いつものように放課後の図書室で今月の新刊をチェックしていると、
少し慌てた様子の司書さんが私の名前を呼びながら近付いてきた。
「職員室に持って行かなきゃいけないんだけど、今ちょっと手が離せなくって」とのことで、
その手元には何やらファイルのようなものが握られていた。
お安いご用ですよ、と答えながらファイルを受け取ってそのまま小脇に抱えた。

特に何か明確な目的があって来てるわけじゃないと分かっているので、
図書室が開いている時間帯でもこんな風にお手伝いを頼まれたりする。
たぶん図書委員の人々からは、なんか分からないけど何故かよく図書室で見かける
司書さんの舎弟か子分のように見えているんじゃないかと思う。
まあ実際、多大なる恩恵を受けている司書さんのお願いとあらば
雑用小間使いなんでもござれの状態ではあるんだけれど。


* * *

ファイルの配達を無事に終えた職員室からの帰り際、
日が傾き始めて淡い橙色に染まり出した廊下を歩いていると
同学年らしき女子二人組がきゃいきゃい言いながらどこかに走って行くのが見えた。
「ねえ、これ変じゃないかな?」「大丈夫だよ、早く行こ!」と何か心配そうながらも
どこか楽しそうな声色を振りまいて、グラウンドの方に消えていった。

彼女たちからふわっと漂ってきた甘酸っぱい空気に私の心まできゅんと疼いた。
サッカー部か野球部に好きな人がいるんだろうな。いいな、なんか超青春してるって感じ。

二人が走り去って行った廊下をぼんやりと見つめていると
窓からゆるやかな風と共に、外で活動している色んな生徒の音が微かに聞こえてきた。
外周ランニングを終えたらしいどこかの部員が「次、スクワット!」って叫んでる。
ランニングか、そう言えばバスケ部の人たちも外で走ってたな。
あの時はまだ暑い日が続いてて、走ってる人たちも大変そうだった。

窓から入ってきた秋の風が、さああ、と廊下を通り抜ける。
いつの間にか立ち止まっていた私の髪とスカートをゆらゆらと揺らして、しゅるりと消えた。


「…ちょっとだけ」


見てこようかな。
心にぽつりと浮かんだ言葉のままに踵を返して、私は通いなれた体育館の方へと向かった。


* * *

緑間や高尾は部活してるのかな。
ってきっとしてるよね。今日も居残り練習するってメール来たし。

あれ、なんか体育館の前にいるギャラリーの人数がこの前より多いような気がする。
っていうか目の前の男子たちなんか雰囲気違くない?まさか他校の生徒?
どことなく違和感を覚えるその男子たちはほんの数人なんだけど、
背が高い上に人と人との隙間にぴったりと立っているので完全に視界が遮られている。
背伸びをしたり跳ねてみたり左右に揺れ動いてみたりしたけど全然ダメだった。
うーん、見えない。バスケ部の声はするのに姿が全く確認出来ない。

仕方がないのでギャラリーの少ないもう一つの入り口へまわることにした。
どうしてこっちは人が少ないんだろうと思ったけど、来てみて分かった。
レギュラーらしき集団がちょっと見えにくいからだ。
遠くでトレーニングをしている緑間をちらりと確認してから、そっと人の後ろに隠れた。
もう見つからないようにしなくては。


練習風景を眺めていると、トレーニングしていた小さな集団の輪から緑間が外れた。
そしてゴール前で練習していた数人を押しのけて場所を陣取り、一人でシュート練習を始めた。
周りにいた人間は一瞬だけ緑間を注目し、そして視線を逸らした。
一緒にトレーニングしていた先輩が何か野次を飛ばして、高尾がそれを宥めているようだった。

…? 突然の緑間の行動とその周りを取り囲む空気に理解が追い付かない。
レギュラーっぽい先輩と高尾と数人で固まってトレーニングしていたはずなのに、
そこから一人飛び出してシュート練習をしようとしている。
だけど先輩は怒ってこそすれ本気で止めに行こうとはしていないし、
周りはこの状況に対してどこか諦めにも似た空気を醸し出している。
明らかに緑間が勝手な行動を取っているのに誰も止めない。何かがおかしい。
体育館の内部に視線を彷徨わせている内に、ある日の高尾とのやりとりが頭と浮かんだ。

