週明けの月曜日、体育館の時計の短針が8を過ぎてしばらく経った頃、
緑間が襟で汗を拭いながらこちらに向かってきた。

私から少し離れた壁際に置いていた自身のタオルに手を伸ばそうとしていたので
私はとことこと近付いて、緑間の眼前にとある布きれをスッと近付けた。


「………」

「…………どうぞ」

「なんだ、これは」

「タオルどうぞ」


「…なんだこれは、と言っているのだよ」

「たおる」

「それは見れば分かるのだよ」

「お礼」

「単語ではなく文章を話せ。…お前から礼を受けるような事をした覚えはないのだが」

「いつも見せてもらってるし」

「オレはオレの為にやっているのであって、それでお前から礼など受ける筋合いなど無い」

「…ですよね、スミマセン」


「……待て、貸せ」

「ん?」

「それ、を貸せ」


やっぱりこうなる気がしてたんだよなぁ、と思いながら
土曜日にスポーツショップで買ったタオルを没シュートすべく袋へ手を伸ばすと、
突然、威圧的なオーラを発しながら緑間がその大きな右手を私の方へと伸ばしてきた。

どういう意味か分からなくて、何?と聞き返すと、そんな私の反応に痺れを切らしたのか
緑間は無言で私の手からタオルを強引に奪い取って、力任せにごしごしと自分の顔を拭いた。

思わず「あっ、あーーー!」と叫んだら、タオルの隙間から緑間がこちらをギロッと睨みつけた。


「オレにやるつもりだったのだろう」

「…そ、そうだけど」

「ならば問題はないのだよ、ちょうど汗を拭こうと思っていたところだ」

「でも今いらないって、緑間」

「いらないとは言っていないのだよ」

「タ、オルたくさん持ってる…」

「別にいくつあっても困ることはない」

「だって、今」

「いらないとは、言っていないのだよ」


私が続けようとした言葉を遮って、緑間は強調するような口調でそう言い切ったかと思うと
タオルを握りしめたままスタスタと戻って行ってしまった。

え、持ってっちゃった、タオル。
いや、いいんだけど。献上するために用意してきたからいいんだけど。
どこか釈然としないまま、ボール籠へ向かう緑間の顔を見やると
あっちは今のやり取りを完全に消化したようで、いつもの無表情で籠の中のボールを選んでいた。
不思議な面持ちで何度も瞬きを繰り返す私とは対照的にこざっぱりとした表情をしている。
汗を拭いてスッキリしたのかな。少しでもお役に立てたようならいいんだけど。


緑間がボールを掴んでその場で何度かドリブルをした頃に緑間と彼の姿がスッと切り替わる。
私はだらしなく崩れていた足と曲がっていた姿勢を無意識に正しながらその姿を見つめる。
彼はゴールポストから数メートル離れた場所で足を止めて、一瞬ゴールネットを見据える。

彼のシュートシーンは胸が高鳴るけれど、もしかしたらこの瞬間が一番好きかもしれない。
あの眼差しから、これからあの場所に入れるのだという彼の意志を感じるこの瞬間が。

ゆっくりとシュート体制に入る彼の肩にかかっているタオルに視線が止まる。
先ほどまで私の手元にあった布きれを見つめながら、さっきの会話をぼんやりと反芻する。

…やっぱりよく分かんないな、緑間は。


* * *


「高尾は緑間の性格を理解してるっぽいよね」

「ん?まーそれなりに?つーか、なんかあった?」


明くる日、廊下でたまたま出会った高尾と雑談を交わしている最中、
ふいにそう呟くと高尾が不思議そうな顔をしたので
昨日の出来事をざっと話すと、何故か高尾は腹を抱えながら爆笑し始めた。


「ツンデレ!ほんっと見事なまでにツンデレな!!」

「ツンデレ?」

「なに?お前わかんなかったの?真ちゃん超ツンデレじゃん」

「緑間が?……あれってそういう感じのなの?」

「つーかあんだけ一緒にいたら気付くだろ」

「いや、そんな一緒にいないし」

「あれで一緒にいないとか真ちゃん可哀想すぎんだろ…、
間違いなく真ちゃんの仲良しランクの上位にいんのに」

「それはない、ってか緑間ってそんなに友達いな…」

「…ま、なんとなく分かるだろ?」

「………なんかごめん、緑間」


思わず口をついた言葉を引っ込めて、この場に居ない緑間に謝罪を述べた。
というかクラスも違うし放課後以外で接点のない私よりももっと接点のありそうな
クラスメイトとか部活の仲間とかが普通は上位に来るんじゃないのかな、
と一瞬考えみたけれど、確かに緑間って自分から話しかけていくタイプじゃなさそうだし
クラスでもあの仏頂面と話し口調だとしたら、その結果も分からなくはない。

部活仲間は…、たぶん高尾が例外で飛びぬけて上位にいるんだと思う。
でも私が仲が良い上位ってのはちょっと、違和感がある。


「嫌がられてる人の上位なら分かるんだけど」

「なんで?」

「だって私、普通にストーカーじゃん…?」

「………まぁ、お前が体育館の壁に佇んでる系の女子だってのは否定しねぇけど」

「…ウン」


「そんじゃさ、今お前は緑間のことどう感じてる?」

「どうって、ちょっと神経質だけど真面目?」

「そんで?」

「話しかけたらちゃんと話し返してくれるし礼儀正しいなと思う」

「それ。緑間が自分をどう思ってるかっての、そん時の表情見たら一発だから」

「表情って、いつも蔑まれてるけど」

「いやいやちゃんと見ればわかるって。んで、あとは?」

「だからそこまで関わりないんだって、それじゃー高尾はどう思ってる?」

「オレ?ワガママでツンデレで我らがエース様で、そんで相棒って感じ?」


「…なんかいいね、二人の関係って」

「嫉妬しちゃった?」

「……はあ?」

「怖いからそのマジ顔やめて、俺が悪かったから」

「分かればよろし――――」


言葉を発しながら顔を後ろに向けると、すぐ傍の壁に人が立っている事に気付いた。
何気なく視線を上げると、見慣れた眼鏡の男子が無言で私たちを見下ろしていた。
どこか呆れたような表情をしながら、私たちの言葉が途切れるのを待っていたらしい
話の渦中の人物は、我々の会話が途切れたことを確認してから大きなため息を吐いた。


