ひらりひらり。
心地よい風が応接室に入ってくるたびにゆっくりとカーテンがなびく音がする。隙間からあたたかい日が差し込んで部屋の中をつつみ込むとなにを思うわけもなく、ふふ、と自然に唇が弧を描いた。

視線をずらすと、その人は相変わらず机にむかってなにかの作業をしていた。窓からの撫でるような優しい風に真っ黒な髪がさらりとゆれる。とてもきれい、それなのにその言葉が似合わないくらいこの時間があたりまえの日常で、なんだか不思議だなあ、なんて。

「…何?」

まだすこしあどけなさの残る顔立ちだけど、その声は低くて、しっかりと男の人。私の鼓膜をふるわせて届いたそれはむず痒くも心地いい。
ぎこちなく「なんでもないです」と応えると、その人の視線は再び手元の書類にもどってしまった。なんでもない、わけ、ないんだけど。

この部屋が、この空間が、この時間が、とてもすき。もともとおしゃべりをする人じゃないから、話しかけるのはだいたい私から。返される言葉は短くて淡白。なにを語るわけでもない、それでも。

ことり、とペンを机に置く音がちいさく聞こえた。再び視線をそちらにむければ、椅子をひいて立ち上がるところで、密かに自分の肩がふるえたのは内緒の話。
そのままこちらに歩いてくるのがわかって、胸がきゅっと締め付けられる。だんだんと近付いてくるその人を目で追って、でも顔を見るのはなんだか恥ずかしくてちょっとだけ視線を下げた。
足音は私の正面でぴたりととまる。私の視界はその人ですっぽりと覆われて、逆光でぼんやりと暗くなったワイシャツしか見えない。

「なまえ、」

自分の名前が呼ばれて、それが頭で"呼ばれた"と理解しはじめたときにはその人の手は私の頭を撫でて、するりと髪に滑らせていた。

なん、だろう、どうしたんだろう。今日の雲雀さん、すごく優しい。

珍しいその優しさに柄にもなくなんとなく甘えてみたくて、擦りよるように首を傾げれば、その手や指が頭からこめかみ、頬、首筋へゆっくりと下がっていき、すこしだけビクリと肩がはねた。

どうしてこんなに優しいんだろう、頭を撫でるなんてそんなこと、いつもはしないのに。もしかして雲雀さんもこの空間がすきだったりするのかな。そうだったら、いいな。
ふわり、と雲雀さんの匂いに混じって太陽の匂いもする。あったかいな、きもちいいな。もっと、もっと…。

「ひばり、さん…」

眦を下げてすこしずつ見上げると、私と同じような表情をした雲雀さんの顔で視界がいっぱいになる。なに、と静かで落ち着いた声がさっきと同じ言葉を呟く。

「今日、一緒に帰っても、いい、ですか…?」

確かめるように紡いだ言葉はだんだんちいさく尻すぼみになっていく。それでも伝えたいことを言った。こたえを聞くのはすこし怖いけど、断られても仕方ないわがままなお願いだけど。心地いいこの場所に惑わされたお願いが届くだけでも。

「あれ、終わったらね」

あれ、と視線がしめすのはさっきまで机でやっていた書類のこと。たぶん今日のぶんのお仕事だ。まだ日は高いというのに、終わったと思われるもののほうが高く積み上げられている。
再び雲雀さんに目をむけると、それまで待ってて、と言わんばかりにまた頭をするりと撫でられた。

唇がふるえて、糸がほつれるみたいに頬が緩んでいくのがわかる。届いた、よかった。うれしい。

これ以上、見上げているのがやっぱり照れてしまってゆっくり視線を下げる。また目の前に広がった雲雀さんのワイシャツを肯定のかわりにちいさく、きゅ、と握った。
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