ひたひたと、コンクリートの上を何も身につけていない足の裏が触れる。冷たい。薄暗く、玉の切れかかった蛍光灯の明かりだけが頼りのこの部屋はカビ臭く、それでいて息苦しさを感じられる。
この部屋に閉じ込められてから、一体どれくらいの時間が経過したのだろう。一日二日じゃ留まらない、もうずっと長い時間をこの部屋で過ごしている気がする。
扉は固く閉ざされ、外側から鍵が閉められている。分厚い鉄の扉は、とてもじゃ無いけど私の力では開けられそうにもない。
この部屋には時計も、テレビも、もちろんネットもない。今が何時なのか朝なのか夜なのか、外の世界が今どうなっているのかすら、情報が遮断されたこの部屋には私という存在以外の情報が許されていなかった。

椅子と、ベッド、それから大量の人形。人形は、そろって私の方に視線が向いている。私のことをこんな場所に閉じ込めている彼は、一体どこで何をしているのだろうか。時間の流れが気が遠くなりそうなほど遅い。その退屈で形容し難い居心地の悪さを誤魔化すように、寝心地の悪いベッドへ身を沈めた。







「おはよう、目が覚めた?」

人の気配にゆっくりと目を開ければ、にこやかに私を見つめるフィディオがいた。私をこんなところに閉じ込めた当事者でもある。フィディオは、驚くほど優しい手つきで私の髪を撫でた。

「ご飯、食べるかい?」
「…たべる」
「お風呂は、入りたいかい?」
「…はいりたい」

そっかそっかと、また嬉しそうに私の頭を撫でるフィディオ。私は彼の考えていることがよくわからない。
分からない、というのはときに恐怖をいだくこともある。私はフィディオが怖かった。
フィディオは私をこの部屋に閉じ込めて以来、ときたま部屋に訪れて私の世話を焼く。トイレだって、彼の許可なしには立ち入ることが許されない。床に垂れ流された私の排泄物を慣れた手つきで処理して、汚れた体を綺麗に洗って、おそらくフィディオが作ったご飯を向かい合って食べる。綺麗な服に着替えて、私の髪の毛をドライヤーで丁寧に乾かしながら彼は呟いた。

「求められるのは気分がいいんだ」
「気分がいい」
「そう、気分がいい」








あの会話以降、フィディオが私の部屋に訪れる頻度は滅法減っていった。このままフィディオが私の部屋に来てくれなくなれば、もれなく私は餓死か孤独死してしまうに違いない。そんなことを考えては、如何にしてフィディオの興味を逸らさないでおけるかを日々考えるようになった。
この立場上、見放されるわけにはいかない。どうすればフィディオは私を見てくれるのだろう。無視しないで。心の中でいくらフィディオに言葉を投げかけようと、届くはずがなかった。
開くはずはないと諦めているにも関わらず、意味もなく扉の向こうに助けを求めてみる。この扉の向こう側は、フィディオがいるわけでもなく、ただ頑丈に施錠されたもう一つの扉があるだけだというのに。

ふと、思い出した。

"求められるのは気分がいい"
そう言ってから素っ気なくなったフィディオの言葉。他に気になる女の子ができたんじゃないのか。同じように別の場所で閉じ込めて自分の世界を作っているんじゃないのか。じゃあ私は?もう用無しってこと?
そんなの許せなかった。じゃあどうすれば、私は彼に求められるのだろう。フィディオは、求められていると心が満たされるのだろう。私の言葉が彼に届かないのであれば、別の方法で示すしかない。
ふと、あたりを見渡せば、丁度良い刃物が待ってましたと言いたげに転がっていた。














「あれ」
「おかえり、フィディオ」

久しぶりに名前の部屋に訪れると、彼女は少し疲れた面持ちで、それでも俺を迎えてくれた。
いつもと同じようで少し違う違和感。そしてツンと鼻をつく彼女の排泄物の臭いとは別に、鉄臭い。
最近世話できてなくてごめんね。そんな言葉を彼女に投げかけると、ただ力なく微笑んで彼女は首を横に振った。

「ご飯たべる?」

彼女は首を横に振る

「そう。じゃあお風呂は?」

彼女は首を横に振る

「外に出たい?」

また、彼女は首を横に振った。少し奇妙に思えて、じっと名前に視線を合わせてみたが表情に曇りはない。てっきり気が狂ったのかと思ったけど、そうでもなさそうだ。もう諦めてしまったのだろうか。
俺は、俺なりに名前を愛してきたのに。それでも全然なびいてくれないから、しばらく此処を離れて俺の存在の大切さを知らしめてやろうと思った。それも結局自分のエゴでしかなかった。嫌われてしまったかな。

「…今までごめん。最後に一つ、なんでも言う事を聞くから声を聞かせてよ」
「フィディオ」
「…なに?」
「私、もう歩けないの」
「…え?」

彼女が、示した所に視線を向けると、アキレス腱に深い傷と、それから結構な量の出血があった。
慌てて処置しようとする俺を尻目に、彼女は冷えた瞳で呟いた。

「なんでもするっていったよね」
「…うん」
「ちゃんと最後までお世話してね。」
「え」
「求められるのは気分がいいんでしょ?
ねぇ、フィディオ」



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