時刻は午前4時47分

朝と言うにも夜と言うにもどうにも微妙な時間帯。
いつもより早く寝たらいつもより早く起きてしまった。

ぼんやりと手元の目覚まし時計を見て、部屋の暗さを見て、もう一度目覚まし時計を見る。
これは朝と呼んでいいのか、起きていいのかと自問するも答えは出てこない。

とりあえず布団をかぶってみたけれど、既に適切な睡眠時間を取っている上に
一度冴えてしまった頭に再び睡眠を働きかけるのはどうにも難しいもので、
何分もしない内に私は布団をはぎ取ってベッドから下りていた。


ゆったりとした手つきで寝間着から着替えつつ、
暗い部屋の中で今日のこれからをぼんやりと思案する。
さすがにこんな時間からいつも通りの一日を始める気にはならなかった。
この時間に朝食をとるのも少し抵抗がある、なんか胃がびっくりしそうな気がするし。

そうだ、ちょっと外でも歩いてこようかな。軽い運動になるし時間も潰せそう。
あ、そしたら帰りにコンビニで朝ごはん買ってくるのとかどうだろう。
いいじゃん、おにぎりとかサンドイッチとか、なんか、いいじゃん。
ふと思いついた、夜のような朝さんぽ案を即時可決した私は
薄手のカーディガンと財布を携帯を持って、ちょっとワクワクしながら家を出た。


外に出てみると外の世界は思った以上に夜だった。

これドッキリで実はまだ普通に夜中なんじゃ、と疑問に思い何度か時間を確認する。
『04:57』『04:59』何度見ても、数字の上では朝が来てるということになってる。
そんな感じは全くしないのに。


そして午前5時2分、広い通りに出て気が付いた。
やはりこの世界は夜のまま暗闇で止まっているということに。

どこを見渡しても真っ暗で、人の気配というものが無い。
一軒家も、マンションも、お店も、本来なら人がいるはずの全ての場所に。
何か動いているものと言えば、誰に知らせるでもなく忙しなく色を変える信号機ぐらいで。

人の気配を探すように視線を彷徨わせると、
遥か遥か遠くにコンビニらしき眩しい明かりが見えた。
少なくとも、あそこには私と同じように今この時間に動いている人間がいる。
その光に安堵して小さく息を吐いた。とりあえずあの辺まで歩いて行こうかな。

まっすぐに舗装された大きな通りをてくてくと歩きながら、横目で隣の車線をちらりと見る。
こんなにも車が通らないと、まるでそこが大きな歩道に見えてくる。
歩いても、いいんじゃないか。小さい悪魔が私に囁く。
仮に歩いたとしても誰一人として私の悪事を知る事は出来ないのだ。
なぜなら今この世界には私しかいないのだから!

などと酔いしれていた私の空気をパリンと打ち破るように、
少し先の曲がり角から、新聞屋さんがにゅっと出現した。
私より一足先にこの世界を制覇したようで、からっぽの荷台と共にどこかへ帰っていく。

そうなのだ、この時刻に動いている人間が絶対数として少ないだけで、
世界に誰もいないように思えても、みんなはきちんとお家にいるのだ。
ただ家の中から誰一人として出てこないだけで、みんなはきちんと世界の中にいる。
そしてもうしばらくすれば、朝日の中で人々が普段通りにこの街を動かし始めるのだ。



いつからか聞こえていたバイクの音が、少しずつ大きくなって来ていた。
近いなと思った瞬間、のろのろと歩いていた私をあっという間に追い越して、
今しがた黄色から赤に変わったばかりの信号機の前で停止した。

私も数歩進んで、止まったバイクと同じように停止する。
ブルルルルと音を鳴らす車側のバイクと歩行者側の私は共に右並びで青を待つ。

横へちらりと視線を向ける。
けれどフルフェイスに覆われているその人がどんな人かは分からない。
私の視線など物ともせず、バイクの振動で小刻みに揺れながらもまっすぐと前を向いている。
頭上から照らされる赤い光によってヘルメットとバイクはぼんやりと赤く光っていた。

