水槽の脳の続編
※殺人表記有



「風丸くん、やっぱりおかしいと思うんだけど」
「そうかい?」
「うん…なんか、名前ちゃん危ない気がするから僕、着いて行くね」
「わかった」

苗字さんと風丸くんが帰宅して5分もしない頃、俺と吹雪くんはそんな話をしていた。
もう、学校の校舎も使用している人が少なくなってきて、そろそろ帰らなきゃいけないなぁと思い始める頃合いだ。
急に吹雪くんが、変なことを言いだして俺もびっくりしたけど、よくよく考えればそう思うのもおかしくない。なんたって、あんなに待たすほどなんの用事があったんだろうって話だ。
でも俺は面倒事に巻き込まれるのはごめんだった。家に帰って、リアルタイムで見損ねたミステリー番組の録画も溜まっていたので、そのまま帰宅することにした。なにより、途中巡回の警備員さんに早く帰れと怒られて、なかなか参っていたところもある。

吹雪くんは、どうやら風丸くんたちの後を付けて帰るようで、50mほど離れて尾行していた。帰る方向逆なのによくやるなぁと思いながら、俺はそのまま自分の家へ素直に帰る。
5分で家に着いて、ベッドに倒れこんではみたものの、やっぱりあの三人がどうにも気になった。なんだか嫌な予感がした俺は、やっぱり三人の後を追いかけることにした。もう家についているかもしれないけど、念のため念のため。

俺は懐中電灯と電工ナイフを取り出して、無造作にポケットにしまい込んだ。少し大きいからズボンのポケットがゴツゴツするけど、関係ない。
久しく乗っていない自転車を取り出すと、幼い頃釣った魚を入れていたクーラーボックスが後ろの荷台に積まれたままだった。取り外すのにも時間がかかりそうだったので、そのままがたつく自転車を漕いで苗字さんの家の方向へ進んでいく。家が何処にあるのか確証はないけど、なんとなく目星はついていた。

田んぼ道を走っていると、胸ポケットに入れていた携帯電話が震える。俺は、自転車を走らせながら、片手でディスプレイを開くと、それは吹雪くんからだった。

「はい、もしもし。どうしたの?」
「どうしよう、基山くん…名前ちゃん…危ない…逃げてるんだけど、」
「落ち着いて、話を整理してくれないかな?」
「いや、間に合わないよ…!血も出てる!ああっ!僕やっぱりいかなきゃ!基山くん、名前ちゃんの家の方向へ向かってくれる?」
「今向かってるけど、吹雪くん?…吹雪くん!」

電話を落としたのか、衝撃音の後吹雪くんが電話に応答することはなかった。背中に嫌な汗をかいた俺は、今までにないくらいのスピードで自転車を漕いだ。


田んぼ道を抜けて、すこし坂道を下った林道で、惨劇は起きていた。俺は、自分の目を疑った。
血だまりになったアスファルトの上に、苗字さんを庇うように倒れている吹雪くん。
片足の靭帯部分と腹部から血を吹き出して、息絶えた苗字さん。二人とも、もう息をしていなかった。死因はきっと、出血多量だろう。
二人して、目に涙を浮かべたまま、あらぬ方向へ視線を、向けている。ぞっとして、俺はそっと二人の瞼を閉じた。
二人を殺した、彼の姿が見当たらないと、辺りを見渡すと、50m先ほどの大きな木の枝に、縄をくくっている風丸くんがいた。

「風丸くん!どうしてこんなことしたんだい」
「…ああ…基山か…。いいんだ、もうこうするしか、なかった。」
「何を言ってるかわからないよ」
「全部あいつが悪いんだ。全部」

そう言いながら、ゆっくりと縄でできた輪っかに首を通していく風丸くん。足場にしている枝はあまりにも細く、すこし衝撃を加えただけで折れてしまいそうだ。

「待って、君まで死んじゃうつもりかい?」
「ああ。死後の世界でこそ、名前を幸せにしてみせるさ」
「風丸くん…ッ」
「じゃあ基山。苦労かけた」

そう言ってすこし風丸くんが弾んで見せれば、バキッという音を立てて呆気なく枝は折れた。自重で縄が締り、風丸くんは途中咽び喘いでいたけど、ほどなくして舌をだらりと垂らし、目はぐりんとひっくり返ってしまった。
俺は何も止めることができず、ただ風丸くんが首をつって死んでいく姿を呆然と眺めていただけだった。ふざけるなよ、と内心ふつふつと怒りの炎が湧いてくる。
みんな俺を置いて死んでしまった。風丸くんは、俺から、好きな子も親友も奪っておいて、あっさりと魂ごと逃げてしまった。そんなの許せない。どうにかして、この世界に三人とも留めてやりたかった。
不変の幸せを、変わらずに。

