「…そりゃ、乾もうたた寝するよなぁ」


先ほどからずっと同じペースで聞こえていた、
薄い紙をめくる音が聞こえなくなったので不思議に思って振り向くと
この部屋の家主が、お気に入りの黒いソファの上で夢の世界へと旅立っていた。

特殊な眼鏡のおかげで目元を目視確認することはできないけれど
握られていた本はソファの上に転がっていて、
その手元も掴んでいた形跡を残しながら投げ出されている。
ゆっくりと呼吸に合わせて上下に動く大きな体と、僅かに開いた口から微かに聞こえる寝息。


「……めずらし」


ここは乾の家だし自分の部屋でうたた寝をすること自体は別におかしくないんだけど、
人様のデータとやらを集めたがる人間なのでその逆で自分自身のデータ、
つまり隙を見せることはしないタイプだと思ってたので
こんな風に無防備な姿を晒すなんてなんかちょっと意外だ。
まあ私の存在が乾の中では空気のようなものなのかもしれないけど。

そんなことを考えながら乾のことを観察していると、
眼鏡が規定の位置からややズレている事に気が付いた。

邪魔だろうから外してあげましょうか、とすっかり眠りこけている乾にのそのそと近付いて
相変わらずギラギラと反射している眼鏡にそっと手をかけて、
ゆっくりと顔から遠ざけてやって、私の動きはそこで一時停止した。

横顔は見慣れていた、はずだ。
瞼は下りているけれど、正面からきちんと眼鏡を外した乾の顔を見たのは初めてだった。
すうすうと呼吸を繰り返す乾の顔をまじまじと見つめる私の頭の中は大混乱でカーニバルだ。

あれ?乾ってこんな顔だったっけ?
いや切れ目なのは知ってたし、鼻筋通ってるのも知ってたし、別に今更驚くような顔じゃない。
ない…ないよね?え、これ結構整ってない?いやいや乾、乾ですよこれは。さっき会話したよ。
だけどもしかして、この人ってもしかして…


「…い、いけめんという部類の人間…?」


マトモなようでほんのりマトモでない見た目や、まともなようで真っ当でない言動のせいで
そういう人種ではないと完全に決めつけていたけど、なんか普通にかっこいいお顔してる…。
普段のイメージとは真逆の涼しげな雰囲気の、ああもう聞いてないよこんな素顔だとか。
口をパクパクさせながら眼鏡を手にぷるぷる震えている私の反応は、
いたって正常な女子のもので間違いないと思う。いや誰だってこうなるよ、妥当だよ。
瓶底でおさげな女子が眼鏡取ったら美少女で男子も思わず顔が赤らむような、そういう感じの。

…なんでこんな妙なメガネをしているんだろう。それも彼の個性というものか。
心の中で色んな感情の波を制御しながら、目が離せないその寝顔をじっと見つめていたら、
目の前の男性が微かに身をよじらせたかと思うと、瞼をゆっくりと上げた。


「…っ!」

「……、」

「ぅ…、あ、う…、!」

「………、近くないか」

「……はい、わたくしもそう思っていたところであります…」


この状況で何を言えばどう反応すればいいのか分からずにおろおろしていたところ、
寝起きで焦点が定まらないながらもいつもどおり冷静な乾に
些か掠れた声でばっさりと切り込まれてしまい、うなだれながら後退した。

後ろへ下がって行く私の手元に向けて、乾がゆっくりと手を伸ばした。
その伸ばされた手の動きに合わせて手のひらを開くと、
さっと眼鏡を取ってさっと眼鏡をかけて、流れるような動作でいつもの乾に戻ってしまった。


「…何か良いデータでも採れたかい?」

「データ?」

「俺の」

「あー…、えーっと、レアだなあと思って見てたというか」


「レア、というと」

「なんか、隙がある乾の姿が」

「俺だってうたた寝ぐらいするさ…」


「あと、眼鏡を外した顔を初めて見た」

「ん?そうだったか」


「あと、……顔が」

「顔がどうかしたか」

「……、乾も顔があるんだなって思って」

「それは……、つまりどういう事だ」

「そのままの意味で…」

「全く分からないんだが」

「…乾にも、目があるんだなと思って」

「………」


「………」

「………」

「そ、そのまま!そのままの意味!」

「…やや難解だったけれど、
つまりはメガネを外した素顔が珍しかったってことでいいのかな」

「そう、それ!」


上手く噛み砕いて理解してくれた乾に指先を突き付けると、
人を指さしてはいけないよ、と窘められてしまった。

やっぱりこうやって見ると、分厚い眼鏡にイガグリ頭でいつも通りダサめな乾だ。
先ほどの爽やか系メンズは何かの幻覚だったのかもしれない。

怪訝な顔をしながら乾の顔を見つめていると
乾が「…先ほどのコーヒーを貰えるかな」とやや困惑気味に呟いたので、
ため息を吐きつつ、テーブルの上のマグカップを手渡して
「とりあえず私の前では素顔禁止で」と釘を刺した。

どちらにしても眼鏡を取ると見えなくなるから人前で眼鏡を取ることはないと思うよ、と
眼鏡のつるを押さえながら乾が言うのでホッとしていると、
だけど一応その理由を聞いてもいいかな?と一番突かれたくないところを突かれてしまった。

口元をもごもごさせながら「い、いぬ、乾に見えなくなるから」と声を荒げると、
乾はやや考え込んだ後に、「…そうか」と呟いた。

コーヒーを啜りながら再び本を手に取って読書を始めた乾を横目で盗み見ながら、
私はじわじわと冷や汗をかいていた。もしかしたらちょっと気付かれたかもしれない。
いや、こんなところに落とし穴を仕掛けておく乾が悪いんだ。
うっかりひっかかりかけた私は、私はたぶん悪くない。と思いたい。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -