「なまえ」

がやがやと賑やかな大食堂。今日は何を食べようかなとメニューを見ながら悩んだ後、トレイに乗せられたうどんに頬を持ち上げながら席に座る。ちゅるりと太めの麺を頬張っていると正面から私の名前を呼ぶ声がして顔を上げた。

「あ、とろろくん」
「轟だ」

あれ、そうだっけ?なんてとぼけながらまたうどんを啜る。うーん、おいしい。もちもち食感が絶妙だ。ゆっくりと噛んでひたすら味わっていると「前、いいか?」と言われたので、もぐもぐと口を動かしながら頷いた。
トレイをかちゃりとテーブルに置いた音を聞いてその上に乗せられたものに視線をやるけど、そこには代わり映えしない光景。

「いつもお蕎麦だね」
「いや、いつもじゃねぇ」
「でも会うたびにお蕎麦だよ」
「偶然そうなだけだ」

嘘つけ。結構頻繁に居合わせるけどお蕎麦しか見たことないよ。
とろろくんはしっかりと両手を合わせていただきますをしてからお蕎麦にありつける。育ちがいいんだなあ。私も家では親に言われるからやっているけどそれ以外ではあんまりやらない。

とろろくんとは結構な頻度でこうやって大食堂で会う。普通科の私とヒーロー科のとろろくんとでは接点なんて皆無だけど、たまたま正面になったときに声をかけてからよく話すようになった。許可をした覚えはないけどいつの間にか私のことを名前で呼んでいる。さり気なさすぎていつからだったのかちっとも覚えてはいないけれど。





他愛のないはなしをしながらお昼を終えて大食堂を後にする。まだ午後の授業が始まるまで時間があるために廊下は生徒たちの話し声でとても賑やかだ。

「とろろくんのクラスは次なんの授業?」
「ヒーロー基礎学…………、」
「え、どうしたの?」

質問に答えてくれたはいいものの、とろろくんが私の顔をまじまじと見つめてくる。な、なんだろうか。私の顔に何かついてる……?

「何でちゃんと呼んでくれねぇんだ?」
「え」

はく、と変な空気が喉を通り抜けた。賑やかなはずの廊下がこの場所だけ切り取られたかのように静かになってしまった気さえする。自分の素っ頓狂な声に驚きながらもぱちぱちとまばたきを繰り返した。

「いや……あ、あだ名、というか」
「とろろは食いもんだろ」
「あ、うん。ソウデスネ」

急に真面目なトーンで言われたってどうしたらいいのかわからない。んん〜〜……でもまあ確かに本人が許可していない変なあだ名で呼び続けるのも失礼か。っていったって貴方だって私のことを勝手に名前で呼んでますけどね。

「じゃあどんなあだ名がいい?」
「あだ名じゃないと駄目なのか?」
「ダメっていうか……、」

どうしよう。どう答えよう。だんだん自分の逃げ道がなくなっていくような気分だ。でもとろろくん呼びで慣れちゃったのもあるしなあ。今まで訂正はされつつも辞めろとは言われなかったからそのままきちゃったけど、本当に嫌がっているなら変えなきゃダメだ。
私は出来ればあだ名が呼びやすいんだけど、こういうことは本人の意見を尊重しなきゃいけないよね。……でも、さ。

「私、滑舌悪いから、"き"の後に"く"って言いにくいん……だよね」

ほら、とどろきくん、って。"き"を発音しないで"く"に飛んじゃうんだよね、私の滑舌の悪さだと。だからあだ名のほうが呼びやすくて。
なんて苦し紛れの言い訳をしてみたけれど、とろろくんはきょとんとしながら視線を宙に投げて再び私に戻す。

「なら名前で呼んでくれ」

……なるほど。そうきたか。
話がどんどん加速してしまい、うぅ……、なんて情けない声がこぼれる。いや、これは本当にどうすればいいんでしょうね。

「俺の名前、知ってるだろ」

そりゃあもちろん知ってるよ。だって初めて話しかけたときフルネームで本人か確認したんだから。でもね、でも。


フルネームで呼んでしばらくしてからの話。久しぶりに会ったときは一瞬名前が出てこなくてあのときは本気で"とろろくん"と呼んでいた。そのあとすぐに思い出したけどその呼び方が言いやすいこともあって、気が付いたら慣れてしまって。

でも実は最初以外に一度だけちゃんと呼んだことがある。やっぱり勝手につけたあだ名じゃ失礼かなと思って。そしたらやっと覚えてくれたのかって、いつも無愛想なくせに嬉しそうに笑ったから。


「…………、しょ、焦凍、くん……?」

ええい、もうやけだ!と勇気を振り絞って息を吸い込む。そしてたどたどしくこぼれる私の声。反応が怖くておそるおそるその顔を見上げてみると、グレーとエメラルドの瞳はやさしく細められ口元は緩やかに弧を描いていた。

あ、あー、ほら。ほーら、そうやって。
そうやって……笑うから。

見たくなかったんだよ。その顔を見るとなんだかむず痒くて恥ずかしくて、ほっぺたがかあああっと火照っていくの。自分が自分じゃなくなったような、どこを見ればいいのか全然わからなくなる。

「何だ?なまえ」

ほらあ……!こっちがちゃんと呼んだら嬉しそうに私のことも名前で呼んでくれちゃうんだもの!知らない知らない。私こんなの知らないよ……。

前に呼んだときは苗字だったけど、おんなじようなことがあった。だからちゃんとした名前で呼べなくなっちゃったんだよ!
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