俺が風丸くんの死体に近づこうとすると、ポケットがゴソゴソと動き、電工ナイフの存在を思い出した。万が一の為、護身用にと何の役にも立たないがナイフを忍ばせていたのだ。
俺はこのナイフ一本でどうにかできないかと、無謀なことを考えた。所詮高校生の脳じゃ、手術や蘇生方法なんてわからない。

ただ、俺はあるサイトのページを思い浮かべていた。
とても哲学的な話だ。「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか」、という仮説を問いたページだ。脳さえあれば、三人は存在できるんじゃないか。トチ狂った俺は、そう考えて、手にした電工ナイフをとりあえず一人目の頭蓋骨に当てがった。
丁度、持って帰る為の容れ物もある。









あれから俺は、何を思ってか理科教員になった。母校で学んだので母校で教育したいという最もめいた理由をつけて、今もまだ、俺が当時通っていた高校で理化学を教えている。

巡回する約束で、俺はみんなが嫌がる住み込み教員を任されていた。部屋の隅には、3つの水槽がある。ふよふよと水槽に浮かぶ脳みそを眺めて、一人微笑んだ。

あの事件以来、俺は自転車の後ろに積んであったクーラーボックスの中にありったけ水を入れて、くり抜いた三人の脳みそをそこに入れた。なかなか力のいる作業だったけど、それで三人が俺の世界で生きてくれるなら何の苦も感じなかった。全身血まみれになるかと思ってたけど、理科の実験でよくする、血抜きが思いの外うまくいったので、あまり目立った汚れはなかった。なにより、夜だったのと、ここが田舎町だった事が救いかもしれない。

クーラーボックスの中で、ゴロゴロと蠢いている三人を想像すると、すこしわらけてきた。家に帰ると、汚れた上着を脱いで、水道水でゴシゴシと洗った。びしょびしょの上着を洗濯機の中に放り込んでしまって、洗濯機のスイッチを押す。ゴワンゴワンと水を送り込みはじめて洗濯機の様子を見てから、下ろしたクーラーボックスを抱えて自分の部屋へ向かった。標本作りが趣味だった事が幸いして、ホルムアルデヒド水溶液は簡単に用意できた。
飼っていた亀が死んだ後、使われていなかったガラスケースが数個、押入れの中にしまい込んでいたのを思い出して、引っ張り出す。水槽のなかに、ホルマリンをどばどばと注いで、彼らの脳みそをトプン、と水槽に沈めてしまった。
ああ、これでやっといつまでも三人一緒だね。

翌日、学校は大騒ぎだった。登校途中の学生が、三人の死体を発見したのだろう。通報により駆けつけた警察官は、脳をくり抜かれているという残虐的な事態に頭を抱えた。テレビは、しばらくの間、この事件でもちきりだった。
地球滅亡の日、だなんて大々的に騒いでいた分、なにかとあの三人にもそれを関係付けようとしていた。

俺は、絶対にバレない自信があったし、自分の部屋に標本やホルマリン漬けを作ってはあえてそれを見える位置に置いた。三人の脳みそは、押入れの中でふよふよと身を隠している。木を隠すなら森というように、警察官はもちろん友人である俺の家にも家宅捜査に入った。
俺の部屋の中は、ホルマリンやら虫や動物の標本で溢れていたため、きっと一番の容疑者候補だったに違いない。けれど、俺は小さい頃からの趣味だったし、もちろんそれは自他共に認めていた事だ。現に、夏休みの自由研究で何度か賞を取った事もある。
将来は理科の先生か博士になることです!と笑顔で受け答えていたインタビューもある。

それでも、警察官は俺を疑っていた。だから、俺は一芝居打つことにした。警察官の前で泣き崩れて、親友が死んだことを大袈裟なくらい嘆いた。
彼らしか友達がいなかったのは事実だし、俺はまだ高校二年生だ。それに見た目はひ弱で、力もなさそうで、ものすごく陰気くさい雰囲気をまとっていた。そんな俺に、頭蓋骨を割って脳みそをくり抜くなんて真似はできないと思ったのだろう。
警察官たちは、俺の証言やアリバイを真に受けて、そのまま母に頭を下げて帰っていった。過保護な母は俺を可哀想な奴だと思っているわけだから、責められることなんてなかった。そうして10年もの月日を、三人の脳味噌と共に過ごし、大きな嘘を平然と吐いて生きてきた。
何もかもうまくいくと思っていた。

