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気が付けばもう外は燃えるような橙色の空が広がっていた。カラスの鳴き声を耳にしながら重たい足取りで保健室へ向かい、丸い椅子ではなくベッドに腰かける。
このままダイブしてしまいたいと思いつつも先生たちの前でそんなだらしないことはできないと必死に我慢した。

「お疲れさん。あんた思った以上に体力あるね」

ふぁい…、なんて。口に出していたらそんな情けない声が零れていたかもしれない。リカバリーガール先生は完全に疲れきった私の顔をみてくすりと微笑んだ。


職場体験一日目。二人体制と聞いたときは驚いたもののどんなことをするのだろうと緊張しつつ、すこし楽しみな気持ちがあった。でもそんなものは始まってすぐに一瞬で消え去った。

基本的にはリカバリーガール先生のお手伝い。さすがに書類関係は生徒である私には無理なので、保健室にきた人たちの治療をしていた。
私の治癒個性は発動条件がさほど難しくないため、個性を使う練習というよりは初めから実戦形式だった。
コスチュームを着ているぶん個性のコントロールは楽ではあったけど、治療にかかる時間に結構なムラがあるらしい。

それにこの学校の授業の内容的にヒーロー科の先輩方が来ることが多くて、その怪我の具合も人によってさまざま。
この個性は集中はとくにしていない普段の状態のまま小声を出せば使えるものだけど、大きな怪我であればあるほど小声を出し続けないといけないため非常に喉を酷使すると同時に体力の消耗も激しかった。

そしてもちろん患者さんがずっと来続けるわけがないので、途切れる時間帯に今度は相澤先生との特訓。主に個性使用なしの組手だ。

体育祭を見た人なら私がどんな戦い方をするのかある程度わかっているだろう。自分の個性をずっと怖がってきた私だけど、それでも頼れるものがそれしかない、個性に頼りきりの戦い方なのだ。
あのときは場外というルールを活用できたけど本物の戦闘にそんなものはない。だからまずは基礎の戦い方を学ぶということで組手をしていたのだけど。

「どうだったんだい、そっちのほうは」
「ヒヨっ子もいいとこですね」

ひ、ひよっ…!
ガーン!とショックを受けるものの本当にその通りで何も言い返すことはできなかった。

個性に頼りきりの戦い方ということは主に中距離や長距離戦が得意なわけで、組手なんてものは基礎すらできてないない。
おかげで何度も捕縛武器に捕まって投げ飛ばされてを繰り返してしまった。そして組手で負った傷は個性が届く範囲で自分で治す。

いくら体力に自信があったとはいえ、戦闘と治癒のどちらもこなすのはハードなんてレベルではなく、もう気を抜いたらベッドにダイブしそうだ。

足元に視線を落としながら疲れを隠しきれないため息をこぼすと、視界に真っ黒な靴が映り込んできた。

「まだ終わってないぞ、サイレント」

え、と身体が強ばる。こんなくたくたの状態なのにまだ続きがあるのかと頭が回らないままおそるおそる顔をあげた。
さぞかしいい顔をしていらっしゃるのだろうと思ったものの、意外にも相澤先生はちょっぴり面倒くさそうな表情を浮かべていた。





−−−





相澤先生が言っていたまだ終わってないとはどうやら特訓のことではなかった。これから三人でいくところがあると言われ連れてこられたのは近くにある銭湯。

「俺は雄英ここのシャワーだけで充分、」
「何いってんだい、そんなんで疲れなんか取れないよ!あんたもう三十路さね」
「…………」

歳を言うな歳を、なんて声がぼそりと聞こえた気がする。
ここに来る前から面倒くさそうな表情をしていたのはこれが理由だったらしい。



ゆっくりと足先から温泉に忍ばせていくと、じんわりとした温かさが今日の疲れを和らげてくれるような心地になった。
自然と笑みがこぼれてもう片方の足も浸かり、お腹、胸と進めていくとじわじわと蕩けていくようだ。
あったかあい…なんて極楽気分でいると、先に入っていたリカバリーガール先生はクスリと笑った。

「相当疲れてたみたいだね」

ぽちゃん、と肩まで浸かりながらゆっくりと頷く。他にも数人お客さんがいるためにここはすこし賑やかでなんとなく旅行にきた気分だ。
「いい湯だねぇ」と落ち着いたリカバリーガール先生の声が反響する。それはなんだかおばあちゃんと一緒に温泉に入りに来たようで、ほわほわと和むこの雰囲気にひっそりと頬をゆるめた。


温泉から上がって身支度を整えていると、リカバリーガール先生はマッサージチェアにいくと告げて一足先に浴場を出ていった。
ということはもう少しここにいるってことかなと頬を持ち上げながら私もしばらくしてから浴場を後にした。