緑間の唯我独尊体質。まさか、高尾が言ってたのってこれのこと?
嘘でしょ、ねえ高尾。先輩をどうどうと制している高尾の後ろ姿へ心の中から話しかける。
っていうか高尾さ、このことを話のネタ的な感じで笑いながら話してたけど、
全然笑えないよこのレベルは!完全に部活クラッシャーじゃん!

ていうか緑間も緑間でどういう…。恐る恐る緑間へ視線を送ると、
当の本人は周りの雰囲気など全く気にせずシュート体勢へと入っていた。
そりゃ心臓が強いわけだよ…、もう渇いた笑いしか出てこない。


けれど彼のシュートが決まる瞬間は、周りの時が止まる。
遠くから見ていてもあれは明らかに別世界のもので、身体の芯からゾクッと震える。

体育館脇へと転がって行ったボールを拾いに行く彼の後ろ姿を見つめながら、
ぼんやりと緑間の事を思案する。

ワガママ、か。高尾が以前言ってたワガママ男子の言葉を改めて咀嚼する。
高尾の話は話半分で聞いてたけど、あの話は何の誇張でもなかったってことか。
けれどそれが許される絶対的な実力がある。しかも全国レベルの部活動で。

でもあんな能力を持ちそしてあんな行動を取ることが許される人と
同じチームにいることを他の人はどう思っているんだろう。
周りに視線を送ってみたけれど、不思議なことに先ほどまでの空気はどこにもなくって
どこをどう見てもいたって普通の、なかなかにキツそうな部活動の風景だった。
ゴール下を占領して練習を続けるたった一人を除いては。

ああ、緑間のあの行動ってほんとにいつものことなんだ。目の前の光景に力が抜ける。
とんでもないチームワーククラッシャーなんだな、緑間は。
だけど緑間はそのクラッシュを地味に地味につなぎ直そうと
頑張ってくれる高尾にもっと感謝すべきだと思う。


再びシュートを決めてからTシャツで汗を拭い、今度は足元に転がってきたボールを拾って
またゴールを見据えてゆっくりと膝を折る彼をぼんやり見ていると
「少し遠いけどこっちからならよく見えるぞ」と、真後ろから声が聞こえた。

さっきの他校の男子たちが私の後ろに隠れるようにスススと並んだ。
身長的に全く隠れられてないけど彼らにとっては意識的なものなのかもしれない。
そんなことを考えていると、声を上げた男子が引きつれていた数人の男子に向かって
「あそこでシュートを打ってるのが緑間だ、しっかり見とけ」と通る声で小さく言った。


「うっわ」「練習でもあれかよ」「すげぇ」「やべえ」
「あんなんいつも見せられてたらやる気失せそう」
「モチベーション死ぬよな」「つかあれどうやって止めんだよ」

なんだね君たちは、とモノ申したくなるほど、ネガティブな感嘆の言葉が彼らの口から湧き出る。
でもこれが一般的なバスケットマンの感想に違いない。
それほどまでに彼は不可解で恐ろしい存在なんだろう。
私とは比べ物にならないぐらい屈強なスポーツマンが異質な存在にまっすぐに怯えている。
私が彼に向けている異質な感情は何一つ間違っていないのかもしれない。

思い返してみると他校の生徒がギャラリーに紛れてまで見に来るようなたいそれたものを
私は人の少ない体育館で比較的至近距離でじっくりと好きなだけ見ているのだ。

いいのかなあ。なんとなく視線を足元に落とす。
別に悪い事はしていないはずなのに、どことなく居心地の悪さを感じ始めて
他校の男子たちの間をするするとすり抜けて体育館から離れた。

…いいのかなあ。夕焼けに染まる校内をぷらぷらと歩きながら
漠然とした疑問をふわふわと浮かべながら、図書室の方へと戻って行った。


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