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お茶をどうぞ

Step.1 四つの文字

ある日の夕方、一人暮らし先のアパートの郵便受けにそれは入ってあった。
珍しく自分宛に届いている、と思いながら差し出し人の名前を見て、目を疑った。一瞬、頭が真っ白になるほどだった。

「っ…」

足は真っ直ぐ自分の部屋へと向かって走り始めていた。ヒールの音が響き渡り、すでに家にいる人には迷惑を掛けているかもしれない。ごめんなさい。でも、今はそんなことよりも、この封筒が大事だった。ごちゃごちゃになっている鞄の中から焦る気持ちのままキーケースを取り出してガチャガチャとドアを開ける。靴を放り脱がし、ドタドタとフローリングを走ってテーブルの前に座り込む。その途中で鞄を放り投げているけど、そんなの気にしない。
鋏を収納棚から取り出し、封を切った。カタカタと音を立てながらガラステーブルに鋏を置いた。
止まりそうになる息を浅く吸っては吐いてを繰り返して、封筒の中に入っているそれに触れた。
ゆっくりと取り出して、まず最初に目に入ったのは四つの文字だった。

「……っ…!」

出しそうになった声を咄嗟に手で抑えた。ぐしゃ、と封筒がそんな音を立ててしまったけど大丈夫だろう。勢いよく立ち上がる。けど、おかしなことに膝は笑っていた。それでも身体に鞭を打ち、放り投げた鞄の元へと向かってスマホを取り出す。
指が震えて言うことを聞いてくれなかった。タップしたものの起動したアプリは自分が開けたかったものじゃない。違うアプリが開いてそれを閉ざして、そんなことをする無駄な時間がもどかしかった。それでもなんとか、目的の人物の電話帳を開いて、発信ボタンをタップした。
プップッ、と何度かして、馴染みのあるコール音が鳴り出した。1コール目、2コール目、3コール目…。

≪はい、綾小路です≫

その声に私は安心、してしまった。

「っ」

何か言わなきゃ。言わないと、無言電話だと思われちゃう。でも、声が出ない。
ハクハク、と音無き声が空気を振動するだけ。スマホを持つ手が震えて、落ちそうになる。

≪……?…どないしたんや、雫玖≫
「……ふ、み……ま…ろ、さ……」

ああ、駄目。こんな声で彼を呼んじゃ駄目だよ。
カスッカスの声はあまりにも酷すぎるもので、文麿さんが変に勘付いてしまった。真剣な表情になっているのだろう文麿さんは、張り詰めた空気を纏ったような声で私の名前をもう一度呼ぼうとした。
けど、それよりも先に私の心が限界になってしまった。

「……う」
≪?…“う”?≫

胸をこみ上げてくる気持ちに、鼻の奥がツンと痛み視界がぼやけ出した。
もう、我慢出来なかった。

「ぅ、うか……うがりまじだぁ〜!!」

その言葉と同時に、堪えていた涙がボロボロと出てしまった。文麿さんと電話がまだ繋がっているって分かってるけど、私の涙は止まってくれなかった。ちゃんと話をしていないから言いたいのに、喜びが、嬉しさが、涙が私を邪魔する。
私のもとに届いたのは警察官採用試験の合格通知。
絶対に合格する、と意気込み受験した。文麿さんにも応援してもらって、絶対大丈夫だと自分を信じて受けたけど、それでも不安だった。合格通知は合格者のみとしか聞いていなかったから、二週間経った最近は気が気でなかったほど。でも、その張り詰めた糸が今この時、ぷつりと切れた。
受かった。合格したんだ。これで、夢に一歩近づける。
それがあまりにも嬉しくて、頑張ってきた甲斐があったと思ったら、涙が止まらなかった。
止まる事の知らない涙は頬を伝って落ちて、袖や服を、床を濡らす。

「うっ……ふっ…!」
≪…雫玖≫

泣いたままの私に、何が起きたのか分かってないはず。でも、私の名前を呼んだ声はとても優しいものだった。涙をそのままに、私はしゃくりを上げながらも返事をした。電話越しで文麿さんの小さく笑った声が聞こえた。

