今日も居残り練習も終わり、私は部室前の廊下で二人の帰り支度を待っていた。

こんな時間なのだから当たり前だけど校内の明かりはほとんどが落ちていて、
私がいるこの廊下もぼやあっとした暗い空気に包まれている。
少し離れた場所で沢山の蛍光灯に照らされているのは人口密度の低くなった職員室で、
この暗い場所から光の中で動いている先生や又は動いていない先生を目で追っていると
なにかこことは違う別の世界の光景を見ているような感覚になる。

はー、と息を吐くと視界の中に微かに白いもやが現れた。
もうそんな季節なんだ、と思いながら壁に寄りかかり、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

その場所から見上げるともう窓の枠しか見えなくて、それもそうか、と小さくため息を吐いて
煌々とした光が漏れ出ているバスケ部の部室へと視線を移した。


扉の下に漏れているその明かりを、定まらない視点のまま見つめながら
今その光の中で帰り支度をしている一人の人物をぼんやりと頭に思い浮かべていた。

緑間とあのスーパーシューターが別の人物に見えていることは緑間に話していない。
体育館で会えるあの人はミドリマという人で、あの緑間と同一人物だと高尾は言う。
理論はわかる。でも何故か納得はできない。
なんでなんだろう。二つの間にはずっと絶対的な壁がそびえ立っている。


もう一度息を吐いて白いもやを廊下に排出していると部室のノブが回る音がした。
と同時に薄暗い廊下に明るい光が差し込んできて、それと一緒に緑間も出てきた。

緑間は廊下にしゃがみ込んでいた私に少しだけ驚いた後、
「そこは汚いと言っただろう」と眉間に皺を寄せながら私に手を差し伸べた。
たくさん運動した後だからか緑間の手はとてもぽかぽかとしていて、
「手あったかいね」と言ったら、「お前の手が冷えているだけだ」とため息をつかれてしまった。

そうかなぁ、と呟きながら差し出された手に体重をかけて立ち上がって
少しだけ埃っぽくなったスカートの裾を軽く撫でた。


「そんな事だとまた風邪を引くのだよ」

「はい手袋します、って高尾は?」

「部誌を出してくるから先に行っていろとの事だ」

「そっか、じゃあ先に出てる?」

「そうだな」


緑間の隣をのろのろと歩きながら、ポケットに突っこんだままだった手袋を取り出した。
それを手にはめようとしたところで、片方の手袋にちょっとした違和感を覚えた。
なんかちっちゃい穴が開いてる気がする。どっかで引っかけちゃったのかな。

そのまま手元をいじりながら歩いてたら「危ないからちゃんと歩くのだよ」と窘められてしまった。
はぁいと生返事しながら何となしに隣の緑間を見た。


この緑間があのシュートを打つんだよなあ。

ふとそんな事を考えた瞬間、視界がなにかエラーを起こしたかのようにザザザ、と揺れ動いた。
、なんだろう。今の感じ。壁の向こう側がほんの少しだけ透けたような気がした。

目をごしごしと擦ってからもう一度見据えてみたけれど
そこにいるのはいつもと変わらない緑間一人だけで、再びその壁が揺れ動くことはなかった。

今のは何だったんだろう。
自分でも何が何だかわからないまま緑間のことを見つめていると、
緑間がちらりとこちらに視線を寄越して、そして少し困ったような表情をした。


「もう、練習はしていないはずだが」

「え?」

「お前がオレの方を見る理由がそれ以外にあったかと思ってな」

「あ…ごめん、なんか見てた」


「そうか。……おい、手袋を落としているのだよ」

「え!あ、ホントだ!」


少し後ろから声がしたので振り返ると、さっきまで横を歩いていた緑間が数歩後ろにいた。
落ちている私の手袋を拾おうと、大きく腰を折りながら床に手を伸ばしていた。
慌てて傍に寄ると、緑間は手袋の埃を払うようにぽんぽんと軽く叩いてから私に差し出した。


「わ、ごめん!」

「オレが気付かなかったら落し物行きだったのだよ」

「ありがと、緑間が一緒でよかった」

「…………」


そう言ってから、緑間が返しにくい言い方しちゃったなと思った。
その顔色を伺おうとしたけど、緑間はちょうど眼鏡のブリッジを押さえていて表情は見えなかった。
いつだったかもこんな失敗したなあと考えていると、頭上から声が降ってきた。


「ああ、オレが一緒で良かったな」


想定外の言葉が聞こえてきて、思わず動きが止まった。
まさか返してくるとは思わなかった。

一体どんな顔をしてこの言葉を発したんだろうと顔を覗き込もうとしたら
突然、緑間が物凄い勢いで歩き出した。
そして私が「あ、ちょっ」とか呟いている間に角を曲がって視界から消えていってしまった。

「恥ずかしいなら無理して言わなくても…!」と叫びながら、慌ててその後を追った。


* * *

下駄箱から靴を取り出していると、少し離れた場所で緑間が靴を履き替えている音が聞こえてきた。
この時間帯になると学校からは様々な音が消えて、微かな音ですらとてもよく響く。
緑間の方にも私が靴を入れ替えている音が聞こえてると思う。

誰もいない夜の下駄箱ってなんでこんなにも物寂しく感じてしまうんだろう。
朝はどんなに人気が少なくてもそんなこと感じないんだけどな。

そんな事を考えていると、緑間らしき足音が私の下駄箱の方に近付いて来るのがわかった。


「あ、ごめん。もう履くよ」

「いや、外は寒いから中で待っていた方がいいと言いにきたのだよ」

「そうだね、だいぶ風も冷たくなったしね」

「ちゃんと暖かくしているのか」

「だいじょーぶ、暖かくしてるしマフラーしてるし手袋もしてる。
…穴開いてるけど」

「ならいい」

「なんかお母さんみたいだね、緑間」

「……それは心外なのだよ」


「それにしても高尾、遅いね」

「どうせ職員室で無駄話しているのだよ」

「あー、高尾だからねぇ」

「ああ、高尾だからな」


そんな事を話していると、廊下の端っこに高尾がひょっこりと姿を現した。
離れた場所から手を上げながら小走りで駆けてくる高尾を
私は手をひらひらさせながら、緑間は少し眉間に皺を寄せながら見つめる。

それは肌寒く冬の始まりを感じる、なんてことのない、いつもの一日だった。


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