どこに行くんだろう。
ふいに湧き出た小さな疑問が解決されることはないまま、信号が青になる。
青だ。私が反射的に視線を信号機に戻していたほんの少しの間に
横にいたライダーは、音と煙を吹き出しながら走り出していってしまった。

「あ、」思わず小さい声を上げていた。行っちゃった。当たり前か。
勝手に親近感を覚えていたのは私だけで、
あの人は最初から私など眼中になかったのだから。

再びこの世界から音が消えていくのを感じながら、
小さくなっていくバイクを見送りながら、また歩き出した。



のんびり歩いていると、また少し先の角から人が現れた。今度は徒歩で、第一住人だ。
こんな時間に散歩だなんて奇遇ですね、とその人影に心の中で話しかけて、
でもこんな時間に歩いてるなんて、ちょっとヤバい人かもしれない、と考え直す。
…いや、私もそう思われてるに違いないけども。

念のため別の道に逸れて行こうかな、なんてぼんやり考えていると、
突然、その黒いシルエットの人物がすごい勢いでこちらに向かってきた。


え、ちょっ…

やばい、シルエットからして男の人っぽい、えっ、ちょっとなにこれ
明らかにこっち向かって来てる、え、これちょっと私ヤバいんじゃ、
やばい、どうしよう あ、ダメだ  来た

頭だけはぐるぐると回るものの、体は指先ひとつ動かない。
そのまま硬直していると、視界にぬうっと一人の人間が入ってきた。

恐怖と動揺の中、おぼろげに確認できるその顔を
全身の神経を研ぎ澄ませながら見つめていると、
何故か、私の記憶の中からひとつの人物がはじき出された。

けれど何故その結果が出たのかが理解できず、思考の中をぐるぐると彷徨っていると
一文字に閉ざされていた目の前の人物の口が、ぱかっと開いた。



「こんな所で何をしている」


「……さ、真田…?」

「…何故お前がこんな時間にこんな所をほっつき歩いているのか、
納得のいくような説明してもらおうか」

「え…、…さな、真田弦一郎さん?」

「それ以外に誰が居るというのだ」

「ちょっ、と ビックリ、したんだけど…」

「…すまない、驚かせるつもりは無かったのだが」


「こ、こんなに暗いのに、なんで私だってわかったの?
…あぁ、そっか真田だからそういう能力もあるんだ」

「いや、お前が街灯に照らされていたからな」

「街灯?」


ふと上を見上げると、ちょうど私の真上に鎮座していたらしい街灯と
カチリと目が合ってしまい、その眩しさに思いきり眉をしかめる。
視界に残る明るい一点を緩和させようと、目をしぱしぱさせながら下を見下ろすと、
コンクリートの地面にはくっきりと私の影が投影されていることに気付いた。
ふと右手に視線を移すと、私の手に握られている財布の色かたちまで
日の光を受けたようにはっきりと照らし出されている。

それじゃあ、接近する人間に怯える私の表情もバッチリ見えてたって事か。
あの情けない姿が真田の記憶に刻まれたとか、もう、恥ずかしくて消えたい。

せめて、何か声をかけながら近付いてきてくれたら良かったのに。
「真田弦一郎、これより参る」とか、なんかそういう。
いやダメだな、そんなのが近付いてきたら間違いなく全速力で逃げる。



