今日は体育館に向かうのがちょっと遅くなってしまった。
明日の図書委員会で使うという冊子を閉じるお手伝いをしていたら、
予想以上に時間がかかってしまった。

図書委員でもないのにごめんね、と司書さんは眉を下げていたけれど、
部屋に居座っている私の立場からしたら、これぐらいのお手伝いならいくらでも!である。

遅くなっちゃったお詫びに、と去り際に司書さんから貰った
新しい味のポッキーの箱をカバンからはみ出させたまま、
とんとんとんと音を立てながら階段を下りていく。

急がなくても別にいいんだけど、別に約束をしているわけでもないんだけど、
でもなんかちょっとだけ小走りになってしまう。
無意識に自分の中で遅くなった分を少しでも巻き返そうとしてる、のかもしれない。


ほんの数時間前まで人で溢れかえっていた、今は誰もいない廊下をゆっくりと駆ける。
真っ暗で空っぽな教室の群れをすり抜けている途中に、ふと立ち止まる。
いつものことだけど、やっぱりこの空間は変な感じがする。
少し前まで当たり前のようにみんなが居た場所なのに、今は当たり前のように誰も居ない。

人のいない学校、なんて言えばコワい話の定番だけど、
実際にその場に立ってみると意外と普通で、ただ、なんか寂しい感じがする。

私たち生徒がこの場所を離れて各々の時間を過ごしている時も、
教室たちはこうやってずっとそこに在る。
きっと今ここで過ごしている私たち生徒が卒業して大人になっても、
また新しい生徒たちを迎えながらずっとそこに在るのだ。
そう考えると建物ってちょっと不思議な存在なのかもしれない。
なんてちょっと感傷的になってしまうのは、寒い季節になってきたからなのかもしれない。


まあ誰もいないなんて言っても校内にはまだ先生たちがいるので
心の底ではどこか安心しているんだと思う。

そんなことを考えながら窓の外に視線を向けると、
向かいの四角いマス目の中ではまだいくつかのマスで灯りが付いているのが見える。
あの場所は先生が残っているであろう教員の部屋で、
他の学年の教室に美術室や音楽室、生徒のマスはどれも真っ暗だ。
あっちから見たらこっちのマス目も真っ暗なんだろうな。

いつもと違う方向に歩いていると、ふと、とあるクラスの番号が目に入ってきた。
あ、緑間と高尾のクラスだ。普段はあんまりこっちの方まで来ないからちょっと新鮮かも。


「…おじゃましまーす」


中に誰もいないことを確認して、高尾と緑間のクラスに飛び込んでみた。
悪い事をしているわけじゃないのに背徳感があるのは何でだろう。余所のクラスだからかな。


「…おー」


構造は私たちの教室と同じだけど、やっぱりどこか同じじゃない。

一番前の席の机にかけてある、その席の子の私物であろうカワイイ手提げも、
誰かが置きっぱなしにしてるティッシュボックスのメーカーも、
後ろの方の机にかけてあるストライプのひざ掛けも、後ろの展示物の配置の仕方も。
日直の文字の下に並んでいる名字も、その文字の書き癖も。

無人の教室を彩る全てが、私の学校生活の中では馴染みの無いものばかりで
そこに残る静かなメッセージを読みながら、ここは別のクラスなんだな、と強く実感した。


そう言えば、緑間と高尾の席はどこだろう。
二人とも荷物とか残していくタイプじゃなさそうだからパッと見じゃわかんないな。
でも多分、緑間は一番後ろの席のどれかだと思う。
ウチのクラスでも、緑間ほどじゃないけど長身のバレー部の男子が
無条件で後ろの方の席にされてるから、きっと緑間もそうだと思われる。

後ろの方の席をまとめて見渡すけれど、
どの机も緑間について何一つ語ってくれないので、どの席か全くわからない。
ストライプのひざ掛けがかかってる一番左の席じゃないことだけは確かかな。

教室の一番後ろまで行って、壁に寄りかかりながら人様の教室を一望すると
やっぱりここは知らないクラスだなあ、と改めて感じる。
ここにいると自分が異分子だってことをひしひしと感じる。


ふと、足元にあったゴミ箱を見ると、どこかで見た覚えのあるお菓子の箱が潰れて入ってた。
ん?と思って自分の手元を見下ろすと、同じパッケージの物がカバンから飛び出していた。
このクラスの誰かが放課後に食べたんだろうな。

そうだ、これは後で高尾たちと一緒に食べよっと。


「……あ」


その顔を思い浮かべた瞬間、オレンジ色の球体が私の脳裏をよぎった。
ライトで煌々と照らされる体育館、バッシュと床が擦れる音、そして、あの人の後ろ姿。

ハッとして顔を上げる。
そうだ、体育館に行く途中だったんだ。
ただでさえ遅くなってるのに、うっかり寄り道をしてしまった。

私は慌てて教室から飛び出し、ぱたぱたと廊下を走り始めた。


* * *


体育館へと続く廊下を走っているとバスケ部の部室から一人の先輩が出てきた。
その先輩は私に気付くと、「お」と小さく声をもらした。


「今日は遅いのな」


思わず急停止して、乱れる呼吸を整えながら「は、はい」と答えると、
「アイツら待ってんじゃねえの」と先輩は顎で体育館の方を指した。

緑間並に身長が高くて髪の色素が薄いこの先輩は、
高尾と緑間の中では絶対的な恐ろしい人として認識されてるみたいだけど、
こうやって話している分にはそこまで怖い先輩って感じはしない。

確かに、いつだったかの部活中の恐ろしい怒声はこの先輩のものだったけど
私としてはたまに見かける弟さんの方が言葉のチョイスが色々とダイレクトで怖い。


「先輩はもう終わりですか」

「練習はな」

「あ、お疲れ様です」

「おう、……つーかオレなんかに構ってないで早く行けよ」


しっしと手を払われたので、苦笑いしながら頭を下げて
もう一度小さく「お疲れ様です」と伝えて体育館へと向かった。
この人への恐怖感が少ないのは、この人もツンデレっぽいなと感じているからかもしれない。


光が大きく漏れる体育館の扉に手をかけてこっそりとその中を覗くと、
すぐ近くにいた主将さんと目が合った。
主将さんはにゅっと現れた私を見て一瞬目を丸くした後、ふっと微笑んだ。

ぺこっと頭を下げていると、体育館の端の方から大きな声が聞こえてきた。


「こないかと思ったー!」


体育館の奥の方で、高尾が笑いながら手を振っている。
そんな高尾の声につられて、シュート体勢に入ろうとしていた緑間も振り向いた。

緑間は上げていた腕を胸元まで下ろして私が定位置に着くまでじっと見つめ、
私が腰を下ろしたのを確認してから、その視線をバスケットゴールへ戻した。

ひと息ついてから視線を上げると、シュート体勢に入ろうとするその人が見えた。
少しピリッとしたいつもの緊張感に私は背筋を伸ばし、
緩んでいた口をきゅっと結んで、あの背中を見据える。

もう何十回も見てきた光景なのに、キラキラしたなにかで視界がいっぱいになって、
湧き上がる感情がどうしようもなく抑えきれなくて、きつく結んでいたはずの唇は
いつのまにか開きっぱなしになっていて、そこから震えるような息が漏れてしまう。

けれど口から漏れ出た感嘆のため息は、誰かのバッシュが擦れる音と、
ゴールネットから落ちた緑間のボールが床と無作為にバウンドする音でかき消される。

私はもう一度、唇をやんわりと噛みしめながら、ゆらゆらと揺れる視界の中であの背中を追う。
ああ、好きだな、やっぱり。今日も。


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