「み、緑間…」

「やっだ真ちゃんいつから居たの?」

「お前らがくだらない話をしている辺りからだ」

「…ど、どこからだろう」

「…どこからだろうな」

「黙って聞いていれば、好き放題…」

「アーアー!なになに真ちゃんオレにご用事ですかっ?」

「用事も何も次は移動だろう馬鹿が!」


「あ、ヤッベ!え、真ちゃんオレの分の教科書とか持ってきてくれ…?」

「るわけがないだろう!自分の物ぐらい自分で取ってくるのだよ!」

「っですよねー!」


そう言って教室に向かって勢いよく走り出した高尾へ視線を送ることもなく
緑間は眼鏡のブリッジを押さえながら、やれやれと言わんばかりに深いため息を吐いた。
もしかしてこのまま高尾のことを置いて行ってしまうのかとも思ったけれど、
緑間は「馬鹿め」と小さく呟きながらそのまま立ち止まっている。

そういえば、前にもこんなことがあった気がする。
緑間の表面的な言葉や反応だけ見ていると高尾からの一方通行の友情にも見えるけれど、
別にそんなことはなくって、ちゃんと緑間の方向からも友情の矢印が点々と見えている。
男子の友情ってなんか不思議だ。この二人が少しだけ特殊なのかもしれないけれど。

そんなことをぼんやりと考えている間に
緑間と同じ教科書を持った女子や男子がわらわらと通り過ぎていく。
何気なく緑間の腕の中の教科書に視線を落として、表紙の文字と絵柄を確認する。


「次、家庭科?」

「ああ」

「いいな、あの先生面白いよね」

「ああ」


「………」

「………」


そう言えば、さっきの話はどこから聞いていたんだろう。
友達があまりいなさそうとか、かなり失礼なことを口走った気がする。
ちらっと緑間の様子を窺うと、至って普通の涼しい表情をしながら
高尾が走り去って行った方角をぼんやりと見つめている。

…私のことを嫌がっていないというのは本当なのだろうか。
もしかしたらストーカー慣れしてるのかもしれない。
でも表情ってどういうことだろう。下々の民を見下すようなあの表情をどう解釈しろと言うのか。

それにしてもやっぱり目元まできちんと見ようとすると首と目が痛くなる。
そう思いながら徐々に緑間の顔から下へと目線を落としていると
私の視線に気付いたのか、緑間が私のつむじの辺りに「なんだ」と声をかけた。


「いや、」


そう言いながら再び緑間の目の位置まで視線を上げると、
先ほどまで他の方向を向いていた眼鏡の奥の目と目線が合った。
そのまま言葉を続けようとしたところで、ふと何かに気付いた。

私と対峙しているその表情は、愛想もなく無表情としか言いようがないけれど
その眼差しから嫌悪や敵意のようなものは一切感じない。
確かに視線は私に向かってまっすぐ向けられているけれどそこに鋭さはない。
私に対して特別気を張っている様子もなく、まるで同学年の相手に素で応じているような。

素?
よくよく思い返せば、いつも対峙していたのはこういった無愛想な表情だったと思うけれど
そこにあからさまな敵意のようなものは感じたことが無かったような気がする。
会話だって素っ気ないけれどその声色から嫌悪の意思を感じ取ったことも無い。

遥か上空から容赦なく降ってくる鋭い眼差しも、私を見下していたわけではなく、
やや目つきの悪い人がごく普通に見下ろしていただけなのかもしれない。

この目つきの悪さと無愛想が緑間のデフォルトなのだとしたら、
高尾が言うように、思っていたよりも私に対してごく普通に接していたのかもしれない。


「…なんなのだよ、人の顔をジロジロと見て」

「……うーん」

「そして唸るとはどういう事なのだよ」

「いや、別に変な意味じゃなくて」


「おーまーたーっせええーー!」


私が小さな声で弁解しようとしたところに、高尾がダッシュしながら飛び込んできた。
その腕の中にはきちんと家庭科の教科書と筆記用具が収まっていた。
緑間は高尾に一瞥をくれた後、「遅いのだよ」とため息を吐きながらスタスタと歩き始めた。


「ちょっ、オレの休憩は無し!?
ワリィ、じゃあまたなー!」


高尾は私の方を向きながら手を上げて、緑間の横まで小走りで駆けて行った。
私は軽く手を振りながら、階段へと消えていく二人の後ろ姿を見送る。

なんだ、そうか、そうだったのか。
私は二人がいなくなった廊下をじっと見つめながら、腑に落ちたようなそうでないような、
たった今自分の中に沈み込んだばかりの言葉を心の中でくるくると巡らせていた。

もしかしたら、タオルも意外と普通に喜んでくれていたのかもしれない。
そうだったらいいな、と思いながら私は自分の教室へと戻って行った。


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