08



体育館を出てまず感じたのは心細さだった。来るときはみんながいたから何も思わなかったけれど今はこの知らない学校でたったひとり。
扉を閉めてもバレー部の声は背中に届いて、校庭やあちこちからも他の部活の声が響いている。

でも、知っている人は誰もいない。

なんとなく居心地が悪くてまるで逃げ出すように私は地面やらあちこちに視線を向けた。スマホが落ちているならバスから体育館までのどこかだろう。
あまり悪い方に考えたくはないけれど本当に誰かに盗られてしまっていたらよろしくない。ここは学校の敷地内だからその可能性は低そうだけど万が一の場合もある。

目を凝らして主に地面を中心に探していく。柱の後ろとか植木の間とか、落ちた拍子に滑ってどこかに入り込んでしまったかもしれない。
はやく見つかって、と焦りながらくまなく探してみるもののその影はどこにも見当たらなかった。


はぁ、と大きなため息がこぼれる。
私はいったいここで何をしているんだ。

バレーが好きかも曖昧で、マネージャーになるかどうかもわからなくてずるずると仮入部を続けて、そのくせ自分のミスでスマホを落としてマネージャーのお仕事を清水先輩に任せきりで肝心の試合すら見れていない。
本当に何をしに来たんだと下唇を噛んだ。



「ねえ、もしかしてこれ探してる?」

突然後ろから声をかけられてビクリと肩が跳ね上がる。え、と振り向けばこちらに差し出されていたのはまさに探していたお目当てのもの。

「あ…私のスマホ…!」
「バスの近くに落ちてたよ〜」

やっぱり落としちゃってたんだ。どのタイミングでと考えたけど、もしかしたらビニール袋を探すときにカバンを開けっ放しにしてたからそのまま背負った拍子に落ちてしまったのかもしれない。
でも本当に良かったと一息つく。心優しい人が拾ってくれたみたいで助かった。ちゃんとお礼を言わないと。

「あの、ありが…、っ」

スマホを受け取り感謝のために顔を上げて視界に現れた人物に、それ以上言葉が続くことはなかった。

「久しぶり〜紬ちゃん、元気してた〜?」

にこやかに微笑むその人にヒュッと冷たい空気が喉を通り抜けた。なんでここにと思ったけどそういえばこの学校は北川第一の生徒があつまるところだと聞いたから居てもおかしくはないのだ。

「お、及川さ、ん」
「うん。あ、ちなみにスマホの中身は見てないから安心してね」

手をヒラヒラさせる及川さんだけどとくに中身を見られても問題はないのでそこは心配していない。私が気にしているのはそこではない。

「…どうしたの?怖い顔して」

きょとんとする及川さんに、どうしても肩が震えた。さっき月島くんの後ろに隠れたばかりなのにこれでは全く意味がない。というより一番会いたくない人に会ってしまった。

戸惑いで視線がぐるぐるとさまよい私はだんだんと俯いていく。及川さんの脚だけが見える状態で、そういえば青葉城西のジャージは烏野とは真逆で白いんだなあなんて気分を変えようと試みても、私の焦りは一向におさまらない。

どうしてよりにもよってこの人にと思っていると、頭上からは「ん〜〜…」と考え込む声が聞こえた。何を言われるんだと構えていると、目の前の長い脚がわずかに地面の砂を擦る音と同時に折り曲げられ、私の足元にしゃがみこんだ及川さんが視界に飛び込んできた。

「やっほー、これで俺の顔よく見える?」

ああ〜〜…!
ご丁寧に両手をヒラヒラとさせて笑顔を向けてくるこの状況は私にとってはただ煽られているようにしか思えない。
もういっそのこと目を瞑るか空でも見上げようかとまで考えたところで、「紬ちゃんさ、」とそのまま笑みを向けられる。

「なんでここにいるの?」

聞かれた。
一番聞かれたくなかったこと。

「今日俺たち烏野ってとこと練習試合あるんだよね〜」
「……」
「そのタイミングで紬ちゃんがここにいるってことは烏野いったの?」
「……」
「で、バレー部のマネージャーやってるんだ」
「や、ってませ…ん」

この人、わかってて質問している。そもそも私の名前も部員同様伝えているはずだから全員は覚えきらずとも私の名前があることには気付いたはずだ。

目を合わせるのが怖くて、しゃがみこむ及川さんから視線を外す。でもマネージャーのくだりはまだ正式ではないからとなんとか声を絞り出して否定をした。

「あれ、違ったか」
「お手伝い、です」
「……、ふーん」

さっきまで明るめのおちゃらけたような声だったのに、お手伝いだと伝えた瞬間に声のトーンが下がった。
ひ、と肩が震える。ただ質問されているだけのはずなのにその圧によってまるで尋問のように感じた。

これ以上ここにいたくない。
そんな気持ちが膨れ上がって歯が静かにカチカチと鳴りはじめた。
どこも掴まれているわけでもないのに私の脚は地面に埋まってしまったかのように動かない。
次の言葉を聞くのが嫌だ。何を言われる。