≪…おめでとうさん。よお頑張ったなぁ≫

その言葉を理解するのに数秒かかってしまった。
祝って、くれた。
何がなんて言わなくて、彼は気付いてくれた。分かってくれた。そして、喜んでくれた。

「…っ…!………ッ!!」

この上ないくらい、嬉しいことだった。
止まったと思った涙が再び零れる。一生分の涙を流しているんじゃないのかって思うくらいで、でもこれからもきっと何度もそんな気持ちを抱くのだろうって頭の隅でそんな事を思ってしまった。
お礼も言えないほどに泣きじゃくる私を文麿さんが電話越しで困ったように笑ったのが聞こえた。

≪そないに泣いたら、目が溶けてしまうで≫
「と、溶けない……もん…っ…」
≪…ほら、もうそないに泣くんやない。私は今雫玖の傍におらんのやで≫

優しい声でなんて口説き文句を言っているのだろうか。目尻が赤くなったのは、泣いただけじゃなくなった気がした。
そうやって甘い言葉を囁く文麿さんはズルい……!
何か言い返さないといけない気がして口を開けたけど、それよりも先に文麿さんが私に言ってきた。

≪雫玖、親に報告したんか?≫
「…ぁ、いえ……まだ、です…」

ハッと現実に返ってしまった。文麿さんの言葉に声を小さくしてしまった。悪い事、じゃないんだけど…なんだから後ろめたい気持ちが湧いてしまったから。

≪まだ言いはってなかったんか?≫
「…はい。……その、……」
≪ん?≫
「…一番最初は、文麿さんに言いたかったから……」

傍で見守ってくれたのは親もだ。連絡するたびに、頑張れと応援してくれた。でも、親よりも私の傍で応援してくれて、辛いときも一緒に居てくれたの貴方だったから。

「親よりも先に、文麿さんに言っちゃったの」

恥ずかしい気持ちもあったけど、伝えたくて言った。でも言い終わるとやっぱり恥ずかしくて、あはは、なんて空笑いを浮かべてしまった。文麿さんが見てるわけでもないのに。何か言われるのだろうか、とつい身構えた私だったけど、数秒ほど私と文麿さんの間に無言の空気が流れた。

「……?文麿さん……?」

電話が切れたのかと思って、名前を呼んだ。と、同じくらいに電話越しから聞こえたのはやれやれ、と言わんばかりのため息だった。

≪……ホンマ、かいらしいなぁ…≫

そないな事、電話で言うんやない。
低く、腰にクるほどの掠れた声に、私の身体は反応してしまった。

「か、かい……!?ふ、文麿さん、なにいって…!」
≪おや、これはあきまへん。思った事が口に出てしもうたわ≫
「っ文麿さん!」

さっきまで泣いてたはずなのに、いつの間にか涙は止まっていた。それとはひきかえに、文麿さんの言葉が身体が火照ってしまいそうになるほどだった。
そういうところカッコいいけど、今したら私どうしたらいいか分からないんだから!!
電話越しでつい責めるような言い方になってしまう。でも文麿さんは悪気はないと言って笑う。絶対に揶揄ってるでしょ!!

≪ほんなら、ちゃんと親御さんに言うんやで≫
「………はい」
≪夜、一度雫玖の家に寄らせてもらうで≫
「!っうん!」

その言葉を最後に電話を切った。思った以上に話をしていたみたいで、通話時間に驚いた。
夜、文麿さんが家に来る。

「……ふへへ」

思わずスマホを両手で持って、にやける口元を隠した。
祝ってくれるのかな。褒めてくれるのかな。
そんな淡い期待を胸に、私は文麿さんに言われた通り親に報告すべく再び電話帳を開いた。

***

「………」

通話時間を見て、内心驚いた。短い感覚やったんやけど、そないなことでもなかったようやった。
雫玖、えらい喜んではったな…。ま、それもそうやろな。
夢に一歩、近付いたんやから。

「(……よっしゃ)」

思わず、けれど控え気味にガッツポーズをしてしまったのは無理もない話やった。