山能寺をあとにして、綾小路警部…じゃない、文麿さんに大学まで送ってくれる道中だった。走行中に変わる街並みを眺めていた私だけど、沸々と怒りがこみ上げてきた。
「……なんか」
「ん?」
「今更なんですけど、あの人に文句の一言でも言えばよかったです」
「…は?」
ポツリ、と言った言葉に、文麿さんは目を丸くした。外を眺めながら言った言葉は、あまりにも違うもので驚いたみたいだった。そんな文麿さんに笑いかける余裕なんてなくて、私は膝の上に乗せたシマリスちゃんを撫でつつも、不貞腐れた態度をとった。
「いきなりどないしはったんや、雫玖」
「…文麿さん、無実じゃないですか」
「…あぁ……」
脈絡もない言葉を言ったのに、納得した声を出した文麿さん。走行中だから、視線は前だけども、私のほうを気にしてくれていた。間を置いて、文麿さんは「別にええやないどすか」と、まるで気にしていない様子。
なんでそんな寛大なんですか。
文麿さんの言葉に、私は子供みたいにそっぽを向いた。
「文麿さんを犯人扱いしたのにも関わらず、私のことを触れないなんておかしいじゃないですか」
そうなのだ。
毛利さんの推理は色々と穴があり過ぎる。シマリスちゃんの事も、殺害の動機についても、つじつまがあっていない。それに加えて、私のことを一切触れていないのだ。鴨川には綾小路警部と一緒にいた。それを目撃しているのは服部くんとコナンくん。二人が言ってないにしても、文麿さんには私というアリバイがあるんだから、犯行は不可能。
それなのに…。
「結局、毛利さんの推理ミスで私は共犯者やなかった。…それでええやろ」
「でもっ」
「雫玖」
納得いかない私に、文麿さんは名前を呼んで制した。それ以上言うことができなくて、ぴしゃりと黙った。呆れたようなため息を溢した文麿さん。名前を呼ばれるとなれば、きつい言葉でも言われる。そう思った私は思わず身構えたけど、私に降りたのは言葉じゃなかった。
「落ち着きや」
「っ…」
ぽん、と頭に乗せられたのは大きな手。
文麿さんの手だった。
「文麿、さん…」
大学の駐車場の端の方に停めた文麿さんは、優しい手つきで頭を撫でてくれた。
自然と、やさぐれた心は穏やかになった。
「私を思うてくれるんはおおきにな。そやけど、私は大丈夫や」
「…」
優しい声で私を宥める文麿さん。真っ直ぐ私だけを見つめるその目になんだか恥ずかしくなって、思わず手で顔を覆った。
ドキドキが止まらない。なんて漫画の世界だけかと思ってた。
「…本当に私って文麿さんに弱いみたいです…」
「ははっ、何を言うてるんや」
私の様子に笑う文麿さん。冗談にとっているような感じで、すこしムッとして続けた。
「文麿さんの事が好きすぎてどうにかなりそうってことですー」
「おやおや、そら嬉しい限りのことやないか」
その言葉にチラッと文麿さんを見れば、嬉しそうな様子。でも、そこに見え隠れする意地悪そうな表情。普段なら照れたりするのに、文麿さんは私を照れさせたら至極嬉しそうに笑う。
この人って隠れSなんですよ!!
それが私にとっては癪にさわる。だってまるで大人の余裕を魅せつけてくるようでムカつくんだもん。
「文麿さんのバーカ」
「それは、聞き捨てなりまへんなぁ」
「!」
ガコンッ、と背もたれが下がった。あまりにも早い手業に構えることすらできなくて私はそのまま倒れ込んだ。待って待ってまだシートベルト外してない…!
「っ、ふみま、!」
「ん?なんや…?」
「…っ……」
文句の一つでも言おうと思ったけど、出来なかった。ううん、できるはずがなかった。
だって、身動きもとれない私に覆いかぶさるようにして文麿さんがいるのだから。もはやこれは押し倒しているといってもいいと思う。
あと少し、数センチという距離に文麿さんの顔。じっと私を見ている文麿さんに顔が仰け反りそうになったけど、それすら出来ない状況に私は硬直状態に。
まって…近い、近いから…!!
「文麿さ、ちか…いぃ…!!」
「そういえば、雫玖はさっきも私の事を馬鹿やと言うてはりましたなぁ」
「っ…そ、れは…」
さっきのことを根に持ってるの…!?なにそれどういうこと!?
今までの文麿さんじゃあまり見ない姿に私はただただ戸惑うばかり。え、それともアレですか?関西はアホって言わないといけないの?!馬鹿って言われたらやっぱり怒っちゃうの!?
「雫玖、少々おいたが過ぎると思うで」
「ひぅ…!?」
つぅ、と触れるか触れないかの絶妙な指の動きが脇腹を通る。ビクリ、と震えた身体に文麿さんは目を細めた。その一瞬の動きを目でとらえ、息を呑む。
久しぶりに見る、雄の目。
「口が悪い子の此処は、塞がんとあきまへんな」
「へ…んんっ!?」
そのまま文麿さんの手はそっと頬に添えられた。かと思えば、有無言わさぬ動きで口唇を塞がれた。押しつけるような口づけから、啄むようなものに。ちゅ、と聞こえた音に私は耳まで赤くした。
「んっ…ふぅ…!」
「っ…はぁ…雫玖…」
「ぁ、んん…んっ…!」
掠れた声で名前を呼ばれ、思わず身体が反応した。しっとりと濡れた唇が離れたかと思えば、今度は深くなった。それも、私の口の中を貪るようなものだった。
歯列を割り、文麿さんの舌が侵入してきた。唐突な接吻に私は思わず逃げるように舌を引っ込ませたけど、文麿さんがそれを許すはずがなかった。ぐぃ、と後頭部に手が回されて、顔を上へ向される。その拍子に文麿さんの舌が私の舌を捕まえて、絡ませて貪る。
「んっんん、ん…」
どちらのものかも分からない唾液が溢れ出て、口の端から滴り落ちる。その生温さがビクリ、と肌を刺激する。堪能する文麿さんにされるがままの私。だけど、それも終わりが近付いてきた。だんだんと息が出来なくて苦しくなった私は思わず文麿さんの胸元を叩いたのだった。トントン、とギュッと服を掴めば気付いてくれた文麿さんはゆっくりと離れてくれた。その際に、銀色の糸が紡ぎ、ぷつりと切れた。
「はぁ…ぁ…」
「…雫玖……」
私だけが息を弾ませてて、文麿さんは澄ました顔。でも、ぼんやりとした視界で見えた文麿さんの瞳は色香を漂わせていた。その瞳に魅入られて、ゴクリと息を呑む。下腹部がきゅんってなったのが分かった。
「文麿さ…」
「心配せぇへんでも」
「あ……っ…」
そう言いながら、文麿さんは私の口元を親指で拭ってくれた。そして額にキスをしてくれたあと、ゆっくりと降りて行って首元に顔を埋めた。ちゅ、とリップ音が聞こえた。
瞬間、チクリと感じた痛み。
それは一瞬の事でもあり、気にするよりも前に文麿さんは私から離れた。
「雫玖を置いて、犯罪なんてしまへん」
「……約束、ですよ?」
「えぇ。約束どす」
その言葉に満足して、私は寝転んだまま笑った。
結局、私がただ貴方が犯罪者扱いされた事に怒っていただけの事をどうやらお見通しだったようだ。