思わず目を瞑りそうになったとき、またジャリと地面を擦る音が聞こえて俯いたままの私に見えるのは及川さんの脚だけになった。そしてわずかに息を吸い込む音が頭上から聞こえ、吐き出されるであろう言葉に思わずぎゅ、と手を握りしめた。

「…良かった」
「………え、?」

衝撃がまるで空振りだったかのように優しい声が返ってきた。思わず素っ頓狂な声がこぼれて顔を上げると及川さんも私を見下ろしていた。
さっきの煽るような笑みではなく、柔らかく目を細めてゆるやかに頬を持ち上げている。

「だからー、良かったって言ったの」
「……?…ううん…?」
「なんで意味わかんないみたいな顔すんの!?」

なんでと言われましても。
予想していたこととはまるで違う言葉に信じられないという目で及川さんを見てしまった。
だってそう来るとは思わなかった。もっといろいろ言われるのだと思っていたから。





「それで?なーんであんなに震えてたのさ」

スマホも無事に見つかったということで私たちは一緒に体育館へと向かっていた。なぜ私があんなにも構えていたのか気になったようで、歩きながらそう質問される。
ちなみに及川さんは練習で怪我を負っていたけどもうそれは大丈夫なようで遅れて練習試合に参加するらしい。

「マネージャーのお手伝いしてるって言ったら、」
「言ったら?」
「お、怒られると、思って」
「え、俺に?なんで!?」

及川さんは心底驚いたように目を丸めて私を凝視する。そうだよね、ここはちゃんと説明しなきゃいけないと一旦落ち着くために深呼吸をした。


「私、中学のとき及川さんに正式なマネージャーにならないかって誘われましたよね」

もともとは友人に人手が足りないと言われて手伝っていたマネージャーだけど、ある日及川さんに声をかけられた。それは一度だけじゃなくて何回か誘われたけど、そのころからバレーに対しての熱意がまわりと違うと察して私は頑なに首を縦には振らなかった。

「なのに高校に入ったらまたお手伝いして」

熱意が違うとわかっているのにどうしてまた同じことをしているのか。マネージャーの誘いを何度も断ったくせになぜ今は仮入部しているのか。バレーに対する気持ちは未だに中途半端なはずなのに。

それら全てを聞かれるのが、怖かった。


洗いざらい吐き出してもう隠すことは何もない。話している間、及川さんはずっと黙って聞いていた。
中学のときはほかの部員たちにいじられたり、でも練習のときは人一倍頑張って、けどわりと性格が悪いときもあって。
さっき私も煽られたけど今はちゃんと話を聞いてくれている。うーーん…、まだよくわからない人だ。

「なるほどねー」

一通り私の話を聞いて納得する及川さん。やっぱり私の行動はどう考えても矛盾しているし少なくともいい気分ではないと思う。だからずっと及川さんの言葉を聞くのが恐ろしかったのだけど。

「でも俺さっき言ったよね。"良かった"って」
「……?は、い」
「今の話聞いても変わんないよ?」

え。
なぜ、という気持ちが相当顔に現れていたのか、「変な顔ー」とすこし笑われた。でもそんなことが全く気にならないくらい私には理解ができていない。

「な、なんでですか?」
「え〜どうしよっかな〜」
「教えてください!」
「………やだ!」

なんで!!
どうしてこのタイミングで意地悪を発動させるのかわからなくてあまりにもムズムズしてしまう。駄々をこねる子供のように歯がゆい気持ちであふれそうになったとき、「じゃあ、」と及川さんは続けた。

「紬ちゃんがマネージャーになってくれたら教えてあげてもいいよ」

マネージャー、と頭の中で反芻する。まさしく私が今悩んでいることそのものではないかと一瞬言葉に詰まる。

「…それは、青葉城西の?」
「いや?烏野。そりゃあ青葉城西ウチに来てくれるなら歓迎するけど」

さすがに無理でしょ?と意地悪そうに微笑まれて私は苦笑いする。確かにそれは物理的に無理ですね、としか言えない。

"良かった"と言われた理由は知りたいけどマネージャーになるか否かは私にとっては究極の選択だ。知りたいがためにマネージャーになるのももちろん良くないだろうし、だからといってならないを選択したら…。

私は本当に、何がしたいのか。



「さてと、体育館着いたね」

いろいろと悩んでいるうちにそんな声が聞こえて顔を上げると、さっき私が出てきた体育館の目の前まで来ていた。中からは応援の声が聞こえてきてまだ試合中なのがわかる。

「俺は監督に報告しなきゃだからここでお開きにしよう」
「…はい」
「じゃーね紬ちゃん。イイ返事待ってるよ〜」

こちらに背を向けて手を振る及川さんは体育館の扉を開けて一足先に中へと入ってしまった。

どっと疲れが溢れたような気持ちになり大きなため息をつく。スマホを探しにきただけのつもりが考えることが増えてしまった。
もともと入るかどうかは悩んでいたけど及川さんの言葉がすごく気になる。

でもとりあえずここに居続けるわけにはいかない。マネージャーのお仕事は清水先輩に全て任せてしまっているのだ。私も早く戻らないと。

ゆっくりと一歩ずつ前へ進む。その足取りは理由は違えど出てくるときと変わらず少し重たかった。

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