休憩スペースへといくとそこにリカバリーガール先生の姿はなかった。マッサージチェアはここにはないのかな?と思っていると、視界の端からガコン、と何かの音がした。

「飲むか?」

相澤先生から差し出されたのは缶のお茶。こくりと頷いてそれを受け取ると、火照った身体にちょうどいい冷たさだった。
ありがとうございますと軽く頭を下げ、親指を蓋に引っかけてカツンと音を鳴らす。

「今日の組手、自分でどう思った」

小銭を自販機に入れ、今度は自分の分であろう缶コーヒーのボタンを押すとまたひとつ落ちてきた。その一連の流れを見届けている間、私はなんともいえない顔をしていたかもしれない。

先生にヒヨっ子と言われたとおり、てんで何も出来ていなかった。個性に頼らない私なんて体力がちょっとあるだけのそこらへんの一般人かそれ以下だ。
あまりの情けなさにまともに相澤先生の顔を見ることができず、両手に持ったお茶を眺める。
それでだいたい察したらしい先生はカシュッといい音をたてて缶コーヒーをあけた。

「俺の動きに対する反応は悪くなかった」

え、と顔を上げるとちょうどコーヒーを一口含んだところで、喉を潤したあとに聞こえた一声が「甘…」だった。
砂糖多めのやつだったのかなと思いながら私も再びお茶の蓋をカツンと鳴らす。

「だがそれに身体が追いついてない」

うぐ…と私は押し黙る。もう本当にその通りですとしか思えず言葉が次々と刺さっていく。

「そんだけ体力があるのに今の動きじゃ無駄に消費してるだけだ」

確かにたまに目で先生の動きをとらえることはできるものの、それに対応出来る身体を持っていないために一歩出遅れて捕縛される。なんてことが何度あったことか。カツンカツンと蓋に引っかけ損ねる音が虚しく響く。

「この一週間で俺から一本取れるようになってもらうぞ、サイレント」

カツン、と一際大きな音があたりに響いた。一週間で一本取る。言葉にするだけなら簡単だけどそれが一体どれだけ大変なことなのか考えてしまえば不安が募るばかりだ。

でもその名前で呼ばれるとなんだかいつもより身の引き締まる思いになった。自分で考えた、将来その名を背負うに相応しくなるために今は必死で足掻くしか道はないのだと。
もっともっと私は頑張らなきゃいけないんだ。

お茶を持つ手にすこしだけ力が入る。今日はほぼやられっぱなしで何も出来なかった。でもその出来なかったことを少しずつ次の日に活かすことはできるのだ。
明日の私はもうすこし何かが変わっていてほしい。


話を終えるとしばらく沈黙が続いた。なんとなく顔を上げると、再びコーヒーを口にしていた先生はどうやらそれを飲み終えたらしく、近くのゴミ箱へと捨てにいく。
でもこちらに戻ってきたとき、自身の唇にちろりと舌を這わせては眉根を寄せていた。

相当甘かったのかな…。缶コーヒーってものによってはすっごく甘いものがあるらしいし、それを飲んでしまったのかもしれない。

ちょっぴり苦笑いをしながら私もお茶の蓋にカツンと引っかける。そこで、あ…と思い相澤先生を見上げた。

眉間にシワが寄ってしまうほど甘かったのなら私にくれたこのお茶なら苦味で相殺できるかもしれない。もともと先生が買ってくれたものだし、私も一応お財布は持っているのであとで自分で買えばいい。
そう思って持っていたお茶を未だに微妙な表情の先生に差し出した。

ぱち、まばたきをしてお茶を凝視される。でもすぐに納得したようで差し出したそれは先生の元へ渡った。それできっと口の中の甘さもお茶がなんとかしてくれるだろうと思っていたのだけど。

カシュッと蓋が開くいい音が響いたと思ったら、はい、とお茶を返された。…え?

「…なんだ、飲まないのか?」

きょとんとした私と同じように相澤先生も不思議そうに私を見つめ返したところでハッとした。
あ、いや…別に開けてもらおうと渡したわけでは…!確かにずっとカツンカツンって開かなくて困ってはいたけども!

反応に困って視線が泳いでしまったけど、相澤先生の中では自分がお茶を飲むという認識は全くないらしい。

まあそりゃあ、伝わらないよね…と曖昧な笑みを浮かべながらぺこっと頭をさげる。差し出されたそれをそっと両手で受け取り口元に運べば、冷たい苦味が火照っていた身体をちょうどよく冷ましていった。


ひとときの休憩時間

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