僕に言えることは、ひとつしかないから



 幼い頃からずっと側にいた。ずっと、誰よりも大切に思ってきた。
 オレもあいつも、そのうち少しずつ大人になって、それぞれの友人や、もしかしたら――恋人、なんかもできて。いつかは、別々の道を行くことになるのかもしれない。
 そんな想像をすると寂しくはあったけれど、それでも自分だけに許された【幼なじみ】としての心地良くも不変な位置はどこか特別で、何だかんだでずっと続いていくのだと思っていた。
 ――「別れ」がこんなにも唐突に、理不尽な形で訪れるなんて、思いもしなかったんだ。



『理一郎?なにぼーっとしてるの』


 ふと、視界の端に、さらさらと風に揺れる長い黒髪が見えた気がした。


「……なでし、こ……?」

『こんなにいい天気なのに、そんな仏頂面してたら幸せが逃げていくわよ』


 思わず眼前に伸ばしかけた手を、留めた。


(……違う。しっかりしろ)


 ぎゅっと瞼を閉じて、小さく頭を振る。ゆっくりと再び瞳を開くと、そこには無機質なアスファルトの地面と、綺麗に晴れた青空があるだけだった。


 【撫子が病院から姿を消した】
 そんな到底受け入れがたい事実を聞かされてから、数週間が経っていた。
 ただでさえ、事故で撫子の意識が戻らないと知って目の前が真っ暗になったのに、いなくなった、なんて。夢なんじゃないか、なにかの間違いなんじゃないかと何度も思った。
 けれど、それが紛れも無い事実なのだと理一郎が認識するのに、そう時間はかからなかった。

 理一郎の日常には、撫子の面影がありすぎた。
 教室、通学路、帰りによく寄り道した本屋やファンシーショップ、――自分の部屋にいるときでさえ、気付かされてしまう。何気なく過ごす日常の中に、いつもあるはずのものが無い、と。
 撫子だけがいないのだ。どこを見ても、何をしていても。つい先日まで、当たり前のように理一郎の隣にいて、笑っていたのに。
 そうして何度も彼女の不在を思い知らされては、ぽっかりと心に大きな穴が開いたかのような、どうしようもない喪失感に苛まれるのだった。


(――いなくなってから気付いたって、遅いよな)


 いつも隣にいたのに。ずっと大切だったのに。どうやって大事にしたらいいのか分からないまま、安穏と過ごしてきてしまった。
 【何があっても味方でいる】――そう言って側にいてくれる存在がどんなに特別か、気付きもしないで。


(どこに、いるんだよ)


 たくさんの人が忙しなく行き交う雑踏の中で、ひとり立ち止まった理一郎はふらりと空を仰いだ。
 雲一つない青空はどこまでも高く澄み渡り、美しかった。時折、行き交う人たちの楽しそうな声が、断片的に耳に飛び込んでくる。
 穏やかな昼下がりだ。まるで、何事もなかったみたいに。


(なんで。なんで皆、笑っていられるんだ。あいつが居ないのに。……どこにも、居ないのに)


 理一郎は叫び出したい衝動に駆られた。ここにはこんなにもたくさんの人間がいるのに、その事実に気付いて悲しんでいるのは、理一郎たったひとりだけなのだ。それが無性に腹立たしい。


(……いや、違うな)


 本当に許せないのはそんなことじゃなくて。
 ――無力で弱い、自分自身だ。


(オレは結局、守れないんじゃないか)


 強くなるなんて言って、守るなんて言って、何にもしてやれなかった。
 撫子が事故にあった時も、病院から姿を消した時も、今だって。どこかで辛い目にあっているかもしれないのに、何一つ力になってやれない。


(くそ…っ)


 声にならない叫びが、澄んだ空に溶けていった。




*****




 深く沈んでいた意識が唐突に覚醒し、理一郎ははっと瞳を開いた。


(……いつの間にか、眠ってたのか)


 鼓動が少し早くなっている心臓を落ち着かせようと、深呼吸をして片手で胸を押さえた。
 嫌な夢だ。撫子を失った頃の夢を見るのは初めてではないけれど、何度見たって慣れる事なんてない。
 じっとりと嫌な汗をかいていた額をそっと拭うと、理一郎は体を起こした。
 するりと、肩にかけられていた毛布のようなものが床に滑り落ちていった。


(………毛布?)

