「とにかく帰って寝るのがよろしい。神経が昂って眠れん時はこれ。トランキライザア」

 午後。それもうららかな午後だった。例によって気分のすぐれなかった関口は穏やかな陽光の恩恵にあずかる事も出来ず、文机に上半身を預けていたらしい。
 しかし何の気まぐれを起こしたのか、関口は病院に向かったのだ。重い足を引きずって辿りついたのは一面真っ白の大病院。安いビニールシートのソファに座り、あるいはこうべを垂れ、あるいは奇声を発する患者達に囲まれて自分の名前を呼ばれるのを待つ。地獄のような待ち合いでの時間を過ごし、ようやっと診察室に入る。待っていたのはくたびれた医者だった。関口は一瞬言葉を詰まらせたものの、なんとか話し出したらしい。まったく、小説に書き出すことといえばあまねく自分の事だのに、同じように自分の事を口から出すとなると、関口はてんで苦手だった。関口はどれだけ無言を貫き、「あー」だ「うー」だと唸り、赤面し、発汗し、待合室の患者達よろしく頭を垂れた事か。医者が関口の症状を聞きだすのにいったいどれだけ時間を要したのか。ともかく、気持ちいい午後をお互いにぶち壊すだけの彼らの会合は、医者の無難な療養法と処方によって幕を閉じたのであった。
 これだけのことを話すのに、関口はやはり大層時間を使った。わざわざ自分の家を通り越し、長い坂道を登って、中禅寺家の座敷に腰を据え、日が傾くまでくどくどとうとうと語ったのであった。
 医院の設備が気に入らない。医者の態度が気に入らない。昨今の治療法が気に入らない。トランキライザァなんて以ての外。
 賢い中禅寺は何の気まぐれで嫌いな医者にかかったのか、なんて、お互いに昼下がりをぶち壊すようなことは言わなかった。関口は中禅寺に助言を求めにやってくることもしばしばある。だが今日のこれはただの愚痴だ。鬱憤を晴らしに来たのだ、こいつは。
 それをわかっていたから中禅寺はろくすっぽ返事も相槌もしなかった。手元の本のページをめくるだけで、関口を見ることもしなかった。関口の話の揚げ足をとったり、彼の身勝手な言い分を指摘して黙らせたりすることもしなかった。ただ、今日一番哀れな男について考えていた。
 持病の発作で病院にかかれば、医者にぞんざいな仕打ちを受けた関口か。朝から患者たちの世話を焼いて、筋道が破綻して、めちゃくちゃで、おまけに聞き取りにくい声が発する話を延々聞かされた医者か。それとも長年の「知人」の筋道が破綻して、めちゃくちゃで、おまけに聞き取りにくい声が発する話を延々聞かされ、「僕が君のトランキライザァになってやるよ」なんて、下手糞な告白さえ言えずに俯く「或る男」か。
 身内贔屓のせいか、今日も「或る男」に軍配が上がりそうだ。


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