▽ 第17話
「とし、ゆき…?」
帽子を取った唐沢さんの姿を見て、私は不思議とその名が出てきた。
昔、一緒に遊んだ男の子の名前。今まで全然思い出せなかったのに、欠けていたパズルのピースがぴったりとはまったかのように、記憶は鮮明に思い出された。
「……」
唐沢さんは無言のまま、私が差し出した帽子を受け取り、そしてかぶった。
「ねえ、唐沢さん。唐沢さんって―…」
「遅い」
「え?」
私は、唐沢さんに疑問に思っていることをぶつけよう、そう思って訊ねようとすると遮られてしまった。
「気付くの遅い」
一瞬、何のことか分からなかったが、唐沢さんが視線を逸らして居る所を見て、私は分かった。
…私が昔、一緒になって遊んでいたあの男の子。
あの子は、今、私の目の前に居る…
「唐沢さんだったんですね。あのときの"としゆき"は」
やっと。
やっと会えた…!
私は嬉しくなって思わず唐沢さんの手を両手で握って、ブンブン、と上下にさせた。
それに対してか分からないけど、唐沢さんは、フッと笑った。
「俺は最初から気付いていたぞ。お前があの時の"忍"だって」
なん、だと…!私と違って唐沢さんは気付いていた、だと…!?
いやでも、私は生徒会長からは忍って呼ばれているから下の名前を知るチャンスはいくらでもあったから気付いても不思議ではない。唐沢さんのことを下の名前で呼ぶ人なんて誰も居ないし。
「だ、だって…!あのときとしゆきは帽子かぶっていなかったし、最初の自己紹介では名字しか言ってくれなかったし」
それに小学生は名前で呼び合うから名字なんて聞かないし、私、この辺の子じゃなかったし、と言い訳をしてみる。
「帽子はお前が居なくなって暫くしてからかぶり始めた。あと、自己紹介の時は別に名字だけで良いかと」
私が居なくなってからかぶりはじめた。
…そういえば、さっき、唐沢さんの額には縦に傷があった。私が居なくなってから傷が出来たのかな…。
そう思っていると、私はあることを思い出した。
…最近、夢でも見たけど、"安全な女の子が居たらいいのに"って言われたっけ。…もしかして、唐沢さん、いじめられた、のかな…?ううん、考えるのはよそう。人は誰しも知られたくない過去は沢山ある。
私はそう思って首を左右に振った。
「自己紹介の時、フルネームで言ってくれればよかったのに!」
だから私は帽子については触れずに名前について話を続ける方向へ持っていくことにした。
「誰もフルネームで言ってないだろ」
「じゃあ、逆に下の名前を言ってよ!モトハルだってそうじゃないの!」
「モトハルはモトハルだろ。俺は俺だ」
「なんだそれは」
今までずっと敬語で話していたのに、唐沢さんが昔一緒に遊んでいた"としゆき"って分かった途端、不思議と昔のようにタメ口になった。
そしてあの頃のように笑えた。
「あの、」
「…?」
「これから、どうしたらいいですか?」
「どう、とは?」
今までのように唐沢さんと呼んで敬語を遣うべきか、昔のようにとしゆきと呼んでタメ口を遣うべきか。
つまり、今後、どうするか、と私は訊ねた。
「お前の好きにすればいい」
「唐沢さんはどうするんですか?」
「…どうして欲しい?」
「なっ…!」
質問を質問で返すなんてずるいですよ、と私が言うと、唐沢さんは笑った。
あのころとは違って大人になったんだなぁ。まあそりゃそうだけど。ちょっとドキっとした。だってあの頃はどちらかと言えば唐沢さん…いや、としゆきは私についてくるような感じだったし、可愛い系だったし。今はまるっきり逆だ。どうしてこうなってしまったんだろう。
「唐沢さん!む、昔と違いますよ…!」
「そりゃ昔に比べれば大人にはなっているからな」
「あの頃は唐沢さん可愛かったのに!」
「可愛い言うな」
「だって本当のことですし!」
私の手が無ければ木に登ることさえ出来なかったのに!と、付け加えた。
「は?何を言っている?それは柿本の方だろ?」
「へ?いやいや、唐沢さんの方こそ何を言っているんですか!私、こう見えても運動神経は良いんですから!」
「本当に運動神経が良かったら俺を受け止めることが出来たはずだ」
「そ、それは…」
と、私は言葉に詰まってしまった。
って、いやいや!と、私は声を上げる。
「むしろ運動神経、いや、反射神経があったからこそ、いち早く唐沢さんの危険を察知し、助けに行くことが出来たんですよ!」
「…どっちにしろ助かってはないが」
「うう…」
く、くそー!
何処で間違えてこんな意地悪な人に育ってしまったんでしょうか!
「昔のとしゆきを返せ!」
「何を言っているんだ」
「あの頃のとしゆきは純粋で汚れを知らなくてキレイな目をしていたと言うのに…!」
「今でもキレイな目をしている」
「いいや!凄い鋭い目をしていますよ!」
「それはキレイと関係ないと思うんだが」
「あ、あれ…?」
確かにそうだ。
私としたことが…!と、頭を抱えていると、唐沢さんはフッと笑って口を開いた。
「…俺は昔のようにする」
「え?」
急だったので私は頭が付いて行くことが出来ず、唐沢さんに聞き直した。
「折角思い出してくれたんだからな。あの時のようにお前のことを忍って呼ぶことにする」
「唐沢さん…」
「ま、お前の方はお前に任せるが」
「いいえ!私も唐沢さんのことをとしゆきって呼ぶことにします!そして敬語じゃなくてタメ口にします!」
「ほう、出来るのか?」
「で、出来ますよ…!」
「敬語」
「あ…」
言っている傍から敬語で言ってしまう私。
…確かに、高校生になって唐沢さん、もとい、としゆきに会ってからはずっと敬語だったし"唐沢さん"だった。そう簡単には直せない。
「期待せずに待っている」
「期待してて下さいよ!…じゃなくて、期待しててよ!」
「紅茶、冷めるぞ」
「誰のせいだ誰の!」
「…その調子だ」
「が、頑張る!」
と、私は少し残っていた紅茶を一気に飲み干した。
← /
→
bookmark