「あ、起きた」

「……撫子!?なんで、ここに……」

「なんでって、ここ私の部屋よ?目が覚めてみたら、理一郎が突っ伏して寝てるんだもの。びっくりしたわ」

「……。そう、か。すまない」


 ベッドに腰掛けて、不思議そうに首を傾げながらこちらを見下ろす撫子を見ているうちに、一気にこれまでの状況が甦ってきて、理一郎は思わず頭を抱えた。
 こんなところで眠るつもりなど、もちろんなかったのだから。

 撫子を助けるという理一郎の本来の目的のためにはやむを得ないとはいえ、ここに彼女を一人で残してしまっている事はどうしても気掛かりだった。
 【10年後の世界】などという普通なら理解しがたい環境に突然連れて来られた上に、今にも人質として利用されかねない逼迫した状況――。有心会が、彼女にとっては味方もなく、心休まる瞬間など無い場所であろう事は、理一郎も理解していた。
 だからといって、撫子を自分に同行させる事だけは絶対に避けなければならない。――あんな、気が狂いそうなほど辛い場面を何度も何度も目の当たりにするのは、自分だけで十分だ。


(ひと目元気な顔を見られたら出て行くつもり…だったはず、なんだが)


 部屋に着いた時には既に夢の中にいた撫子の、無防備な寝顔をつい眺めているうちに、不覚にも自分までうたた寝をしてしまっていた、という事らしい。
 ……このところまともに睡眠をとっていなかったから、自分で思っている以上に疲労が溜まっていたのだろうか。


「すごくうなされていたけど、大丈夫?顔色も良くないし……」

「……別に、なんでもない。ちょっと寝覚めが悪かっただけだ。じゃあ、」


 もう行くから、と理一郎がまだ重い体を無理やり起こして立ちあがろうとすると、その動作を遮るように横から伸びてきた腕に肩を引き寄せられて、ぐらりと体が傾いた。


「………!?」


 こつりと、頭同士がぶつかる音がした。
 いつの間にベッドから降りてきたのだろうか、理一郎のすぐ隣に、撫子の着ている真っ白なワンピースが床に広がっているのが見える。


「はい」

「………は?」

「寄り掛かってくれていいのよ?」

「いいのよ、ってお前……。これは寄りかかるっていうより、無理矢理押し付けてるって言うんじゃないのか」

「だって理一郎、素直じゃないんだもの。そんなに青い顔して、こんなところで寝ちゃうくらい疲れてるくせに。全然なんでもなくなんかないじゃない」

「……『素直じゃない』は、お前にだけは言われたくないけどな」


 こういう時の撫子は、きっと何を言っても譲らないだろうと分かってしまうのは、長年の付き合いの賜物だろうか。早々に抵抗を諦めた理一郎は小さく息を吐くと、ゆっくり体の力を抜いた。
 さらりと、頬に触れた長い髪の滑らかな感触が心地良い。


「……何をしようとしてるのか全然教えてくれないから、詳しい事情は分からないけど。疲れてるときや辛いときくらい、頼ってよ。私の隣は、昔からいつだって理一郎のために空けてあるんだからね」

「…………」


 側にあった撫子の左手に、そっと手を伸ばした。
 指は、こんなに細かっただろうか。撫子の体だってこの時間軸に合わせて成長しているはずなのに、頭を寄せている肩も、理一郎よりも随分と華奢に思えた。 それなのに、ひどく安心できるのだ。
 ここが自分にとっての定位置で居場所なのだと、心が、体が、覚えている。


(……約束、お前はとっくに忘れてるのかもしれないけど。そんなの関係なく、お前はいつもこうやって味方でいてくれるんだよな)


 撫子が変わらないままでいてくれるなら、理一郎は変わらなければならないのだ。
 少なくとも、あの頃とは違う。もう、撫子に守られて泣いているだけの小さな子供じゃない。何の力もなく、ただ途方にくれて彷徨う事しかできなかった夢の中の自分ではない。
 理一郎は緩やかな拘束から逃れるように体を起こすと、撫子の細い肩を引き寄せた。


「………わっ!?」

「撫子。ありがとう。充電、できた」

「そ、そう……?それなら良かったけど、あの」

「でも、もらいっぱなしは性に合わないからな」


 頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でると、先ほどとは逆に、理一郎の肩に頭を預ける形になった撫子の頬が少し赤く染まるのが見えて、理一郎は笑みを深めた。


(オレは、すぐには変われない。今だって、弱いままかもしれない。だけど、少しずつでも強くなるから。前に、進めるように)


 寄り添ってくれるこの肩に恥じないように。




僕に言えることは、ひとつしかないから



 だから、待ってて。


(今度こそ絶対に、お前を守ってみせるから)







2012.4.30
素敵な企画に参加させて頂き、ありがとうございました!



tytle by 群青三メートル手前






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