「今一度聞く、何故このような時間にこのような所にいるのだ」

「…真田こそ、早朝ランニング?」

「ああそうだ、今朝は空気が澄んでいたから少し走ろうと…、
そうではない、お前のことを聞いているのだ!」

「えーと、私の家この近くなんだ」


「ほう、では何故このような時間に外に出ているのだ」

「えーと、…あー、なんて答えても怒りそう」

「当たり前だ!女子供が出歩く時間帯ではないだろう!
いや時間帯としては朝ではあるが、まだ日も昇っておらず夜中同然ではないか!」

「真田、しーっ、声響くよ」

「あ、ああ、そうだな…ではなくてだな!」


「早く起きちゃったから、ちょっと外を歩こうと思って」

「な、な…貴様は何を考えている!
こんな中を女子供がほっつき歩くことが如何に危険かわからんのか!」

「…はい、すみません、あとちょっと声のボリュームをダウン気味に…」

「見つかったのが俺だったから良かったものを…、
何かがあってからでは遅いのだぞ」

「はひ…」


ちょっと外を歩いてこようなんて思ったのが間違いだった。
明け方の街をこんな鬼神がうろついてるなんて聞いてない。
あのまま朝ごはん食べていればよかった。

ガミガミと大声で小言を言われながら、小さくなった私は返事と謝罪を繰り返した。
しばらくすると言いたいことを言い終えたのか、真田は大きくため息を吐いた。

そろりそろりと視線を上げると、眉間に皺を寄せながら腕を組んで仁王立ちする真田が見えた。
その姿は私がよく知るいつもの真田そのもので、
こんな場所でいつもの日常を感じた私はなんだか少し安心した。

思わずへらっと笑うと、反省していないと思われたようで鋭い眼光にギロリと睨まれてしまった。



「そ、そんなに睨まなくても…」

「全くお前は…」


「…あのー、ランニングは?」

「お前を放っておいて行けるわけがないだろう、家まで送るぞ」

「えっ、もうちょっと散歩してたい…んだけど」

「……お前は俺の話を聞いていなかったのか」

「だ、だって」


「…、俺が一緒に付いて行ってやるとしよう」

「本当?」

「仕方がないだろう、このまま放って行くわけにはいかまい」

「おー、やったー!」

「……、全くお前は」


仕方がない、というオーラを全身から放つ真田と共に歩き出す。
ありがたい。真田がいてくれたらまたどこかから怪しい人が出現しても大丈夫だ。

それにしてもこんな時間に真田と散歩だなんてちょっと変な感じだけど、
これはこれでさらに非現実的っぽさが増してなかなか面白い。
笑みをこぼしながら歩いていると、気味が悪い、普通に歩け。と一刀両断された。

ぎろりと真田を睨みつけていると、ふと真田の遥か後方で光を放っている人工物を見つけた。



「あ、始発かな あれ」


私が指差す先には、暗闇の中で光を放ちながら動く電車があった。
真田は私の指先をなぞる様にゆっくりと振り向き、「そのようだな」と頷いた。

いつもは風景の一部として溶け込んでいる電車も、この暗い世界では異質のものだ。
線路もパンタグラフも架線も闇に紛れ込んでしまっているせいか、
電車の箱だけがきらきらと光を放ちながら移動しているように見える。

それはまるでどこかの銀河鉄道がやってきたかのような幻想的な光景で、
選ばれし地球人をまばらに乗せて、この銀河系太陽系第三惑星地球の日本から
銀河に向かってそのまま空に昇っていってしまうんじゃないかと、純粋に思えるほどで。


「銀河鉄道みたいだね」

「?、何がだ」


「電車、銀河鉄道みたい。こう、あのまま地球から離れていったりして」

「くだらん」

「あー、幸村か柳生あたりだったら絶対分かってくれるのになーこの感覚」

「俺にはわからん」

「知ってる」


笑いながら真田の方を見上げたけれど、
近くに灯りがなかったので真田の表情ははっきりとは見えなかった。
けれど恐らくはいつものように険しい無表情をしているに違いない。

じっと見つめていると、私の顔が向いている事に気付いたらしい真田は
「む、」と気まずそうな声を出してふいと顔を逸らしてから、
…言われてみれば不思議な光景に見えなくもないな、とぼそりと呟いた。


