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ボロボロになって担架で運ばれていく音葉ちゃんを見届けて、僕はゆっくりと息をついた。釘付けになっていたステージから目を逸らして俯くと、無意識に爪が食いこむほど強く握っていたらしい拳に気付いてぎくりとする。
一瞬、戸惑った。
でもすぐに苦笑いを浮かべて首を横に振り、強く握っていた拳をぎこちなく解いた。
「爆豪があんなに三声に怒鳴るって珍しいな…」
そんなとき、隣に座っていた切島くんがボソッと零す。独り言だとはわかっていたけれど思わず視線を向ければ僕のそれに気付いたらしい。ちょっと罰が悪そうに「あ、ワリ…聞こえた?」と言われたために、「隣だから…」と遠慮がちに返した。
ステージからここまでは距離があるし歓声も相変わらず盛り上がっているために、実際に二人の声がはっきり聞こえたわけではない。でも何かを言い争っているのはわかった。
「なんつーか、怒鳴らないわけじゃねーけどあんまし見たことない、みたいな?」
視線を宙に投げながら言葉を絞り出す切島くんに僕はすこしだけ首を傾けた。
そう、かな…?僕の場合は毎日のように怒鳴られているようなものだからもうあれが普通になってるんだよね…。
音葉ちゃんに対してはどうだろう。確かに僕ほどではないけど他の人と大差なんて。
そもそもかっちゃんは人によって態度を変えるなんてことはしない。誰に対してもあんな感じだ。だから音葉ちゃんにだけ怒鳴らないってことはまずない。まあさすがに回数まで数えてるわけじゃないから細かいことはわかんないけど。
んー、と疑問に思いながら考えていると、「いや、やっぱ違うな…そうじゃなくて」と切島くんが眉間にシワを寄せながら難しい顔をする。
「怒鳴らないじゃなくて、あー…大人しい?静か?」
大人しいという言葉に僕はぱちりと瞬きをする。本人にはとても言えないけど、全くかっちゃんには似合わない言葉だ。
「…かっちゃんが、大人しい?」
「……………ありえねぇか」
本人は音葉ちゃんと戦ってまだ戻ってきていないのに何故か僕たちは内緒話をするみたいに小声になっていた。
怒鳴ることが多いかっちゃんにだってもちろん静かにしているときはある。何かを考えているときとか、当然ひとりのときは基本的に静かだ。でもそれが音葉ちゃんといるときもそう見えるってことは…。
「それってスマホの文字を読んでるからそう見えるってことじゃ…?」
おそるおそる思ったことを口にしてみる。難しく考えることではなく、音葉ちゃんとコミュニケーションをとるなら全員がこの行動をするはずだ。
もしかして、と思ってみれば切島くんの目がだんだんとまるまっていく。あれ、これは当たりだったのかと言葉を交わさなくてもわかってしまった。
「…あ、そうだ、それだ」
きょとんとしながらぽつりと呟いた。それでもどうしてなのかがよくわかっていないようで、「んー、でも…あぁー…えぇ?」なんて混乱した声に僕はまた首を傾げてしまった。
「え、待って。マジでそれだけ…?」
何を期待していたのかはわからないけど拍子抜けしたみたいに脱力して、切島くんは大きく息をついた。まあ確かにかっちゃんが大人しいと聞いたらそこにどんな理由があるのか気になるのもわかるけど。
それに他の人と会話してても同じ現象が起こるはずだ。なのにかっちゃんのときだけそう感じたのは、きっと普段の印象が強すぎるからかもしれない。
「そ、っかあ…。ワリィ、変な事聞いて」
「いや、僕は全然…」
首を振ってなんでもないことを告げると、しばらくしてから切島くんは納得したようにまたステージへと視線を向けながら口を開いた。
「でもやっぱ意外ではあったかも」
「なにが?」
「だって文字を読むってことは、三声が文字打つのを静かに待ってるってことだろ?」
それを聞いて僕はぱちくりと数回瞬きをした。僕にとってその光景は何年も前からそうだから今となっては当たり前のことであり、そこに何か疑問があがることはなかった。
でも高校生になって初めて会う人からしたら珍しく映ったのだろう。普段のかっちゃんの様子を見ていたら尚更だ。
非常に失礼なはなしだけど、そんなの待たないでさっさとどこかへ行ってしまいそうなイメージは確かにある。…ひじょ〜〜に失礼なはなしだけど。
「…あ。意外っていやあ、三声が感情的になってんのは初めて見た」
かっちゃんのことを考えていたから切島くんのその言葉に不意打ちをくらい、思わず「え、」と声がこぼれてしまった。
次の試合の準備中のため、今は誰もいないステージ上を切島くんは前屈みで頬杖をつきながらぼうっと眺めている。
そんな様子を横目で見つつ、僕もステージへと視線をうつした。
さっきまであの場所で僕の幼馴染たちが戦っていた。子供の頃を思えば考えられないくらいずっと前から一緒にいて、でも今はああやって戦っているのがちょっと不思議に思えるくらい身近な存在。
あの二人は試合中、喧嘩をしていた。声は聞こえなくても物理的に見えるんだ、音葉ちゃんの個性のおかげで。具現化していた文字からして二人の空気は最悪だった。
音葉ちゃんはその個性の影響で普段は全く声を出さない。それが数ヶ月続くときもあるけど僕らにとってはそれも普通のことだった。
だからそんな音葉ちゃんがあんなふうに声を出して感情をあらわにしていることが、僕にとっては嬉しいんだ。たとえそれがプラス思考のものでなくとも。
声を出さないというとこも含めて、音葉ちゃんはとても大人しい。子供の頃は圧倒的に弱かった僕の後ろにだって隠れちゃったりすることもあった。
毎日毎日飽きもせずに遊んで、泣いて、笑って。それぐらい一緒にいた時間は他の誰よりも長いだろう。
なのに音葉ちゃんはそんな僕らに遠慮をする。
そっか、初めて…かあ。なんて、切島くんの何気ない言葉を噛み締める。
ステージから視線を外して、自分の足元を眺めた。子供の頃を思い出しては懐かしくて。でもすこし、寂しくて。
再びゆっくりとステージへ視線を注ぐ。誰もいない殺風景な場所…それでもさっきまで戦っていた幼馴染たちの残像でも見えるみたいに、僕はぎこちなく口端を持ち上げた。
「…僕も、久しぶりに見た」
ふつつかなぼくたち