ある少年がくるまでは。


少年の名前は松風天馬という。俺が、高校教師になって、三年目に受け持った生徒だった。
何に対しても熱心に取り組むいい子なわけだが、すこし熱心すぎてしまったのだろう。知ってはいけない領域にまで踏み込もうとしていた。
俺が起こした事件以来、うちの学校では七不思議として苗字さんや吹雪くんの心霊現象が噂されている。それもどうやら事実のようで、俺も何度か旧校舎に赴いた。もちろん、その中ではやっぱりあのみんなにとっては最後の日を毎日繰り返しているような、そんなかんじ。

あまりにもしつこく、松風くんが俺に七不思議を知りたがってくるものだから、地球滅亡の日とだけ答えておいた。検索すれば、いやでも目につくはずだった。
案の定、彼はそれを調べたのだろう。俺の思惑通り、七時半頃に学校に訪れた。俺は、懐かしい教室の窓から、ぼんやりとだけ分かる松風くんの存在を見つめていた。
俺の視線に気付くと彼は、一目散に逃げようとしたので、俺は教育を出て、ばれないように松風くんの元へ行く。松風くんは、携帯電話を握りしめたまま、硬直していた。
俺は、そっと後ろに回って、松風くんの肩をとんとん、と優しく叩いた。今、余計なことを口走らなかったら、助けてやってもいいと思っていた。

「松風くん」
「うわあっ!あ…、き、基山先生…」
「なにしてるんだい?こんな夜遅くに」
「え、えと、その、七不思議…を、見ようと思って…」
「深入りしちゃだめだって、言ったよね?俺」
「あ…はい…そうなんですけど…どうにも気になって…」


明らかに松風くんの様子はおかしかった。目が泳いでるし、暗い場所で脅かされて驚いているにしてはいやに余所余所しい受け答えだ。俺は、いささか疑問に感じて、それを率直に尋ねた。

「ね、俺、なんかおかしいかな?」
「あ、あの。間違ってたら、ごめんなさい」
「ん?」

「10月16日に三人を殺したのって、基山先生じゃないんですか?」


「え」


俺は素っ頓狂な声をあげて、目を丸くした。何を言ってるんだろう、この子は。あの二人を殺したのは、風丸くんだし、風丸くんは自害した。それに息をしていなかったし、俺はただみんなを失いたくなかったから、みんなの脳味噌を持ち帰っただけじゃないか。

「ちがうよ」
「じゃあなんで」

松風くんは、俯いて、しばらく無言をつき通した。なんだか胸のざわつきが鳴り止まない。松風くんは、松風くんの筈なのに、よく見知った人と雰囲気が良く似ていた。嗚呼、どうして今日はこんなにも月が赤いのだろう。やけに騒がしい鳥の鳴き声や、風に吹かれてざわめく草木の音が恐怖を煽る。俺は生唾を飲んで松風くんの次の言葉を待った。

「じゃあなんで基山先生の部屋の中には三つ脳みそがあるんですか。あれって、未だ見つかってない被害者の脳味噌なんじゃないんですか」
「松風くん…見たのかい。でも俺は殺してない。殺したのは、風丸だ…!!」
「でも基山先生が脳味噌を抜き取らなかったら、生きていた可能性だってあるでしょう。それってやっぱり殺人なんじゃないんですか…!自首しましょう!?」
「俺はわるくない!」


いままで自分は間違っていないと鍵を掛けていた心が、外れたような気持ちだった。心の底から溢れる憎しみにかまけて、天馬くんの首を絞め上げる。苦しそうに呻く松風くんが、あの時の風丸くんと重なって見えた。

「じゃあなんであの時!俺だけ仲間外れにしたんだよ!!!!!!!!」

気付けば叫んでいた。ギリギリと歯を食いしばっていた松風くんが、俺の言葉に目を見開き、そして力んでいた力がだらりと解放される。俺は、松風くんを地面に降ろし、彼の頭が無造作に地面にぶつかるのも、それを痛がってか呻く声も関係なしに、ただ一人ぶつぶつと自問自答を繰り返した。


「俺は間違ってないよ。間違っているとすればこの世界だ。俺一人置いてあの世にいこうなんて考えが許せない。俺だって苗字さんが好きだった。吹雪だって苗字さんを庇って死ぬなんてかっこいい死に方許せない。ましてや吹雪と苗字さんを奪っておいてのうのうと死のうだなんて逃げることと同じじゃないか。だから俺は生まれ変れないようにこうやって体の一番大切な部分を持ち去ったんだ。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない」

そしてゆらゆらとおぼつかない足取りで、傍に転がっていたラグビー部が筋トレによく使う、コンクリートブロックを持ち上げた。
ゆっくりと気を失っている松風くんの頭の上に立ち、思い切り振りかぶった。


「全部、君が悪いんだ、全部。」

嗚呼、風丸くん。俺は初めて人を殺めてしまったよ。君もきっとこんな気持ちだったのかい?


繰り返す惨劇
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