え?と声を上げると、真田は「…知らん!」と吐き捨て早足で先に行ってしまった。

まさか真田が話題を合わせてくれるとは思わなかったので、ビックリした。
駆け足で真田を追いかけていると、じわじわと笑みが込み上げてきた。
えへへへ、といやらしく笑いながら真田の横に辿り着くと、
黙って歩かんか、と言われてしまった。

でもその言葉には、普段のお小言とは違って威圧感はまるでない。
あの真田が照れてる、初めて見た。意外と可愛いところあるんだな。



「そういえば、真田も今日は早起きだったの?」

「…いや俺は毎日この時間だ、4時には起きるからな」

「は?」

「何だ」

「4時?毎日?」

「ああ」


「すごい、真田だね…なんかすごい真田って感じ」

「…なんだそれは」

「いや、ううん、なんでもない」


「そういえば、何故お前は財布など持っている?
この時間ではどこの店も開いていないだろう」

「コンビニで朝ごはん買って帰ろうと思って」

「朝に食べる物が無いのか?それならば俺の家に来ればいい、朝食ぐらい…」

「えっ!いい、いい、いいです!
あるけど、なんとなく買って帰ろうかなって思ってただけで!」

「たわけ!あるのなら、何故無駄な出費をしようとするのだ!」

「ご、ごもっともなんだけど…、
なんかこう朝ごはんを外で買ってくるのって良いなって…思って」

「全くもって理解出来んな…」


思いっきり眉をひそめてため息を吐かれ、理解不能とばかりに小さく首まで振られた。
呆れ返ったその表情に返す言葉もなくて、思わず頬を掻きながら苦笑いをした。
ていうか真田家で朝食をだなんて、蚤の心臓を持つ私にはとてもじゃないけど…、って あれ?


いつの間にか周りの暗闇は和らいでいて、真田の顔もしっかりと見えるようになっていた。
周りを見渡すと、暗くてよく見えなかったはずの世界が視界が開けていた。

黒に包まれていた視界が、紺へ藍へと少しずつ明度が増していく。
止まっているように見えても、この星は目まぐるしい勢いで動いているということを実感する。

そっか、もう朝なんだ。
きょとんとしながら真田を見上げると、真田もきょとんとしながら私を見下ろした。
なんだか久しぶりに真田の顔をちゃんと見た気がする。相変わらず凛々しいお顔立ちをしている。


淡い光に包まれ始めた街を眺めていると、少し先の場所にコンビニがあることに気付いた。
煌々と異質の光を放っていたはずのそこは、もうこの街と完全に同調していた。

ふと上を見上げると、先ほどは強い光で私の目を攻撃してきたはずの街灯も
周りと溶け込むように、淡く弱い光を穏やかに放っていた。


世界は元通りになっていく、なんだか不思議な感じがする。
さっきまでのは夢の中の世界だったのかな、と遠い目をしながら考える。

けれど隣を歩くこの人がいる。隣を歩むその足取りを見つめていると、
「馬鹿なことを言うな」「我々は最初からずっと現実の世界にいたのだ」と叱咤された気分になる。

真田、と声を上げると なんだ、とぶっきらぼうに言葉が返ってくる。
この状況もなかなか不思議な感じだけど、なんかこういうのも悪くない。


「あのコンビニ寄っていい?」

「…構わんが」

「真田は何かいる?」

「いらん」

「でも何か飲み物とか」

「いらんと言っているだろう!」

「は、はいいい…」


やっぱり手放しで良いとは言えないかもしれない、とげんなりしていると、
少し遠くから電車が走る音が聞こえてきた。

いつの間にか線路の近くまで来ていたようだった。私はその音がする方向を見る。
けれどあの夢の銀河鉄道は、線と共にレールを走るただの電車に戻っていた。

その光景を見てどこか吹っ切れた私は、
再びぐちぐちと小言を言いだした真田と共に自動ドアをくぐる。


In this world

この太陽系第三惑星の隅っこで、今日もまた朝が始まる


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