咲さんが浮かんだんだ」

申し訳なさそうに続ける縁下くんにボールカゴから手を離してしっかりと聞く。私を誘ってくれたのはそういうことだったんだ。

「でもすごい迷ってるというか困ってそうだったから、迷惑かけたと思って」

だから、ごめん。
そう謝る姿に私はあわてて首を横に振る。謝る必要なんて全くないのだから。

「大丈夫、全然!縁下くんは何も悪くないし、私がただ優柔不断なだけで…」
「いや、でも」

そんな会話を続けていると外から「キャプテン!」と大きな声が聞こえて、驚いた私たちは話を中断させて倉庫から出る。
そもそもどうしてあのふたりが追い出されているのかわからない私は終始疑問だったけど、結果的には影山くんたちと先輩たちとで三対三の試合をするということで落ち着いた。
ただし、負けたら三年生がいる間は影山くんにセッターはやらせないというペナルティ付きで。


なんだかすごいことになってきたような。おそるおそる先輩たちのほうへと戻りながら再び閉められた体育館の扉を見つめる。
扉の向こうからは何やら言い合いしている声が聞こえてきて、あんまり仲良くないのかなとすこし心配になってしまった。

「なーんかあいつらにキツいんじゃね大地?」
「確かに。いつもより厳しいっスね」

菅原先輩と田中くんは眉根を寄せて澤村先輩に詰め寄る。でも厳しいことを言っていたものの、澤村先輩の表情は気まずそうにすこし困っていた。

「去年のあいつらの試合、見たろ」

そこから話してくれたのは去年行われた大会のおはなし。
影山くんは中学生としてはかなりの実力があるものの個人主義が目立っていたようでいい結果はあまり残せていなかったそう。
対する橙色の髪の子、日向くんはスピードと反射神経、バネを持っているものの、なかなかセッターには恵まれなかったらしい。

でも、もしこのふたりが合わさったら。

連係攻撃コンビネーションが使えたら、烏野は爆発的に進化する」

まるでそうなるとわかっているかのように澤村先輩は挑戦的な笑みを浮かべる。そう思わないか、と投げかけてくる言葉にすらどこか確信があるみたいにその声はとても力強くて。

すごい、な。
ぽつりと浮かんできた言葉はなんと幼稚なものだけど、でも素直な感想。
澤村先輩の言葉に誰も何も返すことはなかったけれど、ここにいるみんなは前を向いて意気込むように口端を持ち上げている。

ついていけていないのは私だけだ。その熱量に圧倒されて間抜けにもぽかんと口が開いてしまう。
同じだ、中学のときと。部活動というものはどこもみんなこんな感じなのだろうか。

「あっ、ごめん!なんか俺たちだけで盛り上がっちゃって」

ぼけっとしている私に気付いたのか、菅原先輩がハッとして焦りはじめる。いえいえと私は首を横に振るけどドキドキとした気持ちはまだすこし続いている。
無意識に手に力を込めると持っていた入部届の紙からクシャ、と音が鳴った。あっ、と慌てて視線を落とせば完全に折れ目がついてしまったようだ。

うわ、やってしまった。提出するものなのになんてことを!と真っ青になっていると澤村先輩はやや可笑しそうに肩を揺らした。

「いいよ、そのままで」
「でも、くしゃくしゃ…」
「読めれば問題なし!」

や、やさしい…!まだ白紙だからこそ折り目をつけてしまうのはなんだか悪いことをした気分になってしまったから、そういってもらえたのはありがたかった。
続けて「でもまだ迷ってるんだよな?」と言われてしまい再び私は口ごもる。

「さっき清水が言ってたようにお試し…まあいわゆる仮入部期間な。そこでどうするか決めてくれたらいいよ」

そう言ってくれる澤村先輩をじぃっと見上げて、くしゃくしゃになってしまった入部届に視線を落とす。名前を記入する枠にはまだ何も書かれていない。

「俺としては入部してくれたら嬉しいけどなぁ」

ぽつりと聞こえた声に顔をあげると菅原先輩が私を見ていた。でも目が合った瞬間に焦った顔をする。

「あぁいや、無理にとはもちろん言わない!ごめん、なんか圧かけたみたいになったかも」
「い、いえ!そんなことは…」
「…まあでも仮入部期間結構あるし、じっくり考えるべ」

なんだか私さっきから人に謝らせてばっかりではと申し訳なさを感じるけれど菅原先輩はその爽やかフェイスで、にへらと微笑んだ。

「さすがスガさん、もうすでに距離感が」
「さすがのスガさん」
「どうしたんだスガ」

わいわいと笑い声が響く体育館は夜にもかかわらずとても賑やかで明るい。それはとても居心地がよくて、自然と自分の頬が緩んでいくのがわかった。もう一度いくつもの折り目のついた入部届をみてわずかに目を細める。

次にこの紙を手に取るときは迷いなく自分の名前が記入できたら。そんな気持ちをこめて仕舞いやすいようにふたつに折りたたんだ。

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